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2010年12月27日 (月)

ワトソン博士伝(8)

 1884年と1885年にもワトソンの言行の記録がない。このころにもワトソンは大陸に行っていたのか。ところが1886年になると、ワトソンの伝記的研究上重要な問題が生ずるのである。すなわちいつ結婚したかである。
 この問題を正しく考察するためには、感傷に流されてはならない。ワトソンが最初に物した事件記録をホームズはどう評したか。
「探偵の仕事は精密科学だ。少なくともそうあるべきで、科学と同じく冷徹非情に扱わなくてはならない。ところが君はロマン主義の味付けをして……」
 ワトソンの恋愛と結婚を扱うときは伝記作家も「しかしロマンスはあったのだ」と言うべきかも知れない。しかし基本的には結婚の年月日は一つの問題であって、我々は客観的なデータを検討しなければならない。
1. 『四人の署名』では、モースタン嬢はワトソンによれば「六年ほど前、正確に申しますと1882年5月4日に……」と言った。すなわちこの事件は1888年の4月から6月の間だということになる。
2. 『ボヘミアの醜聞』は1888年3月20日とはっきり日付が書いてあり、ワトソンの結婚よりかなりあとであるようだ。ワトソンはベイカー街を離れており、ホームズはオランダやオデッサなどにも出かけている。
3. 『ライゲイトの地主」は1887年4月であるが、ホームズとワトソンはまだベイカー街で同居している。
4. 『五つのオレンジの種』は1887年9月であるが、ワトソンの結婚よりあとである。(ワトソンは妻が伯母を訪問している間しばらくベイカー街の旧居に滞在していたのだった。)
 こうして簡単にまとめたものがすべてのデータを包含するとは言えないが、ホームズでも解決できかねるような矛盾があることは明らかだろう。
 たとえばワトソンとモースタン嬢の婚約は1888年だとする従来の説を受け入れるとすると、結婚はその年の夏の終りか秋になる。それでは『ボヘミアの醜聞』と『五つのオレンジの種』にはっきりと日付が書いてあるのはどう扱えばよいか。
 一つだけ明らかなことがある。ワトソンは何でも注意深く記録しておく人だが、こと年月日についてはいつも正確だとは限らなかった。『四人の署名』が1888年だと言われてきたのは、モースタン嬢の言葉をワトソンが聞いて書いたものに基づいている。『ライゲイトの地主』と『五つのオレンジの種』はワトソン自身が直接記録したものだ。
『四人の署名』を書いたときのワトソンの心理状態を我々は考えなければならない。いつもの平静で実務的なワトソンだったか。モースタン嬢がベイカー街221Bの部屋に入ってきた瞬間から「夢想の鬼火」に惑わされてしまったではないか。ウィンウッド・リードの『人類の苦難』を開いてみたが読めるものではなかった。どうしてもモースタン嬢のことを考えてしまう。「彼女の微笑、深く豊かな声、そして彼女の人生を覆う不思議な謎……」それに昼飯のときにボーヌの赤を飲んでいた。自分で認めているように、ワトソンが物語冒頭で憤激したのはホームズのこれ見よがしの態度のせいだが、ワインの影響もあった。全体として果たして正確な記録を残すにふさわしい精神状態であったか。

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