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2010年6月19日 (土)

琴光喜

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「これが十年前、櫛簪巾着ぐるみ意見をもらった姐さんに、せめて見てもらう駒形のしがねえ姿の横綱の土俵入でござんす」
 でしたっけ。
 ずっと昔から、やくざと強いつながりがあることは分かっていたはずだ。今さら騒いでもね。

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2010年6月15日 (火)

プロレス&ボクシング

 最近は毎月23日になるとゴン格を買うことにしている。紙プロは立ち読みだけ。
 ずっと昔は、ベースボールマガジン社が『プロレス&ボクシング』という雑誌を出していた。

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 1970年(昭和45年)7月号の写真は『プロレス爆裂地帯!』というブログから拝借しました。http://white.ap.teacup.com/corona/844.html
 すごいブログです。ファン必見。
 この雑誌はこれより10年以上前から出ていた。私がまだ子供のころ、叔父が毎月取っていたのを見せてもらっていた。
 何十年も前なのだけれど、記事の内容を一つだけ覚えている。記者がデストロイヤーにインタビューしていた。

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デストロイヤー「君ね、力道山がなぜ短いパンツではなくてロングタイツをはいているか、分かるか?」
記者「分かりません。なぜですか?」
デス「リキの脚が短くて曲がっているからだよ。奴は自分のみっともない脚を隠したくてロングタイツをはいているんだよ」
記者「デストロイヤーさん、あなたがマスクをかぶっているのはなぜですか?」
デス「……」

 記者が足四の字固めをかけられたのだったかな? そこまでは覚えていない。

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2010年6月14日 (月)

伝記と小説

丸谷 ……ボスウェルの人柄については変な話があって、ボズウェルの遺族は『ジョンソン伝』によって収入があったし名声も上がったけれど、あの本をとても嫌がったというんです。なぜかというと、ボズウェルはジョンソンの引き立て役をするために、自分はまるでバカみたいにふるまって話を展開している。それを読者は真に受けて、ボズウェルという男はバカみたいなことばかりいっていると思って笑う。それが耳に入ってくるので遺族は嫌がったというんですよ。
 それで思うのは、シャーロック・ホームズとワトソンの関係、ワトソンが「それに私は気がつきませんでした」なんていうと、われわれは腹が立ってきて、「このバカ」なんて思う。それと同じように十八世紀のロンドンの市民は、「このボズウェルのバカ、そんなことも気がつかないのか」とか思ったでしょうね。
……ボズウェルはぼけ役で、ジョンソンのつっこみに対して徹底してぼけを演じた。対話文学ではぼけ役は必ずそういう目に合うわけですが、それを平気でやるところが大変な才能ですね。ひょっとするとコナン・ドイルは『サミュエル・ジョンソン伝』のせいでワトソンという例の人物を思いついたのかも知れませんね。
(丸谷才一)

「ひょっとすると」どころか、確実にさうでせうね。ホームズに「ボズウェルがゐてくれないと僕は途方に暮れてしまふ。I am lost without my Boswell.」と言はせてゐるくらゐだから。
 ドイルは、ワトソンにホームズの伝記を書かせるようにして、シャーロック・ホームズ譚を書いた。ただし、伝記的事実は、フランスの大画家ヴェルネの曾孫だという話などのほか、少ししか明らかにしていない。
 我々は「ドイルはワトソンみたいな人だった」とつい考えてしまうけれど、そんなことはあり得ない。ホームズ並の推理を操る能力があって、これは作品の中だけではなく、実生活でも駆使した。ジョージ・エダルジの冤罪を晴らした手際などは水際立っている。そういう人がぼけを演じて見せたのだ。

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 グレアム・グリーンは、ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝について
「コナン・ドイルはワトソンと比べられることがあまりにも多かったが、この伝記ではピアソン氏がワトソン役を務めて、イエズス会の教育が作った奇妙な謎の人物、シャーロック・ホームズの心を持ったドイルを語るのである。」
 と書いている。さすがに分かっていますね。
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_49b0.html
 

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2010年6月13日 (日)

文学の終り?

何故 近代文学は終わったのか?
読者がいなくなったからだ。しかし、書き手がいなくなったわけではない。とすると、むしろ清々するではないか。もう商品をこさえなくともよいのだから。書くことと商品をこさえることとはどうもしっくり結びつかなかった。優秀な書かれた商品はこれからも続々と出現するだろう。だが、間違いなく商品でない作品も書かれるだろう。そのことも、この本には記されている。
(アマゾンの読者レビューより)
(村会議員が田中角栄の口真似をしてはいけませんよ。)

 小説の終焉という命題を出してみたけれども実際はあまり人気を呼ばなかった。批評家というのは、人気を呼ぶトピック、話題を出すのが仕事だという面があるでしょう。やはり商業ですから。だから、これは当たるんじゃないかと考えて出してみて、当たらなかったら引っ込めるんですね。職業的習性。それで引っ込める。最初はそれに乗って、うん、たしかに小説は終ったようだと考えていた読者も、終らなかったら終らないでいいじゃないか、長篇小説を読めばやっぱりおもしろいし、というような面があるんじゃないかという気がするんですよ。何だか間抜け落ちみたいな話だけれども。
(丸谷才一、インタビューなので新かなづかい)

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2010年6月 7日 (月)

しばらくは静かに?

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甘いよ。ちゃんと頭を潰しておかなくてはだめ。

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