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2010年9月18日 (土)

嘉納治五郎対シャーロック・ホームズ(3)

 シャーロック・ホームズは、護身術としては打撃技だけで十分だと思っていたが、1887年(明治20年)4月に「組み討ち系」の格闘技の必要性を実感させるできごとがあった。
 4月14日にワトソンはリヨンから電報を受けた。ホームズがオテル・デュロンで寝込んでいるというのである。ワトソンがホテルに急行してみると、ホームズは極度の過労が原因で倒れたのであった。ワトソンはさっそくホームズを連れて帰り、サリー州ライゲイトにある長年の友人ヘイター大佐の邸に二人で滞在させてもらうことにした。
 ところがホームズの行くところに事件が起こらないはずがない。彼はカニンガム父子を相手にすることになったが……
 証拠をつかんだと思ったら、父子が立ち向かってきたのだ。まず先にかかって来た息子のアレック・カニンガムに左ジャブをかませたが、驚いたことに相手はパンチを物ともせずに強烈なタックルでホームズをテイクダウンした。すぐに親父の方ものしかかってきて二人でホームズを

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 ワトソンとヘイター大佐が助けてくれたからよかったようなものの……打撃技だけでは足りない。グラップリングをマスターしなければ、とホームズは痛感したのであった。カニンガム父子はボクシングの経験がありレスリングはベテランであった。アレックはジャブを受けても断固としてタックルに飛び込めばテイクダウンでき、あとは寝技で勝てると見たので実際にその通りだった。(ミルコ対藤田戦のようにタックルに対してキックを合わせることができれば別であるが……)
 しかし組技、寝技が必要だと実感したとして、ホームズはなぜ英国伝統の「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」に向かわなかったのだろうか?
 フランスから英国にも波及してきていたジャポニスムが関係しているようだ。

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