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2010年12月27日 (月)

ワトソン博士伝(9)

 しかし『ライゲイトの地主』と『五つのオレンジの種』については記録が不正確だと考えるべき理由はない。二つの事件の年月日が正しいとすれば、結婚は1887年の4月から9月の間ということになる。5月挙式は縁起が悪いという迷信にはモースタン嬢もとらわれていただろう。これはたぶん6月だ。『海軍条約事件』は1887年7月であるが、「私の結婚のすぐ後」だったと書いてある。パーシー・フェルプスの手紙を見て、これは一刻も早くホームズさんにご相談なさいと妻が言うので、ワトソンがベイカー街の下宿を訪ねるとホームズは……

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 したがって『四人の署名』は1886年という結論にならざるを得ない。この年の8月にワトソンは婚約したのだ。1887年の初めごろにはワトソンは忙しかった。まず開業している医院を買い取り、新居をとととのえ、その他することはいくらでもあった。この年にもホームズは大変な数の事件を扱ったが、ワトソンが完全な記録を残しておいたのが少ないのはこのためだ。ワトソンは大まかな覚え書きは作ったが仕上げをする時間はなかった。「これら諸々の事件については、そのうちに書くこともあろう」とワトソンは記している(諸々というのは『パラドール部屋』『アマチュア乞食団』などの事件である。『五つのオレンジの種』参照)。ともかく1887年6月に結婚したと仮定すると『ボヘミアの醜聞』の冒頭部分の意味がよく分かる。1887年6月から1888年3月の間にワトソンは幸せな結婚生活のおかげで体重が7ポンド増え、ホームズはオデッサに呼ばれハーグにも赴いたのである。
 上記が絶対に正しいとは言い切れない。しかし作業仮説としては無視できないのではないだろうか。
 ワトソンがモースタン嬢と結婚したのが何年何月何日だったかまでは正確には分からない。しかし少なくとも初めの数年はごく幸せな結婚生活だったことは明らかだ。新所帯は「家庭的ボヘミア主義」を絵に描いたようなもので、ワトソンにはしっくり来る雰囲気だったようだ。モースタン嬢が大変な財産を相続する見込みがある間は、徳義上思慕の念を口に出せなかった。しかしアグラの財宝が失われ「黄金の障壁」がなくなってようやくワトソンは求婚した。かくして中年の医師は「あんな魅力的なお嬢さんははじめてだ」とホームズも誉める女性と狭いながらも楽しい我が家を構えたのだ。ホームズはモースタン嬢を高く評価して「この方面(探偵の仕事)には天稟がある」とまで言っている。ホームズが女を賞賛するのは珍しく、これに勝るのはアイリーン・アドラーだけだった。「あの女」は別格で「女性全体を圧倒し顔色ならかしめる存在」であった。

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