« ブラジリアン物理学 | トップページ | 広瀬武夫とサンボ(2) »

2010年9月 6日 (月)

広瀬武夫とサンボ(1)

 和良コウイチ『ロシアとサンボ』が出るまでは日本サンボ連盟でさえも軍神広瀬武夫をサンボの起源に擬していたらしい。
  増田俊也氏によると
http://blog.livedoor.jp/masuda_toshinari/search?q=%E5%BA%83%E7%80%AC
「和良さんは長年信じられていた軍神広瀬武夫による伝播説を、このなかで完全否定し、日本サンボ連盟はこの和良さんの説をとり、公式ページからその記述を消した。」

 日本サンボ連盟まで広瀬武夫説をとっていたのは、一つにはソ連時代の極端な「ロシア起源説」への反動だろう。飛行機はライト兄弟より早くナントカスキーが発明した、ロケットはカントカスキーだ、サンボも……。スターリンが後ろ盾だから、ウリナラ起源説どころの騒ぎではなかった。
「ソ連各地の民族格闘技? 何民族の何という格闘技? 関節技はあったの?」と反問しても答えはない。そちらがそう来るなら、こちらだって軍神広瀬武夫を持ちだす権利があるというものだ。
 「広瀬武夫の影響」説にはヴァリエーションがある。

 「広瀬武夫大尉がコワレフスキー少将と知り合って親しくなり5カ月ほどたった1900年(明治33年)1月下旬に、コワレフスキー邸で上級将校を招待して晩餐会が開催されました。広瀬大尉も特別に招待され、その時にコワレフスキー少将の勧めで柔道を紹介する羽目になり、若手の大男の少将を相手に一本背負い投げで投げ飛ばして喝采を浴びたということです。その後、軍の参謀本部の将校を中心に柔道を教えたということです。このことが後のサンボの成立に影響を与えたと考えられる一つの事実であると思われます。」

 上は愛知県サンボ連盟のサイトhttp://www5.ocn.ne.jp/~ysc2/sambotojudou.htm にある。
 この記述は、島田謹治『ロシヤにおける広瀬武夫』(ロシアではなくロシヤ)に出てくる挿話と一致する点がある。しかし「大男を投げ飛ばして喝采を浴びた」とは島田氏の本にも書いてあるが、この「柔道の技の披露」はどうも一場の座興というおもむきである。

「その後、軍の参謀本部の将校を中心に(広瀬武夫が)柔道を教えたということです」というのはどういう史料によっているのだろう? 事実なら広瀬が報告書を書かなかったはずがないだろう。

|

« ブラジリアン物理学 | トップページ | 広瀬武夫とサンボ(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/36559056

この記事へのトラックバック一覧です: 広瀬武夫とサンボ(1):

« ブラジリアン物理学 | トップページ | 広瀬武夫とサンボ(2) »