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2011年1月 4日 (火)

ワトソン博士伝(12)

 ワトソンの医業については遺憾ながら一貫した記録が残っていない。寂れてしまった医院を買い取って精励恪勤したので、患者がどんどん増えたことは確かだ。1888年4月にはワトソンは重症の患者がいて一日中つききりだった(『花婿失踪事件」)。同年6月にも仕事が忙しいと書いている(『株式仲買店員」)。同じころ夜中に突然訪ねてきたホームズは、往診に馬車を使うくらいだから相当繁盛しているはずだと言い当てている(『背の曲がった男」)。一年後には、夜遅く疲れ切って帰ってきたところにベルが鳴った(『唇のねじれた男」)。このころまでには医業は着実に拡大していて、パディントン駅に近いから鉄道員の患者もよく来た(『技師の親指」)。『青いガーネット』の事件は1889年の年末だろうが、ワトソンは相変わらず忙しいようだ。ホームズのところへ挨拶に行ったのはクリスマスも過ぎた27日の朝のことだった。その日にまたベイカー街へ戻ったのはある患者に手間取ったため夕方6時半を少し過ぎていた。
  ところが1890年の秋になると医師としてのワトソンは様変わりしている。「今日は特にすることもない。仕事の方は大して忙しくないんだ」と彼は言う(『赤毛連盟」)。6ヶ月後、ホームズが明日大陸へ行かないかと誘うと、ワトソンは少しもためらわずに「今のところ患者は少ないし、隣に親切な同業者がいるから喜んでお伴する」と答えた(同業者はアンストルーザーではなくジャクソンだろう)。ワトソンがすぐに行けると言ったのは妻が不在だったからだ。このころからワトソン夫人の健康が衰え始めたと考えざるを得ない。ワトソンの医業再開は妻と家庭への献身に深く結びついていた。急に不熱心になったのには大きな原因があるはずだ。ワトソン夫人が亡くなったのは1891年夏から1894年春の間であろう。(同じ期間にワトソンはホームズがぐしゃぐしゃにつぶれてライヘンバッハの滝壺に沈んでいると思っていた。)ワトソンは自分では妻に死なれたとは書いていない。帰還したホームズが親友の不幸に触れて、悲しみには仕事が一番の良薬だ、と言ったのだ。ワトソン自身が少し前から同じ方針で働き始めていた。先に見たように1891年にはワトソンの医院は閑散としていた。彼は「当時妻は不在だった」と書いているが、これには不吉な響きがある。おそらくワトソン夫人はサナトリウムに入っていたのである。しかし結局は転地も功を奏しなかったのだろう。[コナン・ドイル夫人の場合とよく似ている。]
 長らく微かな希望にすがり続ける生活はワトソンをむしばみ、以前のように精力的に働けなくなっていた。しかし遂に終焉が訪れたとき(おそらく1893年だろう)、ワトソンは悲しみに負けはしなかった。以前に病気除隊して帰国したときに無気力な生活から立ち直ったように、今度も彼は立ち直った。1894年の春には再び往診で忙しくしている(「私は患者の家を回診しながらも一日中この事件のことを考えていた云々」と『空き家の冒険』にある)。しかし悲しい思い出の残るパディントンからは当然引っ越した。独身に戻ったワトソンはケンジントンに居を構えメイドを一人だけ置いていた。過去3年の生活はよほどこたえたらしい。ホームズの帰還の仕方はむやみにメロドラマ的で、よほど鈍い者でも仰天したに違いないが、本来ならワトソンほどの古強者が女じゃあるまいし気絶などするはずがない。心労と悲しみで体が弱っていたのである。しかしワトソンが心身共に回復するにはシャーロック・ホームズの出現が最良の薬だった。「私は昔とまったく同じように、ポケットに拳銃、胸には高鳴る期待を抱いて、ホームズと並んで二輪馬車に腰を下ろしているのだった」とワトソンは書いている。こうなると次のステップは決まってくる。数ヶ月後、ワトソンはケンジントンの医院をヴァーナーという若い医者に驚くほどの高値で売った。ワトソンはそれから何年か経って、このヴァーナーがホームズの遠縁であり、資金はホームズが出したことを知った。ホームズの縁戚関係への言及*も珍しいが、それよりも興味深いのはホームズがワトソンを何としても再びベイカー街に取り戻したがったことである。

*この若い医者の苗字Vernerはホームズの曾御祖母さんの実家の苗字Vernetが英国風になまったものだろう。

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