« インド独立裏面史(7) | トップページ | 休止中 »

2010年3月 6日 (土)

白兵戦について(1)

(インド独立裏面史の続きのつもりだったけれど、少々休みで別の話題とする)

 この日、二〇三高地の西南角にあるロシア軍堡塁に香月中佐の連隊が反復突撃し、ついに白兵戦をもってロシア兵をたたき出した。白兵戦の闘技は、日本兵はロシア兵よりもはるかにまさっていた。日本には古来、槍術の伝統があり、それを基礎にしてころころすでに銃剣術の技術が完成していた。
(坂の上の雲 文春文庫版(五)p.p.40-41)

 日本兵はロシア兵より白兵戦が強かった? 本当に?
司馬遼太郎は偉い人だが、この話題に限っては、個人的な実感として「違う」と思う。
 私の祖父は日露戦争時(明治37、38年)に徴兵適齢期だった。長男で高等師範学校学生だったから徴兵されなかったようだ。もし兵隊に取られたとして、祖父が銃剣でロシア兵をやっつけられたか。身長は170cm以上で当時としては大柄だが、ロシア兵より強かったとは思えない。
「槍術の伝統」? 私の友人知人の祖父や曾祖父はかなり従軍したらしいが。九割以上は平民でもと百姓町人だった(わが祖父も同じだ)。ロシア兵を相手に銃剣で戦って勝てたか。
 百姓町人出身兵が白兵戦でからきし弱かったことは、司馬遼太郎自身が書いている。明治10年の西南戦争では、鎮台兵は薩摩兵の切り込みに恐慌を来した。銃剣で対抗なんてできなかった。官軍は火力重視で、単発銃に弾を詰め替え詰め替え撃ちまくった――というような記述が確か『翔ぶが如く』にあったはずだ。
 日本はその後明治27年、28年の日清戦争で勝っているが、相手が弱すぎた。
 ロシアを含むヨーロッパ諸国は19世紀を通じて戦争ばかりしていて、白兵戦で鍛えられていたはずだ。(続く)

|

« インド独立裏面史(7) | トップページ | 休止中 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/33649901

この記事へのトラックバック一覧です: 白兵戦について(1):

» [格闘技][軍事][歴史][読書]「戦場最後の格闘技・銃剣術」はいつをもって戦場で滅んだのか?(「ロシアとサンボ」) [見えない道場本舗]
昨日、Ustの柔術番組を見ていたら、「ロシアとサンボ」著者の和良コウイチ(藁谷浩一)氏が出演していました。 氏は最近 「溺れる者、むべからず。」 http://warakoichi.blogspot.com/ というブログを開始したが、それは「溺れる者が掴もうとする」→藁。という由来... [続きを読む]

受信: 2010年7月26日 (月) 20時57分

« インド独立裏面史(7) | トップページ | 休止中 »