« 谷幸雄、レスリングをする(2) | トップページ | 戦略防衛「構想」 »

2010年11月30日 (火)

イングランドのレスリング

Uk_london_alhambra_3

   ニュージーランドの新聞スター紙 1904年6月6日号 WRESTLING IN ENGLAND(ロンドン、4月22日発)
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=TS19040606.2.52&e=-------10--1----0-all

 本国のレスリング・ブームは夏が来て終わるかも知れないが、今のところこの競技に対する一般の関心は衰える気配がない。毎晩多くの「チャンピオン」たちが力業をみせるホールには観客が詰めかけている。一流レスラーと見なされる資格のある者同士の金を取れる試合(genuine money match)の範疇に入るものならば会場を満員にすることができる。仰々しく挑戦するとか受けて立つとか、その他新聞紙上でむやみやたらと舌戦が繰り広げられているのであるが、そのなかで最近10日間に本当に金の取れる試合が2試合あった。まずその一つは、ロシア人のリューリックが一方的にやっつけられた試合である。このリューリックは5年前にハッケンシュミットを投げ、この勝利とそれに続く大陸での成功の余勢を駆ってイングランドに来襲したのであるが、マドラリやコドジャリをはじめアントニオ・ピエリの一座を一人ずつ相手にして一晩で片づけてみせると豪語した。これだけ大言壮語したので、結局はグレコローマン式でエルネスト・ジークフリートを相手にして1時間で3回投げることができなければ100ポンド進呈すると申し出ることになった。ジークフリートはピエリ一座の若手の大男であるが、その条件ならリューリックの相手になってもよろしいと言った。それでアルハンブラ劇場で木曜日に行われた試合では、相手のロシア人の100ポンドを安々と得た。リューリックはハッケンシュミット並の体格で、体重は相手より何ストーンか軽く身長もリーチも何インチか劣り体調面でもいくらか下だったが、レスリングの知識でも優位に立つどころではないことが試合経過によって明らかになった。一時間の間両者は取っ組み合って大汗をかいたが、リューリックが相手の大男を投げそうな気配はいっこうになく、試合終了が近づいてくると、問題はリューリックがジークフリートを倒せるかどうかではなくてフォールされないでいられるかになった。巧妙なデフェンスでロシア人の100ポンドを確保しておいてから、ドイツ人は攻勢に出て何度かリューリックをフォールしかけた。実際、大汗で体がヌルヌルになったおかげで、リューリックはほとんど致命的な固め技から何度か逃れることができたのである。

Pc1900lurichstand
[ロシア人レスラーのリューリック]

「谷幸雄、レスリングをする(2)」の英語原文の前半部分です。
 この部分は「1904.4谷幸雄対J・メラー」http://www7a.biglobe.ne.jp/~wwd/PW100703/ では省略してあった。

「本国のレスリング・ブームは夏が来て終わるかも知れない」というのだから、プロレスはボクシングと違って一過性のブームだったことが分かる(1910年ごろまではブームが続いたらしいが)。当時の英国のプロレスはキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(=フリースタイル)が主流だったが、双方の合意によってグレコローマンスタイルで試合をすることもあったようだ。

|

« 谷幸雄、レスリングをする(2) | トップページ | 戦略防衛「構想」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/37899863

この記事へのトラックバック一覧です: イングランドのレスリング:

« 谷幸雄、レスリングをする(2) | トップページ | 戦略防衛「構想」 »