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2010年11月30日 (火)

イングランドのレスリング

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   ニュージーランドの新聞スター紙 1904年6月6日号 WRESTLING IN ENGLAND(ロンドン、4月22日発)
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=TS19040606.2.52&e=-------10--1----0-all

 本国のレスリング・ブームは夏が来て終わるかも知れないが、今のところこの競技に対する一般の関心は衰える気配がない。毎晩多くの「チャンピオン」たちが力業をみせるホールには観客が詰めかけている。一流レスラーと見なされる資格のある者同士の金を取れる試合(genuine money match)の範疇に入るものならば会場を満員にすることができる。仰々しく挑戦するとか受けて立つとか、その他新聞紙上でむやみやたらと舌戦が繰り広げられているのであるが、そのなかで最近10日間に本当に金の取れる試合が2試合あった。まずその一つは、ロシア人のリューリックが一方的にやっつけられた試合である。このリューリックは5年前にハッケンシュミットを投げ、この勝利とそれに続く大陸での成功の余勢を駆ってイングランドに来襲したのであるが、マドラリやコドジャリをはじめアントニオ・ピエリの一座を一人ずつ相手にして一晩で片づけてみせると豪語した。これだけ大言壮語したので、結局はグレコローマン式でエルネスト・ジークフリートを相手にして1時間で3回投げることができなければ100ポンド進呈すると申し出ることになった。ジークフリートはピエリ一座の若手の大男であるが、その条件ならリューリックの相手になってもよろしいと言った。それでアルハンブラ劇場で木曜日に行われた試合では、相手のロシア人の100ポンドを安々と得た。リューリックはハッケンシュミット並の体格で、体重は相手より何ストーンか軽く身長もリーチも何インチか劣り体調面でもいくらか下だったが、レスリングの知識でも優位に立つどころではないことが試合経過によって明らかになった。一時間の間両者は取っ組み合って大汗をかいたが、リューリックが相手の大男を投げそうな気配はいっこうになく、試合終了が近づいてくると、問題はリューリックがジークフリートを倒せるかどうかではなくてフォールされないでいられるかになった。巧妙なデフェンスでロシア人の100ポンドを確保しておいてから、ドイツ人は攻勢に出て何度かリューリックをフォールしかけた。実際、大汗で体がヌルヌルになったおかげで、リューリックはほとんど致命的な固め技から何度か逃れることができたのである。

Pc1900lurichstand
[ロシア人レスラーのリューリック]

「谷幸雄、レスリングをする(2)」の英語原文の前半部分です。
 この部分は「1904.4谷幸雄対J・メラー」http://www7a.biglobe.ne.jp/~wwd/PW100703/ では省略してあった。

「本国のレスリング・ブームは夏が来て終わるかも知れない」というのだから、プロレスはボクシングと違って一過性のブームだったことが分かる(1910年ごろまではブームが続いたらしいが)。当時の英国のプロレスはキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(=フリースタイル)が主流だったが、双方の合意によってグレコローマンスタイルで試合をすることもあったようだ。

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2010年11月29日 (月)

谷幸雄、レスリングをする(2)

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 WRESTLING IN ENGLAND.     イングランドのレスリング
 [FROM OUR CORRESPONDENT.]   弊社通信員発
 LONDON, April 22.       ロンドン、(1904年)4月22日

 Another genuine money match was that between Jim Mellor, the English light-weight champion in the Lancashire style, and Yukio Tani, the clever little Jap, which was decided at the Tivoli on Monday. Tani, failing to get on a match in his own style, agreed to venture his long deposited £100 in match with Mellor in the catch-as-catch-can method, and won. He was lucky, no doubt, in getting the decision, for Mellor was the cleverer man at the game, and seemed to have the Jap fairly down on two occasions before the referee gave him the first fall at the end of half an hour’s strenuous work. Having been the aggressor throughout this period, Mellor, who is getting perilously near middle age, was naturally a little distressed when the pair came together. But, instead of husbanding his strength, he once more crowded on full sail and soon had the eel-like Jap on the floor. Tani’s defence, however, was perfect, and, taking advantage of a slip by Mellor, the Jap fixed on an arm lock from which the Lancastrian could not escape, and pressing his man down, Tani secured the second fall in a little over fifteen minutes. The third bout was even shorter, for Mellor was rapidly weakening, and the Jap, after escaping a dangerous body hold, brought his man to the floor. Mellor made a bridge, but had not strength enough to withstand the pressure exerted by Tani, who pinned his man fairly down in ten minutes, and so won the match.

 本当に金を出す値打ちのある試合がもう一試合あった。これはランカシャースタイルのライト級イングランド・チャンピオンのジム・メラーと敏活なチビのジャップ谷幸雄の試合で、月曜日(4月18日)にチボリ・ミュージックホールで勝敗が決せられた。谷は自分の(柔術)スタイルで戦うことを主張したが容れられず、長らく預けてある賞金100ポンドをキャッチ・アズ・キャッチ・キャン式の試合に賭けることに同意し、勝ったのである。勝ちを得たのは確かに幸運だと言えよう。メラーの方がレスリングでは一日の長があり、半時間の死闘の末にレフリーが一本目メラーのフォール勝ちを宣告する前にジャップを二度抑え込んだように見えたからである。この一本目は攻撃し続けだったので、危険なほど中年に近づいているメラーは試合再開のときは少々疲れていたのも当然である。しかしメラーは力をセーブせずにまた全力を出し、ウナギみたいなジャップをマットに倒した。しかし谷の防御は完璧だった。メラーのミスを突いてジャップはランカシャー人が逃れられないアームロックをかけて相手を抑え込み、谷が15分過ぎに二本目のフォールを取った。三本目はもっと短かった。メラーが急速に弱っていたためである。ジャップは危険なボディーホールドを逃れて相手をマットに倒した。メラーはブリッジしたが谷の圧力に抵抗するだけの力はなく、谷が相手を10分でピンフォールして、この試合の勝者となったのである。

◇genuine money match:「本物の賞金試合」ではありません。money matchとは、「お客がお金を出す値打ちのある試合」。それをgenuineで強調している。賞金試合はprize matchという英語でしょう。参考までに、英語版ウィキペディアのGlossary of professional wrestling termsでは

Money match
a non-title match which was the most heavily promoted of the card that is placed near or at the end of a live event, which is the main reason fans attended the event or watched the event.
 
これは現代プロレスの用語ですが、百年前でもだいたい同じでしょう。

・ほかにも訳文が異なるところがありますが、後から訳した私の方が正しいのです。

・二本目に谷が「アームロック」をかけている。柔術式にギブアップを狙うのではなく腕を取って抑え込む技をこう呼んだのだと思う。「ボディーホールド」はたぶん「胴タックルからの投げ」でしょう。

・スポーティングライフ誌は「谷に対する(1本目の)フォールは成立していなかったのではないかという者が多かった」と書いている。それに比べるとこの記事の筆者はメラーびいきだ。1本目を取る前に「ニアフォール」が2度あったと書いている。seemed to have the Jap fairly down on two occasionsの箇所。文法的にはseemed to have had the Jap fairly down on two occasionsと書くべきだが、それではくどくて口調がおかしい。

・原文は英語の文章としてはあまり上等でない。だから誤読の可能性があってむつかしい。

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2010年11月27日 (土)

谷幸雄、レスリングをする(1)

Jujiotsioldstyle_1

 ……次の記述もスポーティングライフ誌に基づいている(残念ながら何月号かが書いてない)。

 In 1904 he did beat Jimmy Mellor in a £100 match for the lightweight wrestling championship, catch-as-catch-can style.
 Mellor was Britain's best lightweight, and claimed the world's championship. So this victory was a terrific performance by Tani, as the newspapers of the time recognised. The Sporting Life praised "a thoroughly genuine sporting match," and then going on to say, "The little Jap showed what a wonder he is by beating the Englishman at his own game. Two falls to one was the decision, though the fall given against Tani was questioned by many."

 1904年にタニは、ジミー・メラーを相手に百ポンド懸賞試合をして勝っている。これはライト級レスリング選手権をかけて、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルで試合をしたのだ。
 メラーはライト級では当時英国一のレスラーで、世界チャンピオンを名乗っていた。だからこの勝利はタニには大変な偉業で、当時のマスコミもこれを認めた。スポーティングライフ誌は「まことにスポーツマンらしい試合だった」と賞賛した。続いてこう書いている。「小さなジャップは相手のイギリス人の得意分野に踏み込んで勝って見せた。実に感服の至りだ。タニは2フォール対1フォールで勝ったのだが、タニに対するフォールは成立していないのではないかと言う者が多かった」

 上は柔道か柔術か(21)の一部再録
 1904年に谷幸雄はキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(=フリースタイル)のチャンピオンに柔術ではなくレスリングで勝ったのだが、何月何日か、どういう試合だったかが分からなかった。
 試合は4月18日だったらしい。
 ニュージーランドの「スター」という新聞の1904年6月6日号がロンドン通信員が4月22日付けで書いた「イングランドのレスリング」という記事を掲載している。http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=TS19040606.2.52&e=-------10--1----0-all
 これを見つけたのは私ではない。
 「谷幸雄と三宅太郎」というすばらしいサイトがある。http://www7a.biglobe.ne.jp/~wwd/PW100628/
  どなたがお書きになっているのか知らないが、すごい。面白い。素敵だ。
 目次が次の通り。すべて読む値打ちがあるが、まず2番目の谷幸雄対J・メラーを読んでみて下さい。http://www7a.biglobe.ne.jp/~wwd/PW100703/
(ただ和訳には少々疑問点がある。)

1901.4 総合護身術バーティツ
1904.4 谷幸雄 対 J・メラー
1905.2 谷幸雄 対 三宅太郎
1905-1906 褐色の悪魔 三宅太郎 
1907.1 谷幸雄 対 C・ミッチェル    
1914-1915 米国における三宅太郎

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2010年11月21日 (日)

小林一佐

 小林という人が軍人になり出世して連隊長クラスになると、昔なら日本陸軍の小林大佐である。ところが現代の日本には軍隊はない。自衛隊であるから、小林一佐になる。

「我と来て遊べや親のない雀」
「痩せ蛙 負けるな一茶これにあり」

 廃人に戦争ができるか。日本には平和憲法があるから、戦争はしないのだ。
 尖閣に中国軍が攻めてきたらどうする? 自衛隊が迎え撃つとしても、戦争ではありません。「有事」です――というのは井上和彦氏の本に書いてあった。
 井上氏が「こんなに強い」というのに、清谷信一氏は「防衛破綻」であるという。しかし本の題名は編集部が売れるようにつけるので、そんなに正反対のことを書いているわけではない。
 井上氏は、自衛隊員の士気は高いという。だからこそイラクへ行って無事に帰ってこれたので、いざとなっても強いはずだ――ということになる。しかし「いざ」というのは戦争じゃないの? 自衛隊は軍隊ではなく、日本は戦争はしないので……
 そのあたりのことは清谷氏の本にも書いてある。
 某国軍が日本に上陸し、自衛隊の戦車が出動するとする。しかし、
「戦闘車両が道路から逸脱すると道路交通法違反になるので、交戦自体ができない(もっとも、戦車などの前後に回転灯を点灯したパトカーがつけば一応野戦も可能だが)。」
(清谷p.p. 37-8)
 やはり、自衛隊は軍隊ではなくて、戦争を想定していないのが……
 これが何とかして(どう?)うまく行くとしても、清谷氏によれば、自衛隊は装備の調達に大問題があるという。「ガラパゴス化」である。(続く)

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支那でよろしい

 ということは呉智英氏も高島俊男先生も書いていて、もう誰でも分かっていると思ったが……
 高島先生の本におさめる「『支那』はわるいことばだろうか」を読めばよく分かるはず。

 ところが分かっていない人が多いらしい。最近も新渡戸稲造の『随想録』を読んでびっくりした。

  中国は孔子の賜か

 予、中国に来遊してより、「これ果たして孔孟の国なるか」との疑問は、予の念中に往来し、しかしてこの第一疑問は、さらに他の問題を伴起していわく、「この国の政府は、かの聖人の教訓の精神的果実なりや」。「この国民は、かの賢者の垂教せる主義の論理的結果なりや」と。
(p.110)

 新渡戸稲造の文章を勝手に直したに違いない。
 近ごろは便利だ。こういうのはすぐ調べられる。
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーhttp://kindai.ndl.go.jp/index.html で、検索窓に 新渡戸稲造 随想録 と入力すると、明治40年初版の本文を見られる。56頁http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898521

  支那は孔子の賜乎

 予支那に来遊してより、「是れ果たして孔孟の国なる乎」との疑問は、予の念中に往来し、而して此第一疑問は更に他の問題を伴起して曰く、…… 
 
 漢字を仮名に改めるのはよい。凡例に「国名、外国人名、地名、外来語等は現行の表記法に改めた。」とある。これによって、アリストートル→アリストテレスなどとするのも構わぬ。しかし、「中国」は支那の新表記法ではない。
 たちばな出版は『天皇家を語る』『神道のちから』『菜根譚』などを出している。右翼のくせに支那がわるいことばだと思っているのか。
 改変のない箇所はすばらしい。カーライルを読みたくなった。

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2010年11月19日 (金)

武器輸出三原則等

「古い回転式拳銃はどうなったの?」と青豆は声の調子をできるだけ抑えて尋ねた。
「全部回収されて、解体処分されたはずです」とバーテンダーは言った。「解体作業をやっているところを、テレビのニュースで見ました。それだけの数の拳銃を解体処分し、弾丸を廃棄するのはすごく手間がかかるんです」
「外国に売ればいいのに」と髭の薄い会社員が言った。
「武器の輸出は憲法で禁止されています」とバーテンダーが謙虚に指摘した。
「ほらね、一流ホテルのバーテンダーは――」
「つまり二年まえから、回転式の拳銃は日本の警察でまったく使われていない。そういうこと?」と青豆は男の発言を遮ってバーテンダーに尋ねた。
(BOOK 1の111頁)

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 バーテンダーの言ったことは正しいか?
 もちろん日本国憲法に武器輸出禁止なんてことは書いてない。
 武器輸出の禁止は「武器輸出三原則等」による。これを「武器輸出三原則」と間違えないこと。等があるとないとでは大違いです。詳しくは外務省のサイトhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/arms/mine/sanngen.html
 これはたぶんバーテンダーの間違いで、村上春樹さんの間違いではないでしょう。
  三原則等を廃止してどんどん輸出すればコストが下がってバンザイかというと、必ずしもそうは言えない。いろいろ問題が生ずる恐れもあり、慎重にすべきだという。清谷氏の本参照。

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2010年11月18日 (木)

脱亜論

 世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、到る処、草も木もこの風になびかざるはなし。けだし西洋の人物、古今に大に異るに非ずといえども、その挙動の古に遅鈍にして今に活発なるは、ただ交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。故に方今東洋に国するものゝ為に謀るに、この文明東漸の勢に激してこれを防ぎおわるべきの覚悟あれば則ち可といえども、いやしくも世界中の現状を視察して事実に不可なるを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦楽をともにするの外あるべからざるなり。
 文明はなお麻疹の流行の如し。目下東京の麻疹は西国長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延する者の如し。この時に当り、この流行病の害をにくみてこれを防がんとするも、果してその手段あるべきや。我輩断じてその術なきを証す。有害一偏の流行病にても、なおかつその勢には激すべからず。いわんや利害相伴うて常に利益多き文明に於てをや。ただにこれを防がざるのみならず、つとめてその蔓延を助け、国民をして早くその気風に浴せしむるは智者の事なるべし。
 西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開国を発端として、国民ようやくその採るべきを知り、漸次に活発の気風を催うしたれども、進歩の道に横わるに古風老大の政府なるものありて、これを如何ともすべからず。政府を保存せんか、文明は決して入るべからず。如何となれば近時の文明は日本の旧套と両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府もまた廃滅すべければなり。しからば則ち文明を防てその侵入を止めんか、日本国は独立すべからず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の独睡を許さゞればなり。
 ここに於てか我日本の士人は国を重しとし政府を軽しとするの大義に基き、また幸に帝室の神聖尊厳に依頼して、断じて旧政府を倒して新政府を立て、国中朝野の別なく一切万事、西洋近時の文明を採り、独り日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所はただ脱亜の二字に在るのみ。
 我日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども、その国民の精神は既に亜細亜の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。この二国の人民も古来、亜細亜流の政教風俗に養わるゝこと、我日本国民に異ならずといえども、その人種の由来を殊にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺伝教育の旨に同じからざる所のものあるか、日支韓三国相対し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、この二国の者共は一身に就きまた一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども、耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、なお傲然として自省の念なき者の如し。

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 我輩を以てこの二国を視れば、今の文明東漸の風潮に際し、とてもその独立を維持するの道あるべからず。幸にしてその国中に志士の出現して、先ず国事開進の手始めとして、大にその政府を改革すること我維新の如き大挙を企て、先ず政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、もしも然らざるに於ては、今より数年を出でずして亡国と為り、その国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑あることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭いながら、支韓両国はその伝染の天然に背き、無理にこれを避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒塞するものなればなり。輔車唇歯とは隣国相助くるの喩なれども、今の支那、朝鮮は我日本国のために一毫の援助と為らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三国の地利相接するが為に、時に或はこれを同一視し、支韓を評するの価を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。
 例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃むべきものあらざれば、西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑い、支那、朝鮮の士人が惑溺深くして科学の何ものたるを知らざれば、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思い、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠もこれがためにおおわれ、朝鮮国に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人もまた共に無情なるかと推量せらるゝが如き、これらの事例を計れば枚挙にいとまあらず。これを喩えばこの隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然かも残忍無情なるときは、稀にその町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜におおわれて埋没するものに異ならず。その影響の事実に現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云うべし。
 されば、今日の謀を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

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2010年11月17日 (水)

バーティツの講習会

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2010年11月16日 (火)

外交の手腕?

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 この人はカート・キャンベル米国務次官補だそうです。http://ftkst.com/p19344から
 これはちょっときついですね。
 それなら鳩山だったらどうか? 小沢では? 麻生? 安倍?
 なぜだめかというと、もちろん政治家個人の資質ということもあるけれども、それだけではない。
 誰がやっても「奥の手」が使えないのだもの、どうしようもないでしょう。
 外交交渉では双方が自分の主張をぶつけ合う。
 たとえば百年以上前の日本とロシアの交渉では
 日本は
「朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという案」
 ロシアは
「朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという案」
 を出した。
 双方の案には大いに隔たりがあった。ロシアが歩み寄ってくれればよろしいが、なかなかそうは行かなかった。
 どうするか? 今なら日本政府に取れる選択肢は「さらに交渉するぞ!」しかない。
 1904年には日本が奥の手を出した。ロシアの方はまさかと思っていたらしい。しかし奥の手の用意がなければ、そもそも交渉自体が成り立たない。もし大日本帝国憲法に「戦争抛棄条項」があったとすれば、ロシアの方は交渉などせず黙って朝鮮を占領しただろう。
 もちろん奥の手を出して失敗することもある。二国間で戦争をすればどちらかが負けるのだ。
 1941年にはあれ以外に手がなかったのか? もう少し前の支那事変の段階で何とかできなかったのか?
 しかし
Der Krieg ist eine bloße Fortsetzung der Politik unter Einbeziehung anderer Mittel.
戦争とは他の手段(=奥の手)をもってする政治の継続である――クラウゼヴィッツ

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2010年11月15日 (月)

戦略的互恵関係について

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  日支兩國は唇齒相倚る間柄で、勿論親善でなければならぬ。日支の親善を圖るには、先づ日本人がよく支那人を理會せなければならぬ。支那人をよく理會する爲には、表裏二面より彼等を觀察する必要がある。經傳詩文によつて、支那人の長所美點を會得するのも勿論必要であるが、同時にその反對の方面をも、一應心得置くべきことと思ふ。食人肉風習の存在は、支那人に取つては餘り名譽のことではない。されど儼然たる事實は、到底之を掩蔽することを許さぬ。支那人の一面に、かかる風習の存在せしことを承知し置くのも亦、支那人を理會するに無用であるまいと思ふ。支那人間に於ける食人肉風習の存在は、決して新しい問題ではない。既に十數年前から Der Kannibalismus der Chinesen といふ問題は、多少歐洲學者の注意を惹いて居る。ただ彼等は文獻上から、十分にこの風習の存在を證明出來なかつた爲、今日に至るまで、未だこの問題に關する徹底した論文が、發表されて居らぬ樣である。
 私も最近二三年間、この問題の調査に手を著け、多少得る所があつた。その調査の結果全體は、遠からず學界に發表いたすこととして、今は不取敢支那人の人肉發賣といふ外國電報に促されて、古來支那に於ける食人肉風習の存在せる事實の一端を茲に紹介することにした。(大正八年四月二十七日)

(大正八年六月『太陽』第二十五卷第七號所載)
(桑原隲藏)
全文は青空文庫http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4270_14876.html

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2010年11月14日 (日)

菅直人vs胡錦濤

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11月13日、胡錦濤主席と握手する菅直人首相。ブログ筆者が某筋から入手した極秘情報によると、菅直人首相は胡錦濤主席に対して「尖閣領海侵犯問題について真摯に反省し日本政府と日本国民に対して謝罪と賠償を行うならば、今後も中国と従来通り付き合ってやるに吝かではない」と申し入れたそうであります。

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2010年11月13日 (土)

43歳の海上保安官?

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 テレビでも新聞でも「43歳の海上保安官」とだけ報じているが、この人の名前を記者が知らないはずはないだろう。
 堂々と出てきたのに、なぜ名前を公表しないのだ? 
  仮に田中さんだと分かれば、「田中と仙石ではどちらが正しいか」という議論ができるはずだ。
  顔を消した映像を出すのも変だろう。この人は「国民全体の倫理に反するものであれば甘んじて罰を受ける」とまで言っているのだ。

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2010年11月12日 (金)

パスポートとビザについて

 第1次世界大戦前の英国には、シャーロック・ホームズの登場人物たちだけではなく、日本人もかなり自由に入国できたようだ。
 たとえば柔術家谷幸雄(1880―1950)は、1900年にエドワード・バートン=ライト(格闘技バーティツの創始者)に招かれてロンドンにやってきた。谷幸雄は菊の紋章がついた大日本帝国のパスポートなどは持っていなかったと思うがどうだろう? 
 同じ年にもっとずっと有名な日本人が渡英している。夏目漱石(1867―1916)である。この人がどういう書類を持っていたか、あるいは書類など不要だったのか、これは誰か調べた人がいるのではないだろうか?
 
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 谷幸雄はバートン=ライトのバーティツ道場でインストラクターを務め、やがて柔術家としてミュージックホールに出演して素人の力自慢やプロレスラーの挑戦を受けるようになった。1918年には小泉軍治の設立したロンドン武道会の柔術師範になった。英国に定住して稼ぐのに「就労ビザ」のようなものは不要だったのではないだろうか?
 このあたりの事情をご存じの方はお教えください。

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2010年11月 9日 (火)

六つのナポレオンの不思議(3)

 正典全体を見ても、世界中からロンドンにやって来る人々は多く、シャーロック・ホームズの事件の関係者には外国人がかなりいる。
『緋色の研究』でまず死体となって見つかったのはアメリカ人だ。英米間には特別の関係があっただろうが……しかし、最後に犯人として捕まった男もアメリカ人で、この男は本名を名乗っていなかった。外国人がアイデンティティを隠して滞在し働くというのは、現代の英国ではできないことだ。
『四人の署名』のジョナサン・スモールは英国人だが、彼も本名は名乗らなかったはずだ。トンガにはもちろん身元証明の書類など何もなかった。
『恐怖の谷』では、銃身を短く切り詰めた特製ショットガンを持ち込んだアメリカ人がいたらしい。今ならそのこと自体が大問題になっているだろう。

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『ボヘミアの醜聞』の王様は「余はヴィルヘルム・ゴッツライヒ・ジュゲムジュゲムである」と名乗って入国したのではない。「プラハから微行して参ったのだ」覆面のまま入管を通ってきたりして。
 ベッポのようなイタリア人はどんどん入って来ていた。『六つのナポレオン』の事件で殺された人物についてレストレイドは
「ホトケはカトリックの紋章を――いや、これはやはり変だ。言い直します――死体はカトリックらしく首から十字架をさげていたし、色も黒いから南から来たのだろうと見当をつけました。ヒル警部に見せるとすぐに正体が分かりました。名前はピエトロ・ヴェヌッチといって、ナポリ出身、ロンドンで一番凶悪な殺し屋の一人です。マフィアに関係がある。ご存じのように、マフィアは秘密の政治結社で、掟に背いた者は殺してしまう。これで事件の謎がだいぶとけてきましたね。相手もやはりイタリア人で、マフィアでしょう。何かで決まりを破ったので、ピエトロがあとを追うことになった。ポケットに入っていた写真がその相手でしょう。間違って他人を刺してはいかんというのだ。ピエトロが相手のあとをつけ、家に入るのを見たので外で待ち伏せした。もみ合いになって刺されて死んだ。というところですが、いかがです、シャーロック・ホームズさん」
 レストレイドは得意そうに話している。マフィアの殺し屋が横行しているなんてまことに憂慮すべき事態のはずだが。
 しかし、むかしはある程度犯罪があっても仕方がない、全部取り締まろうとすればものすごいコストがかかるから――という考え方があったのではないか。切り裂きジャックのような戦慄的な犯罪は例外だった。テロとの戦い? アナーキストが爆弾を仕掛けるなんてことは、ジョゼフ・コンラッドの小説じゃあるまいし、まあ外国の話だろう。
 
 

  出入国管理が緩くて外人を入れてしまえば、就労ビザなどという制度は仮にあってもちゃんと機能しない。
 アメリカ人ジェファーソン・ホープは辻馬車の御者になった。イタリア人ベッポは職人として稼ぎ一時はまともな生活をしていた。ドイツ人ゲルダー氏は石膏像製造会社を経営していた。
 そして日本人も……

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2010年11月 8日 (月)

六つのナポレオンの不思議(2)

 ベッポの苗字をめぐる話には少々おかしなところがあると思う。
 しかし、ワトソンのとんでもない間違いだ、絶対あり得ない話だ――とは必ずしも言えないようだ。むかしの出入国管理はかなりいい加減だったのだ。
 100年以上前のヨーロッパではパスポートは不要だった。 
 パスポートの歴史を簡単にウィキペディア英語版Passportで見ておこう。

 19世紀中葉に欧州では鉄道旅行が急速に拡大したため19世紀初めのパスポート制度は崩壊した。列車の速度上昇と国境を越える旅客数の増大によりパスポート法の施行が困難になったのである。これによってパスポート要件は緩和された。19世紀後半から第1次世界大戦までの間、ヨーロッパ域内の旅行にはふつうパスポートは必要とされず、国境を越えることは簡単であった。

 そう言えば、ホームズもワトソンもスイスなりフランスなりに出かけるのに何も書類の準備などしなかったようだ。1891年4月24日、久しぶりにワトソンを訪ねてきたホームズは、明日から僕と一緒にスイスへ行かないかと言った。いいとも。翌日の朝、ヴィクトリア駅まで行く方法にはずいぶん気を遣った。しかしモリアーティに気づかれたので、カンタベリーで途中下車して追いかけてくる敵をやり過ごしたのだった。

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 これではまるでこっちが悪者みたいじゃないか。そう言えば、ホームズとワトソンが別に出入国手続などしなかったのはいいとして、モリアーティ教授やセバスチャン・モラン大佐も大手を振って出国できたらしい。モリアーティ一味を一網打尽にすべく網が張られていたはずだけれど、手抜かりがあったのか。二人とも逮捕状は出ていなかったのか。
 イタリア人の殺し屋やモリアーティやセバスチャン・モランなどが自由に横行できたのにはどういう法律の穴があったのか、あるいは調べれば分かるかも知れない。
 ともかく、むかしはパスポートが不要で出入国管理は緩かった。第一次世界大戦前にフォン・ボルクを首魁とするドイツのスパイ網がはびこったのもそのためだ。
 それでは困るから、戦後は各国とも統制を厳しくして、だんだんと現代のような出入国管理制度を導入するようになったのだ。

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2010年11月 7日 (日)

六つのナポレオンの不思議(1)

 シャーロック・ホームズの『六つのナポレオン』の事件は1900年ごろの話らしい(1894年の劇的な「帰還」よりあとなのは確かだ)。
 はじめはナポレオンの石膏像が二箇所で三つ叩き壊されただけだったから、ベイカー街に訪ねてきたレストレイドも大したことではないと考えていたようだ。ホームズはなかなか興味深い、また何かあったら教えてくれたまえ、と言ったけれども。
 ところが四つ目のナポレオン像破壊はケンジントン街で起こったのだが、このときは人が一人殺されたのだった。
 被害者はポケットに人相の悪い男の写真を入れていた。ホームズとワトソンはこの写真を持って聞き込みにまわった。たぶんこんな顔だ。
 
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   一個目のナポレオン像が壊された店で聞くと、ベッポというイタリア人の石膏職人だと分かった。
 石膏像の製造元であるゲルダー社のゲルダー氏(ドイツ人)に聞くと

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「ベッポという名前です。苗字は知りません。こんな人相のやつを雇ったこちらも悪いんだ」
 ベッポは2年ほど前までゲルダー氏の下で働いていたが、街頭でイタリア人をナイフで刺し、警官に追われてゲルダー社の石膏像製造所に逃げ込んで、そこで捕まった。刺した相手は死ななかったからもう刑務所を出ているでしょう。
 
 ここまで読んで、何だか変だなあと思わないだろうか? ゲルダー氏は以前ベッポを雇っていて「腕はいい職人でしたよ」というのに苗字を知らない? 人を雇うときはふつう身元を確認するだろう。日本とは違うから戸籍謄本を出せとは言わないだろうけれども。
 ところが最後まで読むともっと不思議なことがある。ホームズとワトソンとレストレイドは夜中に張り込みをしてベッポを逮捕するのだが、翌朝報告に来たレストレイドは
「ベッポという名前らしい。苗字は不明です。イタリア人街では有名な悪者です。もともと腕はいい職人でまともな暮しをしていたのだけれども、悪の道にはまって二度刑務所に入っています。一度はこそ泥で、もう一度は同じイタリア人仲間を刺して……」
 警察も苗字を把握していない? 裁判では「被告人ベッポ(苗字不明)を懲役一年に処す」という判決が出たのか? 出獄してきても、今ならこういう不良外国人は本国に送還するはずだけれど、むかしは違ったらしい。

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2010年11月 5日 (金)

友愛の海

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尖閣戦争

[青木直人] 仙石官房長官は、船長釈放に政治干渉はなかったといいますが、それを信じる人はいないでしょう。明らかにアメリカ大使館筋からもある種の圧力があったと考えるべきでしょう。といいますのは、アメリカでクリントン国務長官が、「尖閣諸島は日米安保の適用範囲内」と発言をした直後に釈放が行われているからです。つまりこれ以上アメリカも、このことを外交問題化してほしくないんです。それで日本に少しずつリップサービスし、アメをしゃぶらせてあげて、代わりに事態を沈静化させるべく日本側に強烈に釈放を迫ったということでしょう。アメリカも中国との関係をこじらせたくないですから、そういう米中と日本を含む三国の外交的な駆け引きが、実は東シナ海において今回展開された。これは今後の尖閣諸島の動向を見る場合、決定的に重要なポイントです。(p.23)
→青木直人氏 http://aoki.trycomp.com/2010/09/post-249.html
   西尾幹二氏  http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=989

 尖閣の流出動画はhttp://www.youtube.com/watch?v=7t1Z7CuFWxI から始まって6件。海上保安庁は中国語で警告している。領海侵犯であるから問答無用で拿捕してよいはず。撃沈するのも国際法上は正当だ。

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2010年11月 4日 (木)

オバマの評判

 中間選挙はやはり大敗でしたね。オバマの評判が悪すぎた。
 アメリカ人のブログを見ていると、ずいぶんひどいことが書いてあった。
 「オバマって女みたいじゃないか」

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 ジャップの天皇にお辞儀なんかしやがって。

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 医療保険改革? 社会主義はいやだ。(アリコやアフラックにもうけさせるのは平気らしい。アメリカ人ってアホですね。)

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  アメリカの2ちゃんねるには、「あいつは小浜なんて名乗っているが実は在日なんだ」というヨタまで書いてあったくらいだ。

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2010年11月 3日 (水)

右四つ

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 カンバーランド・ウェストモーランド・レスリング。1900年8月の試合。左が51歳でチャンピオンになったジョージ・ステッドマン。右四つに組んで相手の背中で両手をクラッチした体勢から始める。相手を倒せば勝ち。

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 キャッチ・アズ・キャッチ・キャンはランカシャーの中部と南部で、イングランド全体で中世からひろく行われた着衣(ジャケット)レスリングから発達したものと思われる。
 ランカシャーのレスリングを表したもの最古のものは、Halsall教会の特免室(ミゼリコルド)にある浮き彫りで、15世紀にさかのぼる。二人の男はいずれもパンツと腰の周りにベルトを締めている。互いに右四つに組んで、右手で相手のベルト、左手で相手の(パンツの)左腿のあたりを掴んでいる。シンクレア氏は『ウィガンの歴史』で、1570年ごろにはレスリングの際に特別のきついジャージーかジャケットを着ることになっていたが、「下層階級はそういうものをあつらえる余裕がなく、ふつうはパンツだけはいて裸でレスリングした」と書いている。(フリースタイル・レスリングの歴史http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-d1c0.html参照。)
◇ランカシャーのレスリングは昔はまわしを締めて右四つに組んだ体勢で戦っていたが、貧乏人はパンツだけの裸で戦ったから、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンのような「組み手争いあり」の形になった――ということらしい。

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 朝鮮併合前のシルム。右四つに組んでいるがまわしは締めていない。右の選手は左手で相手の右手を小手に巻いているようだ。

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 現代韓国のシルム。右四つ組み。右下手を取り左手では相手の腿に巻いた帯を取るという組み手は15世紀のランカシャー・レスリングの組み手とそっくりだ。

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2010年11月 1日 (月)

レスリングのスタイル

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 昔からイングランドのレスリングには二つの中心があり、南部ではデボンシャー・コーンウォール・スタイルが、北部ではカンバーランド・ウェストモーランド・スタイルが行われたという。カンバーランドとウェストモーランドは現在はカンブリア州に統合されている。

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 カンバーランド・ウェストモーランド・スタイルは右四つに組み合った状態からはじめ、先に倒れるかクラッチしている手を離した方が負けというルールである。このスタイルのレスリングは今でもある程度行われているようだ。
 相手の背中で両手をクラッチするという組み手は、グレコローマンスタイルでも用いられる。嘉納治五郎が帰国船中でロシア人士官を投げたときも、「彼の士官は自分の背中に両手を組み合わせ、右に左にねじ倒そうとした」というのだから、同じ形に組んだのだろう。→嘉納治五郎の柔術
 http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-665d.html

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 ランカシアはカンブリアのすぐ南の州である。このランカシアで行われていたのが、ランカシア・レスリングすなわちキャッチ・アズ・キャッチ・キャンすなわちフリースタイル・レスリングである――というのが英語で書いてあるレスリングの歴史に共通した記述だ。

 キャッチ・アズ・キャッチ・キャンにも昔は関節技によるサブミッションがあった? 何年何月何日に誰対誰のどういう試合で何という技で勝敗が決まったのか? ボクシングには具体的な記録がある。「サブミッションありのキャッチ・アズ・キャッチ・キャン」の試合の記録はないのだろうか?
  谷幸雄がランカシアのキャッチ・レスラーと戦い、相手はサブミッション技を知らないので楽勝したという記録はたくさんある。また谷がレスリングのライト級チャンピオンとキャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイル(サブミッションなし)で戦い、ピンフォールを二度奪って勝ったという記録もある。

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