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2010年7月10日 (土)

エドワード七世の虫垂炎手術

 エドワード7世(1841-1910)は、1901年1月22日、母ヴィクトリア女王の死と同時に即位した。

「女王さまが亡くなられた。王さまばんざい The Queen is dead! Long live the King!」

 戴冠式は1902年6月26日にウェストミンスター・アベイで行われる予定であった。
 ところが6月24日になって、王が虫垂炎に罹っていることが判明した。
 麻酔術はすでに50年前に発明されていたので、手術は可能であった。ところが虫垂炎の手術例はまだほとんどなく、初期死亡率は50%を越えていた。
 エドワードは手術を嫌がったので、王室付き外科医のフレデリック・トリーヴズ(1853-1923)は有名な先輩外科医のジョゼフ・リスター(1827-1912)に王様を説得してもらった。リスターはエドワードを
「どうしても手術は嫌で、明後日の戴冠式に出席したいと仰せられますか? それでは殿下は死体として式に臨席なさることになります」
と脅かして手術に同意させた。
 トリーヴズはリスターの援助を得て、腹部に開けた小さな穴から虫垂を切除することに成功した。二週間後、王様が危機を脱したことが発表されて国民を安堵させた。戴冠式は8月9日に行われた。同じ日にコナン・ドイルはナイトの位を受けたが、シャーロック・ホームズはこれを断った。もちろん、ドイルと同席するわけには行かなかったからである。

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 この手術の成功により、虫垂炎は手術療法が主流となった。近年になって内視鏡手術が始まるまで、術式はこのときからほとんど変わらなかったようだ。
 フレデリック・トリーヴズはこの功績によって準男爵に叙せられた。トリーヴズは1886年にエレファント・マンをロンドンに連れてきたことでも有名である。

 エドワード七世の病気が虫垂炎手術の普及のきっかけとなったというのだから、それまで内臓の手術はほとんど行われていなかったのだろう。
 ジョン・H・ワトソン(1852-?)は1878年に「陸軍外科医」になった。彼は1880年7月3日のマイワンドの戦いで負傷し後送されたので実績は余りないのだが、軍医として執刀したのは、弾丸の摘出、銃剣や刀による傷の治療、化膿した手足の切断などのケースがほとんどだったはずだ。内臓手術の経験はなかったと思う。
 1901年に北里柴三郎が第一回ノーベル医学賞をもらい損ねている。このころは近代医学の黎明期であった。

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