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2010年6月14日 (月)

伝記と小説

丸谷 ……ボスウェルの人柄については変な話があって、ボズウェルの遺族は『ジョンソン伝』によって収入があったし名声も上がったけれど、あの本をとても嫌がったというんです。なぜかというと、ボズウェルはジョンソンの引き立て役をするために、自分はまるでバカみたいにふるまって話を展開している。それを読者は真に受けて、ボズウェルという男はバカみたいなことばかりいっていると思って笑う。それが耳に入ってくるので遺族は嫌がったというんですよ。
 それで思うのは、シャーロック・ホームズとワトソンの関係、ワトソンが「それに私は気がつきませんでした」なんていうと、われわれは腹が立ってきて、「このバカ」なんて思う。それと同じように十八世紀のロンドンの市民は、「このボズウェルのバカ、そんなことも気がつかないのか」とか思ったでしょうね。
……ボズウェルはぼけ役で、ジョンソンのつっこみに対して徹底してぼけを演じた。対話文学ではぼけ役は必ずそういう目に合うわけですが、それを平気でやるところが大変な才能ですね。ひょっとするとコナン・ドイルは『サミュエル・ジョンソン伝』のせいでワトソンという例の人物を思いついたのかも知れませんね。
(丸谷才一)

「ひょっとすると」どころか、確実にさうでせうね。ホームズに「ボズウェルがゐてくれないと僕は途方に暮れてしまふ。I am lost without my Boswell.」と言はせてゐるくらゐだから。
 ドイルは、ワトソンにホームズの伝記を書かせるようにして、シャーロック・ホームズ譚を書いた。ただし、伝記的事実は、フランスの大画家ヴェルネの曾孫だという話などのほか、少ししか明らかにしていない。
 我々は「ドイルはワトソンみたいな人だった」とつい考えてしまうけれど、そんなことはあり得ない。ホームズ並の推理を操る能力があって、これは作品の中だけではなく、実生活でも駆使した。ジョージ・エダルジの冤罪を晴らした手際などは水際立っている。そういう人がぼけを演じて見せたのだ。

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 グレアム・グリーンは、ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝について
「コナン・ドイルはワトソンと比べられることがあまりにも多かったが、この伝記ではピアソン氏がワトソン役を務めて、イエズス会の教育が作った奇妙な謎の人物、シャーロック・ホームズの心を持ったドイルを語るのである。」
 と書いている。さすがに分かっていますね。
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_49b0.html
 

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