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2010年12月30日 (木)

ワトソン博士伝(11)

 ワトソンは久しぶりにベイカー街で楽しく過ごしたが、ホームズとの関係が元に戻ったというわけではない。ホームズはワトソンの幸せな結婚生活の圏外にあった。ワトソンは新生活のパートナーの元へ急いで戻った。医院は繁盛し始めていたのですぐに仕事を再開した。ベイカー街の雰囲気を懐かしがっている暇はなかった。ワトソンは分別のある男だったから、ホームズをその「完全にボヘミア的な気質」に反する交際に引っ張り込もうとはしなかった。しかし1888年3月20日になって旧友にぜひ会いたくなった。往診の帰りにベイカー街を通ってブラインド越しにホームズの影を見て矢も楯もたまらなくなったのだ。

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ワトソンのベイカー街再訪は絶好のタイミングだった。このときホームズは一通の手紙を受け取ったところで、これがカッセル・ファルシュタイン太公にしてボヘミア王であるヴィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモンド・フォン・オルムシュタインの来訪を予告していたからだ。ワトソンは翌日午後3時にまた来て、その日は一日中王様の写真をめぐる喜劇で重要な役割を演じた。その次の日の早朝の大団円に備えて彼はベイカー街に泊まった。
 ホームズとのパートナー関係がこのように間歇的に再開されるのが、ワトソンの結婚生活初期の特徴である。これは一見家庭の不安定を示すかのごとくであるが、実はまったく逆なのである。ワトソン夫人は一貫して夫の名探偵との関係に好意的だった。愛する夫と出会えたのはホームズのおかげなのだ。ホームズの方もワトソン夫人への敬意を失わなかった。夫が旧友の捜査を助ける機会があれば妻はいつでも協力してあげなさいというのだった。だからホームズも真夜中に突然やって来て泊めてくれといい翌朝十一時ウォータールー駅発の汽車でワトソンを現場に連れて行ったりした(『背の曲がった男』)。学校時代の友達から困っているという手紙が来れば夫がすぐにホームズのところへ駆けつけるのを妻は止めたりはしない(『海軍条約事件」)。ボスコム渓谷事件でイングランド西部に二日ばかり行こうという電報がホームズから来たときも、妻は「たまには気分転換なさった方が体にはよくってよ」と言って出かけるようにすすめたのだった。
 ワトソン夫人はこのように夫の独身時代の付き合いを尊重したが、そのほかにも夫婦仲がよかったことはうかがえるのである。結婚生活が幸福かどうかは二つの点で分かると言われる。一つはむつまじい朝食であり、もう一つは静かな晩である。ワトソン夫妻が一緒に朝食を取っていたことは明らかであり(『ボスコム渓谷事件』)、夕食後は二人ともゆったりくつろいでいたようだ。夫は忙しい一日の後で小説か英国医学会会報を読み、妻は針仕事をするのだった。十時半ごろになると召使たちが戸や窓を閉める音がする。それから半時間ほどたってワトソン夫人が寝室に行く。十一時四十五分ごろになるとワトソンが最後のパイプの灰を落とす(『背の曲がった男」)。退屈な散文的なブルジョワ的な光景だと笑う向きもあろうが、ワトソンにとっては大切なものだった。多彩な女性経験を経て、ワトソンは今や静かな家庭に碇を下ろしていた。しかしホームズはワトソンのことをいつも「もてる男」だと思っていたようだ。「ワトソン、女性は君の専門領域だ」と彼は言った。ベイカー街に「ロンドン一美しい女性」が訪れたときのことを、ワトソンは「スカートの衣擦れがだんだん小さくなって、終いにはドアがバタンと閉まる音がした」と生き生きした筆で描いたのである(『第二の汚点」)。

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