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2011年2月22日 (火)

投書について(6)

 さて、ようやく本論に入る(本論があったのです)。
 英国では新聞への投書が盛んに行われていて、投書には決まった形式がある。
 「Sir,―― 拝啓、編集長殿。」で始める決まりで、ハイフンの次には、新聞のどの記事(または投書)に関する投書であるかを明らかにする。「拝啓、編集長殿。最近貴紙に……という記事(投書)が載りましたが、これについて私は……」この部分にrecent letter(s)という言葉が出て来ることが多い。アーヴィング・ウォレスが1957年にサンデータイムズに載せた投書では

 Sir.――A recent letter from Mr. Adrian Conan Doyle has been brought to my attention. In this letter, Mr. Doyle, having read Mr. Cyril Connolly's review of my book……
 
 このrecent letterはエイドリアン・コナン・ドイルの「投書」であった。『最後の事件』では

My hand has been forced, however, by the recent letters in which Colonel James Moriarty defends the memory of his brother, and I have no choice but to lay the facts before the public exactly as they occurred.

しかるに、最近になって、ジェームズ・モリアーティー大佐が死んだ兄を弁護しようと、公開状をもって世間に訴えるという挙に出たため、私もやむなくありのままの事実をひとびとの前に提示すべく、ふたたび筆をとることを余儀なくされたのである。(深町真理子訳)

ところが最近、ジェイムズ・モリアーティ大佐が、死んだ兄を弁護するあのような公開状を発表したので、やむをえずわたしもふたたびペンをとり、ありのままの事実を正確に公表せざるをえなくなったのだった。(日暮雅通訳)

ところが、最近ジェイムズ・モリアーティ大佐が死んだ兄を弁護するあのような公開状を発表したので、私もやむをえずわたしもふたたびペンをとり、ありのままの事実を正確に世間に公表せざるをえなくなった。(中野康司訳)

最近、ジェイムズ・モリアーティ大佐が、死んだ弟を弁護するああした公開状を書いた以上、私もペンを取らざるを得ず、ありのままの事実を、正確に、公表しないでいることは、もはやゆるされないのだ。(阿部知二訳)

ところが、最近ジェームズ・モリアーティ大佐が死んだ弟を弁護するために、あのような公開状を発表したので、私としても、やむなくペンをとって、ありのままの事実を正確に発表しないわけにはいかなくなった。(大久保康雄訳)

 the recent lettersを「公開状」と訳したのは阿部知二氏の訳が一番古いようだ。1960年初版である。(ハヤカワの大久保康雄訳を忘れていたので追加)。ほかの訳は

けれども最近ジェームズ・モリアーティ大佐の書いた死んだ弟の名誉を支持しようとする二、三の文書は、私の出馬を強いた。かくなるうえは私もペンをとって、あるがままの事実を公表せざるを得ないのである。(延原謙訳)

しかし、最近ジェームズ・モリアーティ大佐が、死んだ兄弟の名誉を弁護するために書いた手紙のために、わたしは書かざるをえなくなった。事実をありのまま正確に世間に公表せざるをえない。(小林司・東山あかね訳、河出書房1999年)

 公開状は間違いです。公開状というのはたとえば

300pxj_accuse

 文豪エミール・ゾラ(1840―1902)の「J'accuse 我弾劾す」は1898年1月13日、新聞オーロールに載った。ドレフュス事件に関してフランス共和国大統領宛に書いた公開状であった。
 広津和郎は松川事件で公開状を書いてもよかった。コナン・ドイルもジョージ・エダルジ事件とオスカー・スレイター事件では公開状を書く資格があった。
 しかし
「私の兄(弟)は大人しい数学教師(a retiring mathematical coach)だったのに、自称諮問探偵のシャーロック・ホームズという男に迫害され、遂にはライヘンバッハの滝で……」「The Dynamics of Asteroidの著者が犯罪界のナポレオンだというのは、まったくコカイン中毒の妄想である」「ホームズ氏が7パーセント溶液を常用していたことは、ワトソン博士の記録からも明かである」
 というのは、ちょっと公開状には馴染まないのではないか。

Charles_babbage_letter_to_the_edito

 これはモリアーティ大佐がタイムズかデイリーテレグラフのような新聞に何度か投書したのだ。(小林・東山訳が一番近いが、「手紙とは何だろう?」という疑問が出てしまう。)ワトソンは同じ新聞に投書することもできた。

Sir,――Recent letters from Colonel James Moriarty have been brought to my attention. In these letters, Colonel Moriarty, in an attempt to defend the memory of his brother, insinuates that Sherlock Holmes, the best and the wisest man that I have ever known, was……

 しかし「事実をありのまま正確に世間に公表」するには投書欄は狭すぎる。「小説より奇なり」というくらい不思議な事実だったからだ。幸いストランド・マガジンがあったので、ワトソンは親友ホームズを十分に弁護することができた。

It is with a heavy heart that I take up my pen to write these the last words in which I shall ever record the singular gifts by which my friend Mr. Sherlock Holmes was distinguished. ……しかるに最近ジェイムズ・モリアーティ大佐が死んだ兄(弟?)を弁護しようと新聞紙上に投書を繰り返したため、私は書かざるを得なくなった。事実を正確にありのまま……

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コメント

しつこいですが、我が尊敬する笹野史隆さんは「投書」と訳しておられます。
もう何と言うか。

投稿: ころんぽ | 2011年2月26日 (土) 17時11分

何と! こっちが発見したと思っていたのに。ずっと先に、偉いもんだねえ。

投稿: 三十郎 | 2011年2月26日 (土) 19時23分

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