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2011年1月11日 (火)

スネークピットについて(4)

 1951年の初頭にベルギー人レスラーのカール・イスタス(ゴッチ)はウィガンにあるスネークピット・ジムを訪ねた。このときビリー・ライリーはすでに50歳を越えていたが、ジムでは多くの現役レスラーが練習していた。
 ヘビー級のゴッチから見れば小柄なレスラーが多かった。しかしスパーリングをしてみると誰もが強く、ゴッチは簡単にタップを奪われるのだった。ライト級の選手にもタップを奪われた。
――というのは、私が調べたのではなくて、那嵯涼介氏の研究による。GスピリッツVOL8の『ベルギーのカレル・イスタス――カール・ゴッチの欧州時代――』(p.50~59)にもっと詳しく書いてある。
 ゴッチは1948年のロンドン五輪で、グレコローマンとフリースタイルでライトヘビー級(87kg以下)に出場したが予選で敗退した。
 ゴッチはプロレスに転向し、1950年10月にアントワープでデビュー戦を行った。
「この試合はリングもロープもなく、アマレス用のマットが使用されたという。ルールもアマレスのものが採用された。」(GスピリッツVOL8, p.63)

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 1951年の初頭にゴッチがスネークピットに来たとき、彼はグレコローマンとフリースタイルの戦い方を知っていた。しかし関節を極めてタップを奪うという戦い方は知らなかったようだ。ゴッチはスネークピットでこの技術を習得しようとした。
 ダブルリストロックのかけ方などはここで学んだのだろうか。ベルギーにはサブミッション・レスリングはなかったようだ。(那嵯氏は「サブミッション・レスリング」という言葉を使っていない。別の言葉を使っていて、それは「違う」のだが、ここでは議論を蒸し返さない。)
 このサブミッション・レスリングの起源は何か、などはゴッチもロビンソンもビリー・ライリーも考えなかったようだ。いくらかでも歴史に関心があれば、1896年生まれのビリー・ライリーがまだ子供だった1900年代に谷幸雄という柔術家が活躍したことを思い出したはずだ。谷幸雄は「柔術着着用、サブミッションあり」では不敗で、ランカシャーのレスラーにも勝っている。
 ヘルス&ストレングス誌1903年12月号の記事(柔道か柔術か(54))http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/54-5da9.html

「器用な日本人レスラーのタニ・ユキオは、最近リーズのティボリ・ミュージックホールに出ている。自分と15分間戦うことができれば誰にでも20ポンド進呈するという触れ込みであるから、ランカシャーとヨークシャーの最強のレスラーたちが挑戦しているが、まだ誰も20ポンドを獲得した者はいない。英国のレスリングとしてはジャップのやり方は邪道だと評する向きもある。有名なランカシャーのレスラー、アクトンも7分半で敗れた。」

 どういう技を使ったのかは、スポーツマン紙1907年12月10日号

「今週のチェルシー・パレスのスターは柔術家のタニ・ユキオである。彼は自分に勝てば100ポンド、15分間ギブアップしなければ20ポンドの賞金を出すという。最初に挑戦したのはフルハムのフォスター・スカンチャで、体重147ポンドの有名なレスラーである。彼は2分23秒、アームロックで敗れた。バッターシーのトム・ピアスが続きなかなか健闘したが、5分38秒、アーム・アンド・レッグ・ホールドで敗れた。続いて、アルフ・ジェームズが3分27秒戦い、地元レスラーのビル・ウィリアムズは8分11秒も戦った。今夜はジャック・マッデンがタニと雌雄を決する。」

 20世紀の初めに英国のレスラーたちは「柔術、柔術と大騒ぎしているが、サブミッションなんてのは俺たちのスタイルにも昔からある技術なんだぜ」(GスピリッツVOL9, p.55、那嵯氏の記事)と言っただろうか? サブミッション技としてのアームロックやアーム・アンド・レッグ・ホールドは谷幸雄が初めて披露したのではないだろうか。レスリングにも同じような技があったのならば、そう簡単に極められなかったはずだ。

 谷幸雄の持ち込んだ柔術は二通りの方向で英国に広まった。
 1918年、小泉軍治がロンドン武道会を設立し谷幸雄を師範にして柔術を教え始めた。これは1948年の英国柔道協会設立につながる。
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/2-7e00.html 
 英国で柔術/柔道を正式に学んだのは中流以上の階層である。柔道着購入やレッスン料の支払いはかなり費用がかさむ。女まで柔術をやるというのも中流以上の発想である。(スネークピットでは、子供はだめ、女もだめであった。)

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 労働者階級のレスラーたちはどうしたか?
「ジャップの柔術技はよく効くなあ。俺たちもやってみようぜ。別に柔術ジャケットなんか着ないでいい。裸でもアームロックはできるはずだ」
 柔術が取り入れられ、やがて1930年、英国初の「オールイン」の興行がロンドンで行われた。

「オールイン」とは、要するに当時ひろく行われていた三つのレスリング・スタイル、すなわち柔術(柔道)、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン、グレコローマンを混ぜ合わせたものである。従来よりも刺激的で観客受けする新しいレスリングを作ることが目的であった。二人の巨人がマット上で組み合って何時間も戦い続けるのは時代後れになったのだ。レスリングは組織的なものになった。レスリング監理委員会ができ、ラウンド制が導入され、勝負は2フォールまたは2サブミッションまたはノックアウトで決められた。(オールインについて http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-8e47.html

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