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2011年1月 2日 (日)

小泉軍治伝(1)

 小泉軍治(1885―1965)は英国に帰化した日本の実業家・武道家である。彼は1918年(大正7年)にロンドンで武道会を設立して柔術家谷幸雄(1880―1950)を師範として雇用した。
 ウィキペディア英語版のGunji Koizumiを見てみよう。http://en.wikipedia.org/wiki/Gunji_Koizumi

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 柔道を教える小泉軍治。http://judoinfo.com/mayer.htm

 Gunji Koizumi(小泉軍治、1885年7月5日――1965年4月14日)は、G.K.の愛称で知られたが、柔道を英国に紹介して「英国柔道の父」として知られた。彼はイングランドにおける日本武術協会のさきがけとなるBudokwai武道会を創立した。小泉は英国柔道協会の設立を助け、欧州柔道連盟を創立した。彼は柔道八段であった。1965年、小泉の自殺は世界の柔道界に衝撃を与えた。

 小泉は1885年(明治18年)6月8日に茨城県コマツカ・オオアザ村(?)に生まれた。ここは東京の北20マイルに位置し現在は首都圏に含まれている。彼は小作農である小泉周吉と妻かつの次男であった。兄は千代吉、妹はいくであった。1887年、12歳の小泉は学校で剣道の修業をはじめた。また彼は米国滞在経験のある近所の人に英語を習った。次男として彼は自分で農地を開くか他家に養子に行くしか選択肢がなかったが、どちらも好まなかった。1900年7月、15歳になる直前に彼は東京に出て政府の電信技師養成所に入った。1901年、彼は天神真楊流のタゴ・ノブシゲの下で柔術修業を開始した。電信技師の資格を得て彼はしばらく東京で働いた後に朝鮮の鉄道に就職した。1904年には山田信勝について修業した。小泉は電気を研究するために渡米することを決意した。彼は上海、香港、シンガポール、インドを経由して途中働きながら、まず英国に向かった。シンガポールではアキシマ・ツネジロウについて修業した。
 1906年5月4日に彼は蒸気船ロムズフォード号に乗って北ウェールズのモスティン港に着いた。そこからリヴァプールに行きカラ・アシカガ柔術道場で師範となった。その後ロンドンに出て、元バーティツの師範であった上西貞一がピカデリー・サーカスで開いていた柔術道場で教えた。この期間に彼はロンドン工芸学校や英海軍志願予備隊でも教えた。数ヶ月後彼はニューヨークを目指して出発し1907年5月に到着した。ここでニューアーク公共サービス鉄道会社に就職した。数年後米国の生活に満足できず英国に戻った。彼はロンドンのヴォクソール・ロードで電気会社を設立しようとしたが資本が足りなかった。1912年1月、彼はロンドンのイーバリーストリートに漆器製作所を設立した。1918年には自分で費用を出してロンドンに武道会を設立した。武道会では英国人に柔術、剣道などの日本武術を教えた。小泉はバッキンガム宮殿の裏手にあるロウワー・グローブズナー・パレスに建物を確保し、武道会は1918年1月26日に開設された。(続く)

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 ロンドンの漆器製作所における小泉軍治。1921年9月17日。

2011年10月28日付記 
ウィキペディアで議論があるようですね。当ブログ筆者としては自分の訳文(原文がウィキペディアの場合に限る)に著作権を主張するつもりはありません。利用は自由。原英文にも著作権などないのが「ウィキペディアの原則」であると理解しておりますが、いかがですか。

(シャーロック・ホームズの『六つのナポレオン』ではドイツ人ゲルダー氏が石膏像製作所を経営していて、彼が一時雇ったイタリア人の職人が犯罪に関係するのだった。第一次大戦前の英国は外国人が小規模の事業を興すのに好都合だったようだ。『六つのナポレオンの不思議』http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/1-473a.html 参照)

◇コメント欄のKs aka98氏のお勧めに従い(もう一つよく分からんのだけれど)

小泉軍治伝(1)(2)はウィキペディア英語版Gunji Koizumi(http://en.wikipedia.org/w/index.php?&oldid=451423257)の翻訳である(これはもう書いてある)。クリエイティブ・コモンズ - 表示-継承ライセンス 3.0( http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/)およびGFDL(http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html)の下で公開する(この文の意味がよく分からんけれど)。この翻訳について当ブログ筆者の権利は行使しない。 これでよろしいか。

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コメント

こんにちは。ウィキペディア日本語版のUser:Ks aka 98と申します。反応があって助かりました。ページの一番下に「Text is available under the Creative Commons Attribution-ShareAlike License」と書かれているのをご確認ください。ライセンス文は、リンク先で読むことができます。原英文は、著者による一定条件下での複製許諾であって、権利放棄やまったく自由な許諾ではありません。わかりにくいですけれど。

このコンテンツは、ウィキペディア英語版のGunji Koizumi(http://en.wikipedia.org/w/index.php?&oldid=451423257)からの翻訳であり、クリエイティブ・コモンズ - 表示-継承ライセンス 3.0( http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/)およびGFDL(http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html)の下で公開する。ただし、翻訳にかかる当ブログの筆者による権利は行使しない。

というようなことを書いて置いていただけると助かります。面倒ですみません。

yomoyomoさんの「クリエイティブ・コモンズ・ライセンスのブログ翻訳のススメ」(http://www.yamdas.org/column/technique/cctrans.html)や実例(http://www.yamdas.org/column/technique/osscloudj.html)が参考になるかもしれません。

投稿: Ks aka 98 | 2011年10月28日 (金) 21時58分

盗作をしてはいけない、プライオリティを尊重すべきだということはよく分かります。その方針でやっております。クリエイティブ・コモンズなんたらがよく分からん。ウィキペディアの記事は言語を問わず色々な人が勝手に改変できるもので、普通の著作権保護に馴染まないように思いますが。
しかし、特にこだわるわけではないので、ご要望通り本文に書き加えておきました。
日本語で「小泉軍治」の項目を書くとすれば、私の訳文を元に日本で調べて判明した事実などを書き加えて完成すればよいので、それで少しも問題はないでしょう。

投稿: 三十郎 | 2011年10月29日 (土) 05時18分

ありがとうございます。要は元のライセンス通りのライセンスだと宣言してもらわないと、このブログの翻訳文が著作権法上は使えなくなるんですけど、それは許さんというのが、もともとのライセンスが複製や翻訳を許諾する条件になっている、てことです。権利放棄宣言しちゃうと、それを改変すると、改変者の権利は効力を持ってしまうので、それを悪用して囲い込みするな、というのをライセンス文に落としこむところで面倒が増えたてなところでしょうか。翻訳の分の権利放棄すると、著作権の保護期間が国によって違うことでややこしくなったりする可能性もちょっとあるのかな。ウィキペディア日本語版のなかでの改変は勝手にやっても大丈夫なようにソフトがやってくれるんですけど、翻訳だとウィキペディア内でも面倒があって削除されたりしています。
いろんな文章を翻訳してくれるのは、あまり語学力のないぼくのような者には、あれこれ助かるところも多いです。今後ともよろしくお願いします。

投稿: Ks aka 98 | 2011年10月30日 (日) 03時10分

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