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2010年4月12日 (月)

白兵戦について(7)

(第一次世界大戦の)宣戦布告の当時、(パブリック・スクールの)在学生の大半は兵役を志願するには年齢が不足であったが、いずれも適当な口実を藉りて従軍の素志を果たし、そのあるものは遂に生還しなかった。後には徴兵制度に変わったが開戦当初、志願によっていた頃、オックスフォード、ケムブリッジ両大学やパブリック・スクールの学生など、いわゆる、特権階級の子弟が率先して国難に馳せたことは周知のことである。政治上の特権はほとんど失われていたが、なお、社会的には特異な待遇を受けていた彼等の、特権を裏返してそこにともなう義務を潔く果たそうとする希願より出でたことに外ならない。いわゆる『ノブレス・オブリージ』の精神である。
 ピーター・ブレナンの自叙伝の一節であるが、たまたまハロー校で博物学の教師を務めていた彼が、夏休みを利用して教え子の某伯爵の一人息子と自転車旅行に出ている。宣戦布告のニュースを聞くと、二人はそのまま、旅先から自転車を走らせてロンドンに駆けつけ、従軍志願者の長い行列に並ぶ。彼は無事に通るが、少年は十六歳を二十歳と詐ったのを見破られて拒ねられる。ぐるっと回って、また、行列の尻尾につく。三度目に遂々業を煮やした曹長がわざとそっぽを向いている中に、勇躍、関所を通り抜けてしまう。
 それから四年半の後、一人は片脚になって帰り、一人は遂に帰らない。
 ああ勿体ない、イギリスに自転車が二台、余分になった。帰還した日に埠頭ではじめて愛弟子の戦死を聞かされると、ニヤッと笑ってそんな独白をいう。こんな場合ひねくれたことをいってみる癖がイギリス人には多分にある。他人に涙なんか見せられものか。(p.p. 74-5)

2150626

『君死にたまふことなかれ』とはずいぶん違う。「学徒出陣」とも違う。
 しかし、第一次大戦時のイギリス兵も多くは機関銃に向かって無謀な銃剣突撃をさせられて死んだのだ。上層部が愚かだったのは日本陸軍だけではない。

17mitailleurgroepverdun

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