« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月30日 (土)

ボクシングとレスリング(4)

 ボクシングは殴り合いである。ただ、クィンズベリー・ルール以前には取っ組み合い(wrestling)も合法だったから、たとえばクリンチからすくい投げで相手を地面に倒すことはできた。しかし倒れた相手に対する攻撃は禁止されていたから、レスリングとは別の競技だった。
 英国のレスリングでは殴り合いはなかった。パンチはもちろん、空手チョップなども禁止だったようだ(第1次世界大戦以後のプロレスは別)。ただし蹴りが許される場合があった。柔道か柔術か(39)で引用した『イングランドにおけるレスリング略史』の一部。

 昔からイングランドのレスリングには二つの中心があった。一つは南西部地方でデボンシャー・コーンウォール・スタイルが発達し、もう一つの北部地方ではカンバーランド・ウェストモーランド・スタイルが発達した。
 19世紀前半にはエイブラハム・カン(1794?-1864)が活躍し、イングランド中の誰とでも500ポンドを賭けて戦うと宣言していた。カンはデボンシャー・スタイルのレスラーであった。デボンシャー式のレスラーは、試合中に相手を蹴るので非難された。蹴りはデボンシャーでは正当な行為でありルールで認められていたが、コーンウォールでは認められなかった。コーンウォール人の多くはデボンシャーのレスラーの相手をするのをいやがった。デボンシャー・スタイルの擁護者は、この少々乱暴なスタイルこそが古典的なのであって昔のギリシャ人も試合中に蹴り合っていたと主張するのであった。

 この蹴りは空手のような蹴りではなく、組み合ってから脛を蹴り合ったようだ。詳しくは次のサイト。http://www.legendarydartmoor.co.uk/wrest_ling.htm

Wrestling3_2

 このサイトによると、1890年代にベアリング・グールド(1834―1924)という人(シャーロック・ホームズ研究家のベアリング・グールドとは別人)が、子供時代の思い出として上のイラストのような試合を見たことを語っている。
 デボンシャーはイングランドの南部の州である。コーンウォールはその西にある州。『バスカヴィル家の犬』の舞台になったダートムアはデボンシャー州にある。

Englanddevon

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年10月28日 (木)

ボクシングとレスリング(3)

 昨年、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの意味(3)
という記事を書いて、そこで那嵯涼介氏がGスピリッツVOL9に書いた記事を引用した。その記事ではビル・ロビンソンが

Robinson

「イギリスには昔から"オールイン(ALL-IN)"と呼ばれる試合形式があったんだ。ベアナックルボクシングとCACCをミックスしたものだと思ってくれたらいい。クリスマス近くには"ボクシング・デー"と呼ばれる日があって、毎年その日にはオールインの興行が開かれるんだ。……」
 
と言っている。
 CACCはcatch-as-catch-canの略だという。
 英語の用法を歴史的に見ればcatch-as-catch-can=freestyle (wrestling)であることは明白だ。この点については何度も詳しく書いた。まとめたのが キャッチ・アズ・キャッチ・キャン再論 と フリースタイル・レスリングの歴史 だ。
 しかし那嵯氏は「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」とはフォールだけでなくサブミッションによる決着をも包含するレスリングだと主張している。詳しくはGスピリッツ誌。また那嵯氏にはブログThis is Catch-as-Catch-Can がある。

 私は、那嵯涼介氏が紹介するビル・ロビンソンの発言はまったく間違っていると思う。ボクシングとレスリングを「ミックスしたもの」などなかった。

 毎年ボクシング・デー(12月26日)に「オールイン」の興行があった? 何年から何年まで? どこで?   
 仮に「オールイン」が「ベアナックルボクシングとCACCをミックスしたもの」ならば、パンチあり、投げ技あり、寝技あり、サブミッションホールドあり、という激しい試合のはずだ。現在のMMAからキックを取り除いたものみたいだ。絞め技はあったのかな? パウンドはどうだろう? 何年何月何日に誰対誰のどういう試合があったか、記録は残っていないのか?
 
 ボクシングには試合の記録が残っている。前回に触れたウィリアム・トンプソン対ベン・カウントの試合は、1838年4月3日に300ポンド懸賞試合として行われた。戦いは75ラウンド続いた。レフリーがカウントの勝ちを宣告したが観客は納得せず暴動になった。詳しい経過はたとえばウィキペディア英語版のWilliam Thompson(boxer)を見よ。

 レスリングにも試合の記録がある。
 私が以前に紹介したのは20世紀初めのグレート・ガマ対ズビスコの試合だった(インドのキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(1)-(5)) 。これを見れば「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」に那嵯涼介氏の言うような意味はないことが分かる。ガマとズビスコはプロレスラーだったが、現在の「フリースタイル」のルールで戦ったのだ。サブミッションはなかった。
 もう少し昔、たとえば19世紀初めにはサブミッションありの「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」の試合が行われたのかな? 那嵯涼介氏が一試合だけでもよいから、「いつどこで誰と誰のどういう試合が行われたか」を教えてくれることを期待したい。
 ビル・ロビンソンの言う「オールイン」、すなわちボクシングとレスリングを「ミックスしたもの」は、いつどこで行われたのか? たとえば「パンチで倒してアームロックでギブアップを奪う」というような試合があったのか。記録があればぜひ見たいが……(オールインについて 参照)

 しかし、ボクシングとレスリングはまったく別のもので、両者の「合体」や「ミックスしたもの」などはなかったのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月27日 (水)

祝文化功労者

31zcyh6xvpl

寒い朝でもせにゃならぬ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月26日 (火)

ボクシングとレスリング(2)

Pd724746

  これは亀田よりひどいですね。しかしこの試合が1838年にイングランドで行われたときは反則ではなかった。ウィリアム・トンプソン対ベン・カウントの試合である。両者は1834年に一度戦ったが、このときはカウントが倒れている相手を殴って反則負けになった。1838年の再戦では第75ラウンド(!)にトンプソンが戦意喪失して負けを宣告された。カウントがイングランドのヘビー級チャンピオンを名乗った。
 クリンチから投げ技をかけるのは完全に合法だった。下のイラストでは右側の選手が内掛をかけている。
 
Ist2_4409026bareknucklefight  

  こういうイラストを見て「ボクシングとレスリングの合体」があったと思うのは早計である。たいていは解説のテキストがついているからよく読んでみることだ。
 テキストを読むと、19世紀初めのボクシングでは Wrestling was permitted. と書いてあるかも知れない。しかし「レスリングが許されていた」のだから、やはりレスリングとの合体でしょう、というのは間違い。
 Wrestling=レスリングではない。Weightlifting=ウェイトリフティングでないのと同様である。日本語でウェイトリフティングというと、「オリンピック競技の重量挙」のことだ。ところが英語では「重りを持ち上げること」という意味にすぎないのだから、単なるボディビルのことを英語でweightliftingと書いてある例はたくさんある。同様にwrestlingは「取っ組み合い」であるから「レスリング競技」に限らず、クリンチから投げを打つこともwrestlingに含まれる。
 この意味のwrestlingが明確に禁止されたのは1867年制定のクィンズベリー・ルールからである。それ以前のロンドン・プライズファイト・ルール(1838年制定)では、噛み付き、頭突き、ローブローは禁止だったが、wrestlingは合法だった。クィンズベリー・ルールでは同時にグローブ着用が義務づけられた。しかしグローブ着用の方はすぐには広まらず、試合はベアナックルで行われることが多かったようだ。1882年に「グローブをつけないボクシングは双方合意の上でも傷害罪になる」という判決が出て、英国でベアナックル・ボクシングの時代が終わったとされる。
 シャーロック・ホームズ(1854―)もコナン・ドイル(1859―1930)もクィンズベリー・ルールを知っていたから、「クリンチからの投げは卑怯だ」という意識があったようだが、同時に「素手で殴り合うのが本当だ」と思っていたらしい。
 伝記によれば1882年ごろ、ドイルは友人のバッドと戯れにグローブをつけてスパーリングをやったが、パンチをかわすうちに本気になってきて「素手で来い」ということになりかけた。
コナン・ドイルとボクシング(2)
  それはともかく、競技としてのレスリングとボクシングはあくまで別のものであった。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月25日 (月)

ボクシングとレスリング(1)

 摂政時代はイギリスのボクシングの黄金時代であった。18世紀の初めから盛んになったボクシングは、今日的な意味からすれば、ボクシングとレスリングの合体したものと考えることができる。…………(ジャック・ブロートンは)1743年に8項目からなるルールを定めた。それを見ると、まだリングというものは特に指定されておらず、舞台の中央に1ヤード四方の四角をチョークで描き、戦う者がそこまでくれば戦闘意欲があるとみなして何十回でも続行した。またルールの中には「相手が倒れたら殴ってはならないし、臀部、ズボンなど腰から下をつかんではならない」というのもあって、逆にレスリングまがいの実態をうかがい知ることもできる。実際にイングランドのチャンピオン戦でも、片手で相手の髪をつかみ、もう片手で殴るといった事例もあったという。
(富山p.207)

1198591_2

 下線部は間違いです。「ボクシングとレスリングの合体」ではありません。両者は明確に別のものだった。
 しかし『シャーロック・ホームズの世紀末』の著者富山太佳夫氏は英文学者であって格闘技研究家ではないのだから、これくらいの間違いを責めるのは酷だろう。
 実際、上のイラストのような戦い方をしたのだから、ふつうの人が「これではまるでプロレスじゃないか」と思うのは無理からぬところだ。左側の選手が1792年から95年までイングランドのチャンピオンだったダニエル・メンドーザ(1764―1836)である。彼は身長5フィート7インチ(170cm)、体重160ポンド(72.6kg)というミドル級の体格で大男を相手に戦って第16代イングランド・チャンピオンになった。それまでのボクサーは力任せに殴り合うだけだったが、メンドーザは初めてサイドステップ、ダッキング、ブロッキングなどで相手のパンチをかわして「打たれずに打つ」という科学的ボクシングの元祖になった。下の図では両拳を上げて顔をガードしている。

Daniel_mendoza

 メンドーザは、上のイラストのように今日では反則になる戦い方をしたのだが、「片手で相手の髪をつかみ、もう片手で殴る」というやり方を「された」のも彼である。1795年、ジョン・ジャクソンという男の挑戦を受けた。この相手はメンドーザより5歳若く、4インチ(10cm)高く、42ポンド(19kg)重かったが、チャンピオンの長髪を片手でつかんでもう片手で殴るという手に出た。メンドーザはさんざんに打ちのめされて10分ほどでギブアップした。以後ボクサーは髪を短く刈るようになった。
 摂政時代(Regency)は1811年から1820年である。この「イギリスのボクシングの黄金時代」を描いているのが、コナン・ドイルの『ロドニー・ストーン』である。メンドーザも重要な登場人物であるが、すでに引退してパブの亭主になっている。彼はボクシング学校を開き、著書The Art of Boxingは広く読まれた。
 しかし、ボクシングとレスリングの区別の話だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月24日 (日)

秘書が

Cfc5531bbca512066146e5384f7cc030
  このとき小沢一郎氏は、自民党の幹事長であった。

竹下派、特に金丸の意向によって成立した第1次海部俊樹内閣では金丸の推薦により47歳の若さで党幹事長に就任。金丸・竹下とともに、政権の実質的な実力者となり、ねじれ国会下で公明党など野党とのパイプを駆使して国会対策にあたった。リクルート事件後初の総選挙で苦戦が予想された第39回衆院選を、自由主義体制の維持を名目に経済団体連合会(経団連)傘下の企業から選挙資金300億円を集めて勝利。首相である海部をしのぐ権勢や集金力から「剛腕」と称された。(ウィキペディア)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月19日 (火)

テロとの戦い

 2004年12月11日、ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるホルム小学校では、十歳の女生徒がカバンに入れていた八インチ(約20センチ)のはさみを見つけた。校長が警察に通報、すぐに地元の警察が現れ、女児はすみやかに手錠をかけられて連行された。

 2007年7月18日、カンザス州出身の八歳の少年は、コロラドの空港のチェックイン・カウンターで搭乗を拒否されている。
 理由を聞くと「テロリストですから、お乗せできません」との回答。詳細を調べてもらうと、少年と同姓同名の男性が、テロ容疑者リストに警戒レベル3で記載されていたという。

 2008年4月3日、アラバマ州にあるウェストエンド小学校で六年生の男子生徒ふたりが逮捕された原因は、死神のノートに名前を書かれた人が死ぬという内容の、日本のアニメ『デスノート』だった。
 彼らがアニメを真似てノートに他の生徒や教師の名前を書き、「デスノートごっこ」をしているのを見た教師が校長に連絡したのだ。学校側から通報を受けて少年達を逮捕した警察は教師たちを厳しく注意したという。
「『テロとの戦い』の最中ですから、こうした危険な行動は見逃せません。
 先生だけでなく親御さんにも、子供たちが見ているマンガや友達との会話、遊びの内容をしっかり監視してもらわないと」
 いくつかの州では警察が子供たちに「友達が怪しげな行動をとった時に、近くの大人に知らせる方法」をビデオを使って教える時間を設けている。
「デスノートごっこ」をした少年たちは、裁判手続が取られたのち、学校側から無期停学処分が言い渡された。
(p.p.113-115)

Imagescah2hqpc

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月18日 (月)

ノーベル賞飴

H3548

 拝啓 時下ますますご清祥にお過ごしのこととお慶び申し上げます。日頃は格別のご愛顧を賜り厚く御礼申し上げます。
 この度は弊社商品に関し、大変結構なご意見を頂き誠にありがとうございました。私共は日頃から皆様方に喜んで頂けます、よりよい製品を提供させて頂くことを願いまして商品企画にあたっておりますと、このようにお便りを頂戴する事が何よりうれしく励みとなります。
 お問い合わせの「ノーベル賞飴」はお客様のご要望の声が少なくなり、販売を続けることが困難となってしまいました。現在は、すでに廃盤商品となっており、再度商品化を行う予定はございません。また、在庫もない状態となっております。
 今後も、皆様に愛される商品づくりに努力して参りたいと思いますので、ご支援のほどよろしくお願い致します。
末筆ながら、**様のご健康をお祈り致します。

敬具

ノーベル製菓株式会社

〒544-0004
     大阪市生野区巽北4-10-2
電話:06-6751-1171(代表)
e-mail:inq@nobel.jp

1104951

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月17日 (日)

ワタヤノボル

――『ねじまき鳥クロニクル』での、トオルの義理の兄のノボルはとてもユニークな登場人物です。テレビに出て政治や経済にコメントする一方で、自分では何も信じていないメディア専門家です。何もかも戦略にすぎないと言っていますよね。何が彼をそういう風にしたんでしょう?

村上 僕はテレビをほとんど見ませんが、一日かけて朝から晩までテレビを見れば、この手の人物を創り上げるのは簡単なことです。口は達者だが、底は浅い。皮相的です。そういう人物は日本にもたくさんいるし、アメリカにもたくさんいるでしょう。多くの意味合いにおいて危険な連中です。とくにナショナリスティックな色合いを帯びた場合には。笑い飛ばすことはできるが、それだけではすまないこともあります。

Masuzoeyouichirou

 もちろん村上春樹はワタヤノボルを「創り上げた」のだけれども……

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月12日 (火)

「実家」の誤用

(1) 離婚の危機をもまねく! 実家依存症の妻たち

(2)「都内に実家があるのに、どうして早々と家を出て、ひとり暮らしとかしちゃうわけ? しかも女なのに」
と、実家暮らしの男女からよく聞かれるので、自分なりに理由を考えてみました。

(3)8月に札幌で発生した連続女性暴行事件(後に一人は死亡)で逮捕されたと同姓の江別の不動産業者が、インターネット上で「容疑者の実家」と事実無根のデマを流布された問題は、この業者が10万枚の打ち消しチラシを配布、業界団体も文書を出すなど、地域ではうわさも収まりつつある。また、ネット上でも新たな書き込みはなく終息してきた。

(4) 私の大学の先輩()でも、育児をしているなどと揚言していたのがいたが、麻布高校卒現役で東大工学部卒、モテモテで、山一証券と厚生省の両方受かったが賃金がいいので山一、潰れるのを前もって察知したか別の証券会社へ移っていたというエリート中のエリート、背は高く実家は東京都内の医師で、かといって浮気をして家庭を壊すような人ではないと、そういう人である。

(1)は正しい。(2)(3)(4)は誤用だ。実家とは「お嫁に行った女の実の親の家」のはずだ(「婿養子に入った男の実の親の家」の場合もあるかも知れないが)。
 広辞苑には次のように書いてある。しかし、これは辞書が間違っている。

じっか【実家】
①自分の生れた家。父母の家。「―に帰る」
②婚姻または養子縁組によって他家に入った者から元の家をいう称。「家」の制度の廃止により法律上は廃語となった。さと。

 昔はふつう男は「実家」を使わなかった。

 遠路わざわざ拙宅まで御出披下候よし恐縮の至に存候。その節何か愚兄より御話申上候由にて種々御心配ありがたく存候。小生は教育上性質上家内のものとは気風の合はぬは昔よりの事にて、小児の時分よりドメスチック・ハッピネスなどいふ言は度外に付しをり候へば今更ほしくも無之候。……
(明治28年12月18日 正岡子規宛)

 漱石は28歳で中学教師として松山にいた。東京にいる子規が新宿の夏目家を訪ねて家督を継いでいる「愚兄」と話をしたのだ。
「遠路わざわざ小生の実家まで御出披下候よし」などとは書かなかった。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2010年10月11日 (月)

フランスの柔術

H4

Le Petit Parisien was a prominent French newspaper during the French Third Republic. It was published between 1876 and 1944, and its circulation was over 2 million after the First World War.
(ウィキペディア英語版)

画像は下記のポルトガル語サイトから。19世紀末だと思うのですが、ポルトガル語は読めないので私には分からない。画像の解像度がもう少し高ければフランス語が読めるのですが。
JUDO TRADICIONAL GOSHINJUTSUKAN柔道
http://judotradicionalgoshinjutsukan.blogspot.com/2010_05_01_archive.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月10日 (日)

祝ノーベル平和賞

Pn2010100801000729ci0003

劉暁波氏の受賞は中国初のノーベル賞だそうです。おめでたいことだ。
菅直人首相はさっそく胡錦濤主席宛に祝電を打つという話です。

わたしも在日中国大使館宛にお祝いのメールを出しておきました。
「劉暁波氏のノーベル賞受賞をお祝い申し上げます。中華人民共和国万歳!毛沢東思想万歳!」
宛先はinfo@china-embassy.or.jp

Top_2

| | コメント (6) | トラックバック (0)

イナゴかバッタか

「いなご」は日本語訳の聖書にたびたび登場し、なかでも有名なのは『出エジプト記』の一節だろう。エジプトからの脱出を求めるモーセの要求を拒むファラオに対して、神が与える10の厄災の一つとして、こう書かれている。
「もし、あなたがわたしの民を去らせることを拒み続けるならば、明日、わたしはあなたの領土にいなごを送り込む。イナゴは地表を覆い尽くし、地面を見ることもできなくなる。そして、雹の害を免れた残りのものを食い荒らし、野に生えているすべての木を食い尽くす」(新共同訳、10章、4~5節)。
 残念ながら、厳密にいえば、これは誤訳である。英訳『聖書」ではlocustとなっているのだが、この単語はバッタ類を指すものであって、イナゴではない。
(『悩ましい翻訳語』p.24)

「汝もしわが民を去しむることを拒まば明日我蝗をなんぢの境に入しめん。蝗地の面を蔽て人地を見るあたはざるべし。蝗かの免かれてなんぢに遺れる者すなはち雹に打のこされたる者を食ひ野に汝らのために生る諸の樹をくらはん」(文語訳聖書)

 いなごの大群は山を越えてやってきた。はじめのうち、それは巨大な暗雲に見えた。次にぶうんという地鳴りがやってきた。いったい何が起ころうとしているのか、誰にもわからなかった。アイヌの青年だけがそれを知っていた。彼は男たちに命じて畑のあちこちに火を焚かせた。あらいざらいの家具にあらいざらいの石油をかけて火をつけた。そして女たちには鍋をもたせ、すりこぎで力いっぱい叩かせた。彼は(あとで誰もが認めたように)やれることはやったのだ。しかし全ては無駄だった。何十万といういなごは畑に降りて作物を思う存分食い荒らした。あとには何ひとつ残らなかった。
 いなごが去ってしまうと青年は畑につっぷして泣いた。農民たちは誰もなかなかった。彼らは死んだいなごをひとまとめにして焼き、焼き終わるとすぐに開墾のつづきにかかった。
(村上春樹、『羊をめぐる冒険』における蝗害(こうがい) 今日の看猫 20090919 から
http://blog.goo.ne.jp/ikagenki/e/bc3a2f9e991933ad222ae257d8f84111

「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎掃き出してしまって一匹も居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜へ棄ててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いで馳け出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり載せて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣り込めた。「篦棒め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕まえてなもした何だ。菜飯は田楽の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。
「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと頼んだ」
「誰も入れやせんがな」
「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」
「イナゴは温い所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」
「馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え」
「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 9日 (土)

やましいところはない

Stt1009141134003p1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 8日 (金)

祝ノーベル化学賞

637734

 提供はノーベル製菓でした。http://www.nobel.co.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 7日 (木)

嘉納治五郎対シャーロック・ホームズ(8)

 ホームズと嘉納は互いに強い印象を受けた。のちにホームズは「凡骨は己を越えるものを理解しないが、英才は天才を知る」と言った。(注)
 ホームズは嘉納教授の下で柔術の研究を始めたと考えられる。初めて会った1889年9月から嘉納が帰国の途につく1891年1月までの間にホームズが引き受けた事件はわずかに3件だけなのである。すなわち『ウィステリア荘』『シルバーブレイズ』『緑玉の宝冠』だけであり、いずれも着手から5日以内に解決している。事件に取り組んでいる時以外は柔術研究に専念したようだ。(嘉納治五郎はずっと英国にいたのではなく、フランスやドイツにも滞在した。ホームズも同行したらしい。)
 嘉納治五郎が日本に去ってから4ヶ月後、すなわち1891年5月4日になって、シャーロック・ホームズは宿敵である悪の巨魁モリアーティ教授とライヘンバッハの断崖上で相見えることになった。

Holmesadventures1985dl

 このときのホームズはすでに柔術(ワトソンはバリツと書いた)の達人になっていたから、二人の対決がどういう結果に終わったかは、ワトソンがホームズの話として『空き家の冒険』で伝えているとおりである。

Empt50

(注)「凡骨は己を越えるものを理解しないが、英才は天才を知る」Mediocrity knows nothing higher than itself; but talent instantly recognizes genius.
  これはホームズが言った言葉ではない。ワトソンが『恐怖の谷』でこう書いているのだ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2010年10月 2日 (土)

嘉納治五郎対シャーロック・ホームズ(7)

 ホームズが驚いたのは、この日本紳士が完璧な英語を話すことだった。
(ホームズの日記続き)

 嘉納流柔術の哲学が話題になった。嘉納氏曰く。
「私は自分の流儀をジュードーと称しておりますが、これは従来のジュージツと特に異なるものではない。ジュードーとジュージツに共通の「ジュー」は、支那文字では「柔」と書く。この字はgentle, flexible, pliantというような意味である。「柔」すなわち「弱」であると思う人がおるが、とんでもない間違いであります。ジェントルな者は心身ともにしなやかで柔軟である。ところが「柔」の反対の「剛」である者は、かたくなで融通が利かぬ。「柔」は大段平ではなく、よくしなう細身の利剣である。ここに体重18ストーンの男があって、私にかかってくるとする。私は大きくない。体重はわずか9ストーンだ。相手が全力でくれば、がんばって抵抗しても倒れるしかなかろう。ところが相手の力に逆らわず「押さば引け、引かば押せ」でもっぱらバランスに意を用うれば、相手の方がバランスを失う。結果的に相手は全力を出せぬことになる。こちらはバランスを保っておるから力を失わない。相手より強くなり半ばの力で敵を制することができる。残りの半ばはほかの用に使うことができる。こちらが初めから相手より強い場合でも逆らわず受け流すのがよろしい。そうすれば力を蓄えつつ敵を消耗させることができるのです」
  もちろん私(ホームズ)は直ちに理解した。柔術では攻撃してくる力をそのまま敵に向けて勝つのである。勝つと思うな思えば……

Getdata
 いや、これは少々俗に堕したか。私は旧約の伝道之書の一節を思い出したのでこれを引用した。「まことに暴力は暴力を振るう者にかえってくるのですな。坑を掘る者はみづから之におちいり石垣を毀つ者は蛇に咬まれんとあります」
「なかなか深遠な言葉ですな(嘉納の教養の基礎は漢学であり聖書は知らなかった)。私どもは「柔よく剛を制す」と申しておりまするが、原理は同じであります」

*この言葉 Violence does, in truth, recoil upon the violent, and the schemer falls into the pit which he digs for another.’はある事件でホームズが口にしたのをワトソンが記録している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 1日 (金)

タワリーシチ

Breznevhonecker

Img_1297281_51251672_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »