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2010年12月23日 (木)

シャーロック・ホームズの名台詞?

There is the great standing perennial problem to which human reason is as far from an answer as ever.
「絶えざる難問に悩む人間の叡智は、常に解答からはるか遠くをさまようのだ」
(諸兄p.195)

 この日本語は全然デタラメ。英語の訳になっていない。誤訳なら誤訳なりに意味があってもよいはずだが、これでは意味不明である。英語の方は『ボール箱』の最後の一文である。もう少し前から見てみよう。

"What is the meaning of it, Watson?" said Holmes solemnly als he laid down the paper. "What object is served by this circle of misery and violence and fear? It must tend to some end, or else our universe is ruled by chance, which is unthinkable. But what end? There is the great standing perennial problem to which human reason is as far from an answer as ever."

 ホームズは書類を下におきながら、まじめな口調でこう言った。「ワトソン、この出来事にはいったいどんな意味があるんだろうねえ。このような苦悩と暴力と恐怖の繰り返しが何の役に立っているのだろう。何か目的がなければならない。さもなければ、この世はただの偶然が支配する場所になってしまうが、そんなことは考えられない。では、どんな目的があるのか? その問いは永遠につづく大問題で、人間の理性は、いつまでたってもその答えを見いだせないでいるのだ」
(ちくま文庫、井村元道訳)

 意味はこれでよく分かるし正しい訳だ。
 There is the---のところに構文上の問題がある。そこをごまかしてしまうと、当てずっぽうの「訳」しか書けない。

 There is a book on the table. と言うが、  *There is the book on the table. とは言わない。これはどの英文法の本にも書いてある。 ところが「There is the---という形はそもそもありません」なんてことを言う人がいる。参考書に書いてあったりするから困る。
 あるじゃないか。なるべく直訳で考えてみよう。

There is the great standing perennial problem……
そこに(what end?というところに)大きな永続的な永遠の問題がある。

 standingはもちろん「立っている」という意味ではない。standing armyは「常備軍」。「一時的ではなく永続的な」という意味だ。standingとperennialは類義語を重ねて用いたので、井村訳のように「永遠につづく」と一つにまとめてしまうのもよい。「大きな永遠につづく問題」をひっくり返して「永遠につづく大問題」とする。
 There is the --questionは、井村訳ではThat is the --questionと書いてあるかのように訳している。そう書いてもよいはずで、むしろその方がふつうの英語だろう。だからこの訳でよろしいのだ。

……to which human reason is as far from answer as ever.
人間の理性は、その問題への解答からいつも遠く離れている。

 これも井村訳が正確だ。延原謙氏の訳はどうか。

「これは何を意味するんだ、ワトスン」ホームズはその供述書を下において、おごそかにいった。「この苦難と暴行と不安の循環は何の役をはたすのだ? 何かの目的がなければならない。さもなくばこの世は偶然によって支配されることになる。そんなことは考えられない。では何の目的があるというのか? これは永遠の問題としてのこされる。人知のおよぶところではない」

 これでよろしいと思うけれども、human reasonはやはり「人間の理性」の方がよいのではないか。our universeは私なら「この宇宙」とする。
 このあたりは「神」と「宇宙(人間の世界も含む)」と「人間の理性」の関係の考察が裏にあるのだ。
 コナン・ドイルはイエズス会の教育を受けた元カトリックだった。ホームズも学生時代にはチャペルに通ったことがある(『グロリア・スコット』)。『ボール箱』の事件のときは35歳くらいだったはずだが、むかしの神学的議論を思い出したのだろう。

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コメント

No man lives or has ever lived
who has brought the same amount of study and of natural talent
to the detection of crime which I have done
「犯罪捜査についてぼくほどよく勉強し才能に恵まれた者はいない」
事程左様に英語が分かっていない著者ですね。

投稿: ころんぽ | 2010年12月23日 (木) 22時33分

研究社ともあろうものがどうしたんだろう

投稿: 三十郎 | 2010年12月24日 (金) 05時38分

 拝啓 植村先生
 年の瀬も押し迫ってまいりました。植村先生には、ますますご健勝のこととお慶び申し
上げます。この度は、拙著「シャーロック・ホームズからの言葉」をお読みいただいた上
に、本書をご紹介いただき、さらには訳文に関するご指摘をいただきまして、誠にありが
とうございました。また、個人ブログへのご掲載ということで、私に釈明の機会を与えて
くださったことにも御礼申し上げる次第です。
 本書を執筆するにあたり、念頭に置いたのは、名言集という性格上、いかに印象的な日
本語を書くかということでして、当初から誤訳論争が生じることは想定しておりました。
執筆に先立ち、私の師匠に相談しましたところ、「題材が題材で、版元さんが版元さんだ
けに、読者の目は厳しい。必ず誤訳論争が起きる。だからこそ、優等生になってはいけな
い。誰にも批判されないような、そつのない文を書こうと思ってはいけない。誤訳論争を
恐れてはいけない。いかなる批判が予想されても、自分の信ずる訳文を書きなさい。そし
て、編集さんを全面的に信用しなさい。コナン・ドイルだって、そうだったはずだ」と、
諭されたほどでした。
 個人的には「自分で判断したことを信用してはならない」と考えておりますし、また、
「自分が正しいことを証明するよりも、誤っていると思われる方がよい」という、マイク
ロフトのあり方にも共感する面がありますが、今回は版元さんの編集部さんに、植村先生
がご意見をお寄せになったとの由。おそらくは回答をお求めなのではないかと存じまして
、かようにご返信申し上げることにいたしました。むしろ拙著が契機となって、「この一
節はいかに解釈すべきか」と、議論が沸騰し、ホームズに興味を抱く方が増えることが望
ましいとさえ考えておりました。ただし、いつの間にやら、私も世間様からシャーロッキ
アンと目されるようになりまして、もしもシャーロッキアンならば、決して他人様を批判
したり揶揄したりすることなく、すべては解釈の相違であろうと認識するのが私の流儀と
なりましたから、このご返信が植村先生の翻訳のご手法やご見識に疑義をはさむものでな
いことを、ご理解いただけましたら幸甚です。
 私は東京大学の出身者としては学士会、東京都立の日比谷高校の出身者としては如蘭会
の会員で、双方の名簿に個人情報を公開しており、今回のご指摘について、植村先生を誹
謗中傷するかのごときお便りも、版元さんを経由せずに、いくつか直接に届いております
が、そのすべてに対して「植村先生からのご指摘は、翻訳論または文芸評論に基づくもの
であり、皆さんが想像するような意趣を込めたものではない」と、私なりに認識している
旨を、ご返信しておきました。中には植村先生を心ない言葉で侮辱しているとしか思えな
いお便りもありましたので、詳細はお知らせいたしませんが、その点はなにとぞ、ご容赦
いただけましたらと存じます。植村先生もご承知のとおり、読者の方からの励ましのお便
りは、実に勇気づけられるものであり、「昔は、当たり前のことが、当たり前のことだっ
たんですね」などのご感想に触れると、本書を上梓してよかったと、私なりに意を強くし
ている次第です。
 さて、本書につきまして、まず疑義が寄せられるのは、冒頭に掲げた“some little
immortal spark concealed about him”だと思っておりました。これはなにがしかの小さ
な不滅の火花が体の周囲を走っており、それをおそらくは衣服で隠していることを述べて
いるのでしょうが、それでは印象的な日本語になりません。そこで訳文は「小さな不滅の
火花を、自分の内に秘めている」といたしました。「人は誰もが小さな不滅の火花を、自
分の内に秘めている」は、「人は」を取れば、暗記しやすいように、どどいつ調に仕上が
っていることを、おそらくお気づきのことかと存じます。しかし、なぜか、今のところ、
この訳文については、ご批判が寄せられていません。私といたしましては意外に思ってい
ます。
 本書の執筆にあたり、既存の翻訳書にひととおり目を通しましたが、共感した部分もあ
れば賛同できなかった部分もありました。特にご指摘をいただいた「絶えざる難題に悩む
人間の叡知は、常に解答からはるか遠くをさまようのだ」について、下書きでは「絶えざ
る難題に悩む人間の叡知は、常に解答のはるか彼方をさまようのだ」としていましたが、
編集部さんと協議の結果、清書のとおりに改めました。ここでどうしても頭を離れなかっ
たのは『青い鳥』のことでした。『ボール箱』の主題が酒乱の夫と不倫に走った妻をめぐ
る殺人事件、あるいは国際問題を解決する手段としての戦争なのかはさておき、酒乱なら
ばむやみと飲酒しない、不倫はけしからん、殺人はもってのほか、戦争は望ましくない手
段だというのは自明のはず。つまり、解答は目の前に存在しています。青い鳥は自宅にい
ました。しかし、兄と妹はそのことに気づかず、見当はずれのところを捜していました。
バーナード・ショーが悲観主義の文学ならば、個人的にはコナン・ドイルは楽観主義の文
学だと考えています。ショーならばともかく、ドイルが「人間の叡知が及ばない」と、考
えるでしょうか。そこで人間の叡知、あるいは理性が解答に届かないのではない、解答が
目の前に存在しているのに気づかずに、かけ離れたところを捜し回っているだけだと解釈
し、それゆえに「常に解答のはるか彼方をさまようのだ」と訳しました。この訳文につい
ては、編集部さんからも当初は疑義が寄せられたものの、『青い鳥』の話を引き合いにし
たところ、最終的には「絶えざる難題に悩む人間の叡知は、常に解答のはるか遠くをさま
ようのだ」と改めることで、ご理解をいただくことができました。
 次に、あちらこちらでご批判をいただいている「ぼくほどよく勉強し、才能に恵まれた
者はいない」ですが、これは新潮文庫版の「僕ほどの研究を積み、また僕ほどの天分をも
つものは、ひとりだっていやしない」という訳文を検証することからはじめました。明ら
かに原文を離れています。お恥ずかしいことながら、私も長らく誤訳だと考えていたほど
です。しかし、長年のこと、読者に親しまれ、多くの人々に暗唱されている訳文です。誤
訳なのでしょうか。なにか、人の心をとらえるものがあるはずです。才能のない者が才能
を傾けたところで、あまり意味がない。才能に恵まれている者が才能を傾けてこそ意味が
ある。すなわち傾けるに値するだけの才能に恵まれているということを述べているのだと
気づいたときに、なにゆえにこの新潮文庫版の訳文が読者に親しまれているのか、遅れば
せながら私にもわかりました。異論はありましょうが、誤訳ではないという解釈にいたり
ました。そこで、捨てるには忍びがたい、むしろ、親しまれている訳文を否定するような
ことは、しない方がよいという認識に立ち、誤訳論争は覚悟の上で、「ぼくほどよく勉強
し、才能に恵まれた者はいない」といたしました。原文を併記したので、なにゆえに著者
の人は、原文を離れた解釈をしたのだろうと、議論が起きることを予想していましたが、
どうも私の英語力を否定するご見解が出てきたのには少なからず驚きました。教科書的な
訳文しか認めないのは、ゆとり教育の影響なのでしょうか。私の英語力が否定されること
を考えていなかったのは、「可能性があるものを排除してはならない」ということを、私
も忘れていたようです。
 誠に恐縮なことに、植村先生がご翻訳をおはじめになったいきさつは存じておりません
が、私は高校生のときに、年齢を詐称して書いた歴史小説を商業雑誌に投稿したところ、
たまたま2回ばかり掲載され、その後も依頼は続きましたが、受験勉強で中断し、それが
きっかけで後年に売文業の看板を掲げるようになりました。また、証券会社に勤務してい
た頃、英語国に住んでいたこともあり、英語との比較でいかに日本語が美しい言語なのか
を痛感したことも、1度や2度ではありません。辞典や学習書の執筆が長かったため、教
科書的な素っ気ない日本語訳に疑問を呈していた時期もありました。私はそもそもの出だ
しが小説でしたから、植村先生と日本語に関する文章の感覚が異なることは、容易に想像
ができようというものです。かように、自己紹介を申し上げれば、植村先生にもご理解い
ただけるのではないかと存じます。
 私事ながら、かぜが原因で、12月に入ってから体調を崩しております。誤字・脱字が
あるかもしれません。お気づきの点がありましたら、またぜひともご教示願いたいのです
が、ご返信が遅れましたときは、なにとぞご容赦いただけましたら幸甚です。せっかく、
植村先生もシャーロック・ホームズにはご造詣が深い方なのですから、ホームズ・ファン
を増やすためにも、この機会にホームズを題材とした文献をお書きになってみてはいかが
でしょうか。解釈をめぐる議論が沸騰し、ホームズがブームとなれば、私としましてもこ
れにまさる喜びはありません。末尾ながら、植村先生のさらなるご活躍に期待申し上げる
次第です。                                敬具

                               諸兄 邦香 拝

 追伸
 今は体調を崩しておりますが、回復しましたら、この度、植村先生からご指摘をいただ
いたこともなにかのご縁ですし、ぜひともさらなるご教示をたまわりたいと存じておりま
すので、ご都合がよろしければ、研究社さんの編集さんをも交えて、学士会館あたりで一
献いかがでしょうか。ちなみに、私が最も得意なのは金融英語でして、『踊る人形』に語
られたワトスンの株投資については、コナン・ドイルの文章に誤りとしか思えない箇所が
あり、多くの翻訳者が難渋しているようです。そのあたりにも私の見解をご披露できる機
会をいただけましたら幸甚です。

投稿: 諸兄邦香 | 2010年12月26日 (日) 04時12分

>研究社さんの編集さんをも交えて、学士会館あたりで一献いかがでしょうか
私は都落ちして現在は山奥に住んでおりますので、またの機会に。
『青い鳥』のお話は理解しかねます。一文の意味は明らかなはず。

投稿: 植村昌夫 | 2010年12月26日 (日) 09時42分

「教科書的な訳文しか認めないのは、ゆとり教育の影響なのでしょうか。」
違うだろう。どうせ言うなら「詰め込み教育の影響なのでしょうか。」だろう。
この著者は頓珍漢だ。
幾ら人口に膾炙しようが誤りは誤りである。
この日比谷高校、東大出身の学歴エリートはそんなことも分からない。
「才能のない者が才能を傾けたところで、あまり意味がない。
才能に恵まれている者が才能を傾けてこそ意味がある。
すなわち傾けるに値するだけの才能に恵まれているということを述べている」
違うだろう。
「ぼくはありったけの才能と研究を犯罪捜査に向けてきたのに、もうそれだけのことに値する大犯罪がなくなっちゃったんだよ。ああ、つまらない」と述べているのではないか。

投稿: ころんぽ | 2010年12月27日 (月) 20時28分

僕は諸兄邦香氏の訳文がデタラメだと書いたのだ。それに対して普通なら「デタラメではない」と言い張るか、それとも「バカ野郎」とか何とか言うだろう。変わった反応があったのでびっくりしましたよ。

投稿: 三十郎(植村昌夫) | 2010年12月27日 (月) 21時02分

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