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2010年12月 7日 (火)

杉野はいずこ

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1.轟く砲音、飛来る弾丸
荒波洗ふ デッキの上に
闇を貫く 中佐の叫び
杉野は何処、杉野は居ずや

2.船内隈なく 尋ぬる三度
呼べど答へず、さがせど見へず
船は次第に 波間に沈み
敵弾いよいよあたりに繁し

3.今はとボートに 移れる中佐
飛来る弾丸に 忽ち失せて
旅順港外 恨みぞ深き
軍神廣瀬と その名残れど

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 広瀬武夫中佐と杉野孫七兵曹長が戦死したのは明治37年(1904年)3月27日である。広瀬武夫にはロシア人の恋人アリアズナがいたが結婚はしなかったので遺族はいない。杉野には妻子があった。
 私の母親は県立女学校を卒業したが、杉野兵曹長の奥さんが裁縫の先生だったという。直接習ったのではないらしい。杉野夫人は母が入学したころにはもう退職していて、入学式だったか天長節だったか、何かの式典の際に来賓として来たのを一度見たことがあるという。

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コメント

初めまして五島と申します。
65歳です。小学生高学年の担当教員が日清、日露の戦いの歴史の抗議の時「杉野は何処、杉野は何処」の話をしてくれました。
もしかと思いネットにて検索したらこのwebがありました。もうその先生は故人になりました。戦後のばか赤教師槇枝の日教組組合員ではありませんでしたし赤なんて毛嫌いしていました。昨今you tubeでテキサスおやじが従軍慰安婦は1994年米国がプロパガンダに使った捏造。このおやじワシントン郊外の国立公文書館から捏造である証拠を手に持って説明をしています。慰安婦は何とかという輩が勝手に命名この番組では売春婦
とはっきり言っています。また台湾の老婆の「日本の兵隊さんは素晴らしかった」you tubeで昔の日本人と今の日本人とは雲泥の差がありますと怒りをあらわにしています。ぜひこの映像と八田興一氏の映像も見てください。こうした日本人の恩義を台湾の日地たちは身銭を切り200億円徒歩九大震災義捐金をおくってくれました。しかし日本のNHKはじめプレス関係各はは本件報道しませんでした。それは国賊河野洋平、辻本清美がでたらめを国会でのたまったからと支那の顔いろを見ているからです。
恨み辛み100年の朝鮮もし我が国が日清日露戦争に負けていたら今日の朝鮮はなかったでしょう。失礼しました。

投稿: 五島守 | 2014年1月31日 (金) 17時39分

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