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2010年10月 2日 (土)

嘉納治五郎対シャーロック・ホームズ(7)

 ホームズが驚いたのは、この日本紳士が完璧な英語を話すことだった。
(ホームズの日記続き)

 嘉納流柔術の哲学が話題になった。嘉納氏曰く。
「私は自分の流儀をジュードーと称しておりますが、これは従来のジュージツと特に異なるものではない。ジュードーとジュージツに共通の「ジュー」は、支那文字では「柔」と書く。この字はgentle, flexible, pliantというような意味である。「柔」すなわち「弱」であると思う人がおるが、とんでもない間違いであります。ジェントルな者は心身ともにしなやかで柔軟である。ところが「柔」の反対の「剛」である者は、かたくなで融通が利かぬ。「柔」は大段平ではなく、よくしなう細身の利剣である。ここに体重18ストーンの男があって、私にかかってくるとする。私は大きくない。体重はわずか9ストーンだ。相手が全力でくれば、がんばって抵抗しても倒れるしかなかろう。ところが相手の力に逆らわず「押さば引け、引かば押せ」でもっぱらバランスに意を用うれば、相手の方がバランスを失う。結果的に相手は全力を出せぬことになる。こちらはバランスを保っておるから力を失わない。相手より強くなり半ばの力で敵を制することができる。残りの半ばはほかの用に使うことができる。こちらが初めから相手より強い場合でも逆らわず受け流すのがよろしい。そうすれば力を蓄えつつ敵を消耗させることができるのです」
  もちろん私(ホームズ)は直ちに理解した。柔術では攻撃してくる力をそのまま敵に向けて勝つのである。勝つと思うな思えば……

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 いや、これは少々俗に堕したか。私は旧約の伝道之書の一節を思い出したのでこれを引用した。「まことに暴力は暴力を振るう者にかえってくるのですな。坑を掘る者はみづから之におちいり石垣を毀つ者は蛇に咬まれんとあります」
「なかなか深遠な言葉ですな(嘉納の教養の基礎は漢学であり聖書は知らなかった)。私どもは「柔よく剛を制す」と申しておりまするが、原理は同じであります」

*この言葉 Violence does, in truth, recoil upon the violent, and the schemer falls into the pit which he digs for another.’はある事件でホームズが口にしたのをワトソンが記録している。

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