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2010年9月20日 (月)

谷幸雄の飛びつき腕十字

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 1905年ごろの絵葉書。マネージャーのアポロを相手に飛びつき腕十字のデモンストレーションをする谷幸雄。
http://www.bartitsu.org/index.php/2010/06/yukio-tanis-flying-armbar/
 アポロは本名ウィリアム・バンキア、ミュージックホールに出演して怪力芸を見せていた。
 アポロはウィリアム・バートン=ライトが開いた「バーティツ」の道場を見学に行った。そこでインストラクターを務めていたのが谷幸雄である。アポロは「あんなチビが強いはずはない」と思ったから手合わせを所望した。ところが三角締めでいとも簡単にやっつけられてしまった。ちっぽけなジャップは汗一つかかずににやりと笑って「どうだ、参ったか」というのだった。感心したアポロはマネージャーになって谷幸雄を売り出しにかかった。「スモール・タニ」はたちまち有名になった。
 谷は英国各地のミュージックホールや劇場を巡業した。「柔術着着用」「関節技・絞め技あり」の条件で戦う限り、どんな大きな相手にも負けなかった。谷に勝てば賞金100ポンド、勝てなくても15分間ギブアップせずに戦えば賞金25ポンドを提供するとしたから挑戦者には事欠かなかった。谷は年間500人ほどを相手に戦う巡業を何年にもわたって続けた。谷は日本人の三宅太郎に一敗した以外は不敗であった。15分以上戦って賞金25ポンドを獲得した者は数人いるようだ。

Hackenschmidt

 1903年11月には、谷はプロレスのチャンピオンであったジョージ・ハッケンシュミットに挑戦状を叩きつけた。自分と柔術着着用で戦ってみろというのである。ハッケンシュミットは「裸でグレコローマンスタイルでならば戦ってもよい」と答えて戦いを避けた。

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