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2010年4月 8日 (木)

白兵戦について(6)

 日露戦争には欧州各国が観戦武官を派遣していた。機関銃を装備した敵に対しては銃剣突撃は無意味である――という報告がなされて、欧州で陸軍戦術の革新が行われたか? 

 1913年になってもなお、(第一次大戦で仏軍の総司令官になる)ジョフルは戦術に関し、フランス陸軍の任務をこう書いている。
「フランス軍は、その伝統に立ち返り、今後は攻撃以外の方策を認めない。(中略)この成果は尊い血の犠牲があってこそ得られるべきものである。これ以外の考え方はどんなものであろうと、戦争の本質に反するものとして排除されるべきだ」
 ドイツの考え方も似たり寄ったりだった。1899年に定められた歩兵軍規が、ほとんど手を加えられずに1914年まで受け継がれていた。それには攻撃について、こう書かれている。
 
 後方にいる司令官が突撃の決定を下すと、その指示に「構え銃」の号令が出される。(中略)突撃の先陣の隊列が整いしだい、全ラッパ手が「前進、駆け足」の合図を吹き鳴らし、全鼓手が太鼓を打ち鳴らし、兵士たちは全員、捨て身の覚悟で敵に突撃する。この時、敵陣につっこむ瞬間まで支援部隊に追いつかれないようにするのが、散兵の面目である。敵陣が目前に迫ったときには、かけ声もろとも銃剣で突撃し、つっこんでいくべし。
(p.p.95-6)

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 1915年6月の英軍の突撃のシーン。もちろん銃後の画家が想像で描いたものだ。
 イギリスでは、機関銃の採用には独仏以上に消極的だった。1914年の開戦時、歩兵一個大隊にヴィッカーズ機関銃が2丁あったが、実戦に使う用意はできていなかった。
 司馬遼太郎によれば「日本陸軍は、伝統的体質として技術軽視の傾向があった。敵の技術に対しては勇気と肉弾をもってあたるというのが、その誇りですらあった」というが、これは日本陸軍だけの伝統ではなかった。

 機関銃に対する軍の反応は、技術的あるいは財政的配慮にもとづいた理論的なものではなく、時代錯誤的な士官団の伝統に根差すものだった。士官たちの戦争に対する観念は、未だに昔ながらの白兵戦と個人の武勇という信念が中心になっていた。自分たちは戦場で相見えるのであり、そこでは主役は未だ人間であり、勇気と覚悟さえあれば必ず勝てるものだと思っていた。幸運にもイギリス人、あるいはフランス人、ドイツ人に生まれたからには、当然それにふさわしい気質にも恵まれているはずだ。そうした者が、単なる機械に昔ながらの自分たちの特権を奪われるのを容認するわけにはいかない。そこで、機関銃を無視することになった。第一次世界大戦前夜のイギリスの司令官にとっては、機関銃はただ単に存在しなかった。
(機関銃の社会史p.126)

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