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2010年12月15日 (水)

ワトソン博士伝(4)

 ワトソンの医学生時代についても記録は少ない。セント・バーソロミュー病院からは文人医師が輩出していて、彼もその伝統に連なることになった。(トマス・ブラウン、ウィリアム・オスラー、ノーマン・ムーア、ジェフリー・ケインズなどの名前が頭に浮かぶ。桂冠詩人ロバート・ブリッジス(1844―1930)ならばワトソンの面白い挿話を教えてくれただろうか。)

  ワトソンがふつうに教科書で本筋だけ勉強して満足しているようなタイプではなかったことは明らかだ。非常に珍しい神経障害に関するパーシー・トレヴェリアンの高度に専門的な論文も、売れないと出版社がこぼすくらいなのに、ワトソンは見逃さなかった(『入院患者』)。彼はフランスの心理学者の研究(idée fixeについてにも通じていた(『六つのナポレオン』)。このように神経科方面の先端的な研究にも関心があったのに陸軍軍医になったのは奇妙なことのようでもある。しかし植民地育ちという背景を考えれば、若い盛りに退屈な町医者なんぞやっておれるかと思ったのは納得が行く。勇ましい活動の生活と軍人の同志愛の魅力は抗しがたかった。そういうわけで彼はネトレーの陸軍軍医養成課程に進むことになる。ワトソンがポーツマスのユナイテッド・サービシズ・クラブでラグビーをしたかどうかは分からない。彼はすでにブラックヒースというクラブでスリークォーターを務めていたくらいだから、かなりの技倆だったことは確かだ。〔それならワトソンは俊足のはずだが『バスカヴィル家の犬』ではレストレイドよりは速いけれどホームズには引き離されている。ホームズが格別に足が速いのだろう。〕
  しかしこのころになるとワトソンの興味は馬の方に移っていたらしい。彼はバークシャー州ショスコムで夏を過ごしたことがあって、競馬にはかなり入れ込んだ。何しろ傷痍年金を半分もつぎ込んでいるくらいだから(『ショスコム・オールド・プレイス』)。
 軍医養成課程を終えるとワトソンはつつがなく軍医補として第五ノーサンバーランド・フュージリアーズ連隊に配属された。彼は早速チャリング・クロスのコックス銀行に口座を開き、ブリキの文書箱や熱帯用ヘルメットなどインド勤務に必要なものをそろえた。あのJohn H. Watson, M.D.という文字を文書箱の蓋にペンキでかかせたときはさぞ満足だったろう。しかし事態の進展は早く、ワトソンが連隊に着任しないうちに第二次アフガン戦争が勃発した。

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コメント

Doctor Watson: Prolegomena to the study of a biographical problem
を訳されているのですか。
いやはやすごい本をお持ちだ。

投稿: ころんぽ | 2010年12月18日 (土) 22時02分

えへん。これはS.C.ROBERTS, HOLMES & WATSONという本に載っていました。僕の持っているのは1972年のリプリント版(初版は1953年)。今なら古書価が高いです。大分前に御茶ノ水駅前丸善のバーゲンで買ったように覚えています。

投稿: 三十郎 | 2010年12月19日 (日) 10時09分

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