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2010年4月 6日 (火)

白兵戦について(5)

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺の街のあきびとの
舊家をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思されむ。

あゝをとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母のしら髮はまさりぬる。

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思へるや、
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。

 解説はhttp://www.geocities.jp/sybrma/62yosanoakiko.shi.html

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 お祖母さんと孫だから、よく見ると似てますね。
「すめらみことは、戰ひに おほみづからは出でまさね」なんて、すごい。よく発禁にならなかったものだ。
 第一回の総攻撃で死傷者1万5800人(戦死者5017人、負傷者10843人)という損害がいかに衝撃的だったかが分かる。

 兵頭二十八氏によると、乃木希典は旅順要塞を攻め落とすのに15400人の戦死者を出したことの責任を取って、明治帝に殉死したのだという。(西南戦争で軍旗を奪われた責任、というのがこれまで言われてきたことだ。)
 ところが、日本ではそれまで一会戦の戦死者が1万人を越えることはほとんどなかったという。

関ヶ原の合戦(1600)で、敵味方合わせて六千人。
大坂夏の陣(1615)では、豊臣方から一万四千~一万八千人の戦死者。徳川方は不明。
戊辰戦争(1868-9)では、東軍7400人。薩摩と長州が千人ずつ。東征に参加した他藩では二百人程度。
西南戦争(1877)では、薩摩側6239人、政府軍4653人。
日清戦争(1894-5)では、1264人の戦死。

 ヨーロッパでは桁が違う。

 1812年6月、皇帝ナポレオンは、フランス国民兵四十五万三千を率いてニエメン河を渡河し、ロシアに侵攻した。
 同年十一月、ナポレオンは攻撃発起点まで戻ってきた。しかし、その退却につきしたがっていたフランス兵の数は、一万以下に減っていた。(兵頭p.57)

 しかし
ロシアに三十万~四十万の死体を捨て逃げ帰ってきたナポレオンを、フランス国民は見捨てなかった。フランス国民の外敵に対する戦意は、以前と変わらず維持されたのだった。(p.58)

 アメリカの南北戦争(1861-65)では、南北双方で六十万~七十万の戦死者が出た。日露戦争の戦死者は56162人で、「大坂夏の陣を含む近代以前の大戦争の記録は、塗り替えられた」(p.62)

このあと、日本は第一次大戦の大殺戮には本格的には参加せずに、第二次大戦に参戦するのである。軍事が分からないのも無理はないだろう。兵頭二十八氏の本を読むべし。

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