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2010年12月29日 (水)

ワトソン博士伝(10)

 しかしワトソンの結婚の話であった。結婚式については具体的な記録がない。しかし俗悪な派手なものではなかったに違いない(玉姫殿で、お色直しはゴンドラに乗ってなんてのではなかったはずだ)。モースタン嬢はベイカー街をはじめて訪れたとき、小柄で上品なブロンドで趣味はよいが質素で地味ななりをしていた。花嫁衣装もごく質素なものだったはずだ。ホームズが花婿付添人になったとは思えない。そこまでしてもらったらワトソンが記録を残さないはずはない。新郎新婦には親戚といっては伯母一人しかいなかったから、式はカンバーウェルの聖マルコ教会か聖ヒルダ教会で地味に行われたようだ。モースタン嬢の伯母とセシル・フォレスター夫人が出席したのだろう。(もちろん登記所で婚姻届を出すだけだった可能性もある。しかしワトソンも花嫁も教会での挙式を選んだはずだ。婚約したときには二人とも思わず神に感謝しているくらいだから。)
 ハネムーンはワトソンには思い出があるハンプシャーに出かけたが、ごく短いものだった。開業の準備でワトソンは忙しかったからだ。ベイカー街からそう遠くないところを探して、パディントンに恰好の医院を見つけた。ファーカーという開業医がここで一時は1200ポンドの収入をあげていたが、寄る年波には勝てずおまけに聖ヴィタス舞踏病にかかってしまった。世間というものは自分の病気も治せない医者に他人の病気が治せるはずがないと考えがちなもので、患者が減って収入は四分の一まで落ちていた。ワトソンにとっては大きなチャンスだった。自分の能力とエネルギーには自信があったから、元のように繁盛させてみせると決意して開業権を買い取った。三ヶ月間は懸命に働いたから、ベイカー街を訪ねる暇などなかった。ホームズの方も仕事の用向き以外にはどこへも出かける男ではなかった(『株式仲買店員』)。ワトソンはいくらかでも余暇があれば家庭で妻とともに過ごしたはずだ。この上なく幸福で体重も半ストーンほど増え「はじめて一家の主となった者が自分の身辺に発見する家庭中心の気分」がワトソンの心を奪っていた(『ボヘミアの醜聞」)。もちろんどの家庭にも付きものの苦労はあった。結婚したばかりのころは召使は一人しか置けなかった。メアリー・ジェインであるが、この女はどうしようもなくて暇を出した。もう少し後になると人数を増やしたらしい。ワトソンはthe servantsと複数形を使っている(『背の曲がった男』)。
 夫婦仲はよかったが、ワトソンは決して妻ノロではなく尻に敷かれていたわけではない。結婚後の9月に細君が伯母を訪問している間、ワトソンはベイカー街の旧居に泊まった。昔のように暖炉をはさんで坐り、ワトソンはクラーク・ラッセルの面白い海洋小説を読み、ホームズの方は犯罪記録に索引を付けた。

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