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2010年4月 5日 (月)

白兵戦について(4)

 乃木軍がいよいよ第一回総攻撃をはじめたのは、(1904年)八月十九日からであった。瀋陽会戦の開始よりすこし前であった。ところがこの攻撃が、弱点攻撃をもって対要塞戦の原則とするにもかかわらず、もっとも強靱な盤竜山と東鶏冠山をえらび、その中央を突破して全要塞を真二つに分断しようというほとんど机上案にちかい作戦をたて、実施した。 
 この実施によって強いられた日本兵の損害は、わずか六日間の猛攻で死傷一万五千八百人という巨大なものであり、しかも敵にあたえた損害は軽微で、小塁一つぬけなかった。
(坂の上の雲 文春文庫版(4)p.p.176-7)

 第一回総攻撃では、日本軍の銃剣突撃をロシア軍が機関銃でなぎ倒したのである。
「日本陸軍は、伝統的体質として技術軽視の傾向があった。敵の技術に対しては勇気と肉弾をもってあたるというのが、その誇りですらあった。」(p.176)
乃木将軍無能説は司馬遼太郎によって定着した。
ところが軍学者の兵頭二十八氏によると、必ずしもそんなことは言えないという。旅順のような要塞を1904年8月19日から翌年1月1日まで半年足らずの短期間で陥落させたのは上出来で、死傷者も多すぎはしない。この辺は詳しく説明してもらわないと素人には分かりかねる。
 しかし、旅順での死傷者数に衝撃を受けたのは、当時の日本人がヨーロッパの諸国民と比べて「戦死」に慣れていなかったからだ――という兵頭説ははじめて聞いたが、説得力がある。明治の日本ではヨーロッパより命の値段が高かったらしい。(続く)

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