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2011年2月28日 (月)

漂泊のジプシー(1)

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ヘレン・ストーナー嬢「父には漂泊のジプシーの群れしか友達と申すものはございません。ロイロット家の領地としてのこっておりますわずか二、三エーカーの茨の生い茂る土地のなかに、自由にテントをはることを許してやりまして、その代わりに父は彼らのテントの客分になり、彼らの仲間にはいってときどき何週間もつづけて諸方を漂泊して歩くのでございます」
(延原謙訳)

 最新の深町真理子訳では

「親しい友人などはもちろんなくて、ただ放浪のロマ族の群れにだけは心を許し、そのひとたちには、わずかに残った所領の一部の、茨の生い茂る四、五エーカーの土地に野営するのを認めてやったうえ、お返しに彼らのテントで歓待されたり、ときには彼らといっしょに何週間もつづけて放浪の旅に出たりするのです」

 ロマ族ですか。東京創元社も大変だね。「ジプシー」というのは差別語なのだろうか。どういう気違いが故障を申し立てて来るか分からないから用心するに如くはないのだが。

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2011年2月25日 (金)

おすもうさんらしい

「このあいだ、白鵬もインタビューで『八百長について見聞きしたことがあるか』と訊かれた時に、『ないとしかいいようがない』と答えていました。良い……(しみじみと)できてますね……非常におすもうさんらしい受け答えをしていましたね。『ないとしかいいようがない』……あると認めているようで、それ以上の質問を制している。記者たちもそこから突っ込めない(笑)。あれは見事ないなしでした。彼は本当に相撲を背負っているんだと感心しました」
(高橋秀実、ゴング格闘技4月号p.91)

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村上春樹と高橋秀実http://www.shinchosha.co.jp/nami/tachiyomi/20110127_03.html



高橋秀実氏http://www.sbbit.jp/article/cont1/22590

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2011年2月23日 (水)

Rauchen verboten! 禁煙

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2011年2月22日 (火)

投書について(6)

 さて、ようやく本論に入る(本論があったのです)。
 英国では新聞への投書が盛んに行われていて、投書には決まった形式がある。
 「Sir,―― 拝啓、編集長殿。」で始める決まりで、ハイフンの次には、新聞のどの記事(または投書)に関する投書であるかを明らかにする。「拝啓、編集長殿。最近貴紙に……という記事(投書)が載りましたが、これについて私は……」この部分にrecent letter(s)という言葉が出て来ることが多い。アーヴィング・ウォレスが1957年にサンデータイムズに載せた投書では

 Sir.――A recent letter from Mr. Adrian Conan Doyle has been brought to my attention. In this letter, Mr. Doyle, having read Mr. Cyril Connolly's review of my book……
 
 このrecent letterはエイドリアン・コナン・ドイルの「投書」であった。『最後の事件』では

My hand has been forced, however, by the recent letters in which Colonel James Moriarty defends the memory of his brother, and I have no choice but to lay the facts before the public exactly as they occurred.

しかるに、最近になって、ジェームズ・モリアーティー大佐が死んだ兄を弁護しようと、公開状をもって世間に訴えるという挙に出たため、私もやむなくありのままの事実をひとびとの前に提示すべく、ふたたび筆をとることを余儀なくされたのである。(深町真理子訳)

ところが最近、ジェイムズ・モリアーティ大佐が、死んだ兄を弁護するあのような公開状を発表したので、やむをえずわたしもふたたびペンをとり、ありのままの事実を正確に公表せざるをえなくなったのだった。(日暮雅通訳)

ところが、最近ジェイムズ・モリアーティ大佐が死んだ兄を弁護するあのような公開状を発表したので、私もやむをえずわたしもふたたびペンをとり、ありのままの事実を正確に世間に公表せざるをえなくなった。(中野康司訳)

最近、ジェイムズ・モリアーティ大佐が、死んだ弟を弁護するああした公開状を書いた以上、私もペンを取らざるを得ず、ありのままの事実を、正確に、公表しないでいることは、もはやゆるされないのだ。(阿部知二訳)

ところが、最近ジェームズ・モリアーティ大佐が死んだ弟を弁護するために、あのような公開状を発表したので、私としても、やむなくペンをとって、ありのままの事実を正確に発表しないわけにはいかなくなった。(大久保康雄訳)

 the recent lettersを「公開状」と訳したのは阿部知二氏の訳が一番古いようだ。1960年初版である。(ハヤカワの大久保康雄訳を忘れていたので追加)。ほかの訳は

けれども最近ジェームズ・モリアーティ大佐の書いた死んだ弟の名誉を支持しようとする二、三の文書は、私の出馬を強いた。かくなるうえは私もペンをとって、あるがままの事実を公表せざるを得ないのである。(延原謙訳)

しかし、最近ジェームズ・モリアーティ大佐が、死んだ兄弟の名誉を弁護するために書いた手紙のために、わたしは書かざるをえなくなった。事実をありのまま正確に世間に公表せざるをえない。(小林司・東山あかね訳、河出書房1999年)

 公開状は間違いです。公開状というのはたとえば

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 文豪エミール・ゾラ(1840―1902)の「J'accuse 我弾劾す」は1898年1月13日、新聞オーロールに載った。ドレフュス事件に関してフランス共和国大統領宛に書いた公開状であった。
 広津和郎は松川事件で公開状を書いてもよかった。コナン・ドイルもジョージ・エダルジ事件とオスカー・スレイター事件では公開状を書く資格があった。
 しかし
「私の兄(弟)は大人しい数学教師(a retiring mathematical coach)だったのに、自称諮問探偵のシャーロック・ホームズという男に迫害され、遂にはライヘンバッハの滝で……」「The Dynamics of Asteroidの著者が犯罪界のナポレオンだというのは、まったくコカイン中毒の妄想である」「ホームズ氏が7パーセント溶液を常用していたことは、ワトソン博士の記録からも明かである」
 というのは、ちょっと公開状には馴染まないのではないか。

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 これはモリアーティ大佐がタイムズかデイリーテレグラフのような新聞に何度か投書したのだ。(小林・東山訳が一番近いが、「手紙とは何だろう?」という疑問が出てしまう。)ワトソンは同じ新聞に投書することもできた。

Sir,――Recent letters from Colonel James Moriarty have been brought to my attention. In these letters, Colonel Moriarty, in an attempt to defend the memory of his brother, insinuates that Sherlock Holmes, the best and the wisest man that I have ever known, was……

 しかし「事実をありのまま正確に世間に公表」するには投書欄は狭すぎる。「小説より奇なり」というくらい不思議な事実だったからだ。幸いストランド・マガジンがあったので、ワトソンは親友ホームズを十分に弁護することができた。

It is with a heavy heart that I take up my pen to write these the last words in which I shall ever record the singular gifts by which my friend Mr. Sherlock Holmes was distinguished. ……しかるに最近ジェイムズ・モリアーティ大佐が死んだ兄(弟?)を弁護しようと新聞紙上に投書を繰り返したため、私は書かざるを得なくなった。事実を正確にありのまま……

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2011年2月21日 (月)

投書について(5)

 バーナード・ショーの反論の投書。

 拝啓、編集長殿。私の友人サー・アーサー・コナン・ドイルがロマンティックで熱烈な抗議をされましたが、私の記事をよく読んで考えなおすことをお勧めしたい。正気の人間なら私が使った一語(lie ウソという言葉)に異議を唱えることはできないはずです。……
……ジャーナリストが大騒ぎして、弁護を引き受けた被告が絞首刑になった弁護士、患者を死なせた医者、戦争で負けた将軍、船を海底に沈めた船長を誉め称えるのならば、そのようなウソは絶対に暴かなくてはならない。英国人の船長で自分の義務を果たし指示に従って氷山の海を乗り切った者は多い。救命ボートを下ろす必要が生じたときには死の危険を前にして規律を保ち救える命は残らず救った船長も多い。そういう船長には誰も「ありがとう」と言わない。ロマンティックなジャーナリストの感情を刺激しないからであります。しかし私はそういう船長こそが偉いと思い、できることなら彼らの船に乗りたい。………
……私はジャーナリストたちに正気に返って欲しい、ロマンティックなウソはやめてもらいたいと思って、これを書いたのであります。……

 ドイルは5月25日に最後の投書をした。
 
 拝啓、編集長殿。この論争はもはや不毛のものとなってきましたので、最後にショー氏の返答中の一点についてだけ触れておきます。私が氏をウソつき呼ばわりしたと氏は言われる。私はそういう無礼は働いておりません。ただ、ショー氏は輝かしい才能に恵まれているけれども、一つだけ欠けている性質があると言いたい。良き趣味というか、人間性というか、無用に人の感情を傷つけることを避ける配慮がないのであります。

 ヘスキス・ピアソンによれば、論争はショーの勝ちだったかも知れない。しかし「読者の99%はたとえ間違っていてもバーナード・ショーよりはコナン・ドイルに与したいと思ったに違いない」。

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2011年2月20日 (日)

投書について(4)

 コナン・ドイルの投書

 Sir,――I have just been reading the article by Mr. Bernard Shaw upon the loss of the Titanic, which appeard in your issue of May 14th.……
 拝啓、編集長殿。貴紙5月14日号に載ったバーナード・ショー氏のタイタニック号沈没に関する記事を読みました。……
……ショー氏はスミス船長の行動をおとしめようとしました。彼は虚偽を仄めかしたのであります。世論はスミス船長に同情して彼の操船の失敗を大目に見ているというのでありますが、ショー氏自身を含めて誰もが知っているように、船長が危険を冒したことについては弁護する者などいないのです。年老いた立派な船乗りがただ一度恐ろしい過ちを犯し、その償いのために自らの命を捨て、救命胴衣をつけずに最後の瞬間まで自分が傷つけてしまったひとびとの救助に尽力し、最後には子供を連れて救命ボートまで泳ぎ着き、自分はボートに乗るのを拒んだのであります。これが事実であり、この事故が「英国航海術の勝利」としてたたえられたというのは、真実から程遠いのであります。「ネルソンも受けなかった賛辞」云々も同じであります。もし責任あるジャーナリストがスミス船長をネルソン並に賞賛している記事をショー氏が一つでも挙げてくれれば、私は喜んでフェビアン協会に100ポンドを寄付いたします。……
…… 
 ドイルの書いたものはかなりの長文であるが投書である。「拝啓、編集長殿」に始まり、まずどの記事についての投書かを明らかにしてから自分の意見を述べている。
 これに対して5月22日にバーナード・ショーの反論が載った。

Sir,――I hope to persuade my friend Sir Arthur Conan Doyle, now that he has got his romantic and warmh-hearted protest off his chest, ……

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2011年2月19日 (土)

投書について(3)

 タイタニック号の沈没(1912年4月14日)をめぐるバーナード・ショーとコナン・ドイルの論争も投書を通じて行われた。
 4万6千トンの豪華客船タイタニック号は、ディカプリオの映画の通りに沈没し、乗客乗員2201人のうち救助されたのは711人だった。スミス船長は船と運命をともにした。
 英国の新聞は沈没の知らせが入ると同時に船長や乗組員や乗客の勇敢な行動を誉め称え始めた。
 沈没事件から1ヶ月たった5月14日に、ジョージ・バーナード・ショーが爆弾を投げ込んだ。デイリー・ニューズ・アンド・リーダー紙に
Some Unmentioned Moralsという題の記事を載せた。ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝によれば

……すべての男が――ただし外国人は除く。外国人は女と子供を突き倒して救命ボートに乗り込もうとして、英国人の船員に射殺されるのだ――すべての男が英雄であるが、船長は超英雄でなければならない。優れた船乗りであり、冷静沈着勇敢で死と危険をものともせず、今回の海難が誰の責任でもなく、反対に英国航海術の勝利であることを保証する存在でなければならない。
 そのような男としてスミス船長は誉め称えられた。はじめ彼が船橋で拳銃を自分の頭に撃ち込んだと伝えられ――いや、一等航海士を撃ったのだったか、それとも一等航海士に撃たれたのだったか、いずれにせよ拳銃を撃ってうまく幕を下ろしたと信じられたからである。それまでスミス船長のことなど少しも知らなかった記者共が、ネルソン提督についても書かないような賛辞を船長に呈した。一つはっきり分かっていることは、スミス船長が氷山の漂う海域に最高速度で船を突っ込ませて沈めてしまったことである。彼は罰を受けた。彼に命を預けていた多くの人たちも罰を受けた。もし彼がその人たちと船を無事に向うに渡していたとすれば、誰も彼には注目しなかっただろう。……

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(スミス船長)

 デイリー・ニューズ・アンド・リーダー紙の5月20日号にコナン・ドイルの投書が載った。

Sir,――I have just been reading the article by Mr. Bernard Shaw upon the loss of the Titanic, which appeard in your issue of May 14th. ……

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2011年2月18日 (金)

投書について(2)

拝啓、編集長殿。最近貴紙読書欄に拙著『暗夜行路』の書評が載りましたが、そのなかで書評子は時任謙作について………と書いておられます。しかしこれは間違いであり極めて不愉快云々………
敬具  志賀直哉
 
 というような投書は、もちろんなかった。
 ところが英国ではグレアム・グリーンもコナン・ドイルもバーナード・ショーも、新聞を読んでいて記事(投書を含む)について言いたいことがあれば編集長宛に手紙を書くので、有名人が投書をするのはふつうのことである。

 グリーンの本の翻訳の題名はちょっとずれているが、直訳で『敬具:新聞への投書』では困るからわざと『投書狂』としたので、彼が特にマニアだったわけではない。コナン・ドイルやバートランド・ラッセルの投書も、本にまとめたものが残っている。
 日本でも現在の投書欄は廃止して英国式の「編集長への手紙」欄を作るべきだ。同姓同名は区別できるようにする必要がある。村上春樹(小説)、村上春樹(平将門研究)、江川卓(野球)、江川卓(ロシア文学)などとすればよい。もちろん有名人でなくてよいので、小林秀雄(大工)の投書も載る。

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2011年2月17日 (木)

グレコローマン

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技をかけている方がハッケンシュミットらしい。

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2011年2月16日 (水)

方便です

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http://1kara.tulip-k.co.jp/1kara/021.html

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サラサーテ

Sarasate

  "Sarasate plays at the St. James's Hall this afternoon," he remarked. "What do you think, Watson? Could your patients spare you for a few hours?"
  "I have nothing to do to-day. My practice is never very absorbing."
  "Then put on your hat and come. I am going through the City first, and we can have some lunch on the way. I observe that there is a good deal of German music on the programme, which is rather more to my taste than Italian or French. It is introspective, and I want to introspect. Come along!"

 ホームズとワトソンがこういう会話をしたのは1887年のことだった。パブロ・サラサーテ(1844―1908)は四十代であった。コンサートの曲目はドイツ物が多かったというが、自身が10年前に作曲したツィゴイネルワイゼンはもちろん弾いただろう。
 ツィゴイネルワイゼンのサラサーテ自身による演奏は
http://www.youtube.com/watch?v=ABm7nMVyNh4&feature=related

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2011年2月15日 (火)

世界最強アレクサンドル・カレリン

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1998年撮影

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2011年2月14日 (月)

投書について(1)

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サンデータイムズ紙1957年1月13日号の投書欄より

(原文)
Sir,――A recent letter from Mr. Adrian Conan Doyle has been brought to my attention. In this letter, Mr. Doyle, having read Mr. Cyril Connolly's review of my book …………(以下原文略)

(和訳)
 拝啓、編集長殿。最近エイドリアン・コナン・ドイル氏の投書が掲載されたことを知りました。この投書でドイル氏は、拙著"The Fabulous Originals"に対するシリル・コナリー氏の書評を読んで、同書の中の一章に反対しておられます。この章で、私はエディンバラのジョゼフ・ベル博士という異才がシャーロック・ホームズの原型だと述べました。
 これに対してドイル氏はご自分のお父上こそシャーロック・ホームズのモデルである、ベル博士が原型だというのは「御伽噺」であると主張されています。
 ドイル氏の親孝行には感服しますが、孝行も度を越せば議論の客観性を損ないます。ここで私は自分の主張をごく簡単にまとめておきます。
1. ベル博士側の最重要証人としては、シャーロック・ホームズの創造者自身を挙げることができる。サー・アーサー・コナン・ドイルは1892年5月7日付けのベル博士宛の手紙で自分の着想の源を率直に認めている。ホームズの創造は恩師の教えによるところが多く、特に観察と推論のお手本を見せてもらったおかげだと言う。
2. ドイルと同じようにエディンバラ王立病院でベル博士の下で学びシャーロック・ホームズの創造に果たした博士の役割を知る人たちとの文通や面談を通じて、私は何年も前からサー・アーサーが認めたことを確認している。
 ロバート・ルイス・スティーブンソンでさえ、1893年にはじめて「独創的できわめて興味深い」シャーロック・ホームズを読み、サモアから寄越したサー・アーサー宛ての手紙でこう尋ねている。「ひとつだけ気になることがあります。これは私の旧友のジョー・ベルのことを書いたものでしょうか?」

 アーヴィング・ウォレス拝
 ロサンジェルスにて

 英国の新聞では投書は「編集長への手紙 Letter to the editor」という。英国ではエイドリアン・コナン・ドイルやアーヴィング・ウォレスよりはるかに有名な作家でもよく新聞や雑誌に投書する。

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2011年2月12日 (土)

米国債

 例えば、あなたが100億ドルを誰かにもらったとしよう。1兆円近い額だ。それをどうするか。アメリカの銀行に預けるとでも言うのか。 
 アメリカの銀行もペイオフ制度があるから、破綻したら20万ドルしか戻ってこない。それでいいのか、という話なのだ。
 私ならまちがいなく米国債を買う。そうすれば、確実に金利が入ってくる。
 破綻のリスクを無視して銀行に預金をしたとしても、100億ドルを預かった銀行は、何らかの形で絶対に運用しなければならない。結局、銀行も米国債を買うはずだ。
 だったら、直接米国債を買ったほうがましである。
(p.63)

 なるほど。僕も米国債を買おうかな。 

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2011年2月11日 (金)

シャーロック・ホームズの新訳(3)

『最後の事件』には、各社から出ている翻訳に共通する大きな間違いが二つあった。これは当ブログでかなり前に指摘している。

(1)牧師か神父か
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_dd08.html 以下

(2)モリアーティ元教授の職業
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/1_cc65.html 以下

 創元推理文庫の新訳版ではどうなっているか。

(1)見るからに有徳の人らしいイタリア人の司祭がひとり、荷物はパリまで通しで託送したいのだと、片言の英語で懸命に赤帽に訴えているので、見かねてちょっと口添えしてやり、それで数分がつぶれた。(p.422)
I spent a few minutes in assisting a venerable Italian priest, who was endeavouring to make a porter understand, in his broken English, that his luggage was to be booked through to Paris.

(2)勤め先の大学周辺で、いろいろいやなうわさが聞こえてくるようになり、やがてとうとう教授職も辞するはめになって、ロンドンに流れてくると、軍人相手の個人教師となった。(p.410)
Dark rumours gathered round him in the university town, and eventually he was compelled to resign his chair and to come down to London, where he set up as an army coach.

  阿部知二訳の「イタリア人の老牧師」がなおっているのはめでたい。
 しかしarmy coachは「軍人相手の個人教師」である。モリアーティ先生、軍人を相手にして何を個人指導したのだろう。二項定理でも教えたのかな?

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2011年2月10日 (木)

シャーロック・ホームズの新訳(2)

I am satisfied that the time has come when no good purpose is to be served by its suppression.

そしていまや、真実を秘匿していてもなんの益もない、という時が到来した。それを私は満足に思う。(深町真理子)

真相を伏せておくことがなんの役にも立たぬ時期の到来したことを、満足に思う。(阿部知二)

 筋が通らない。モリアーティ大佐がおかしなことを言うから、こうなったら仕方がない、真相をバラしちゃうぞ、とワトソンは言っているのだ。どうして「満足に思う」のか?
 翻訳家が英語に弱いのにはあきれてしまう。satisfyは満足ですか。赤尾の豆単で覚えたのかな?

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 辞書くらい引いたらどうですか。

satisfy
1a 〈人を〉満足させる; 〈人〉の意を満たす; [pass] 満足する, 甘んずる〈with sth, with doing, to do〉.
・I am satisfied with your progress. きみの上達に満足している.
  b 納得[安心, 確信]させる.
・I satisfied myself of his competence.=I satisfied myself that he was competent. 彼の有能さに確信を得た.
・I'm satisfied (that) he is the thief. あいつが賊だと確信する.
(以下略)

I am satisfied that……で、「……と私は確信している」という意味だ。

I am satisfied that (the time has come when) no good purpose is to be served by its suppression.

真相を隠しておくのはもはや無意味である時が来たと私は確信している。(the time has come whenは省略可。日本語は省略すべし)

 ほかの訳本はどうか。

・私としてはこの真相を秘しておいても、もはやなんの役にも立たぬ時節の到来したことを満足に思う。(新潮文庫、延原謙)

・世間から隠しておいても、なんの役にも立たない時がやって来て、わたしは満足している。(河出書房、小林司、東山あかね)

・真相をかくしておくことがなんの役にも立たない時期が到来したのを、私はうれしく感じている。(ハヤカワ文庫、大久保康雄)

・真相を隠しても何の役にも立たぬ時期が来たことを、私はむしろうれしく思う。(ちくま文庫、中野康司)

・真相を隠しておいても何の役にも立たない時期が来たことを、うれしく思う。(光文社文庫、日暮雅通)

「満足」では変だと思ったから「うれしく」にしたのかな。揃って同じ間違いは困る。 
 語法に不審があれば「勝俣を見よう」と英和活用大辞典(勝俣銓吉郎氏編纂)を引くのが昔から英語屋の間では常識だ。ブンガクの人たちはそういうことをしないのか。この辞書も今は新版がCD-ROMになっている。satisfyとthatが共起する場合の例文

・I am satisfied that she is innocent. 彼女の無罪を確信している。
・I am not satisfied that there is a market for it. そんなものに果たして需要があるかどうか確信がもてない。
・When she was satisfied that everything was ready, she lit the fuse. すべて整ったと確信すると導火線に点火した。
・He satisfied me that he could do the job well. 彼は仕事がうまくできると私に得心[納得]させた。
・I have satisfied myself that she is competent. 彼女には能力があると確信している。
・Once I had satisfied myself that there was nothing I could do to help, I went home. 何も手助けできないと見定めると帰宅した。
・The committee is satisfied that Mr. Smith played no part in these events and that he was not in any way responsible for the tragic accident which followed. 委員会はスミス氏がこれらの出来事になんら関係しておらず, その後の悲劇的な事故にまったく責任がないと確信[納得]した。
・I will not give you any money until I am fully satisfied that you are grown-up enough to use it sensibly. あなたがお金を賢明に使えるほどに成長したと十分納得するまでは, いっさいお金を与えません。

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2011年2月 9日 (水)

シャーロック・ホームズの新訳(1)

 創元推理文庫から深町真理子氏によるシャーロック・ホームズの新訳が出始めている。If I am not mistaken, これがホームズの翻訳としては最新版だ。

『シャーロック・ホームズの冒険』2010年2月19日初版
『回想のシャーロック・ホームズ』2010年7月30日初版
『緋色の研究』2010年11月30日初版

 これまで創元推理文庫のホームズは阿部知二訳だったのを深町真理子訳で置き換えようということらしい。『シャーロック・ホームズの事件簿』は1991年に深町訳がもう出ているからそのままなのだろう。
 ちょっとのぞいてみよう。

 わが友シャーロック・ホームズ氏の名を天下に知らしめたあの世にもまれな才能について、その最後の記録を書き綴るべく、私はいま重い気持ちでペンをとる。かつて『緋色の研究』の事件のころ、ふとしたことから彼と知りあって以来、近くは彼のかかわったかの"海軍条約"の一件にいたるまで、つねに彼と行動をともにすることで味わった私の特異な体験のことは、これまでおよそまとまりのない、つたない文章でではあるものの、なんとかわが手でその一端なりともお伝えしようと骨折ってきた。「海軍条約事件」では、その解決にホームズが乗り出したことにより、確実にひとつの国際紛争が避けられたのだが、以来、私としては、これを最後に筆を折り、その後に起きたあの出来事――二年後のいまも、私の生活にいささかも埋まらぬ空白を残している忌まわしい出来事――については、いっさい口をとざして語らぬつもりでいた。しかるに、最近になって、ジェームズ・モリアーティー大佐が死んだを弁護しようと、公開状をもって世間に訴えるという挙に出たため、私もやむなくありのままの事実をひとびとの前に提示すべく、ふたたび筆をとることを余儀なくされたのである。あの出来事の真相を余すところなく知るものは、ひとりこの私のみ、そしていまや、真実を秘匿していてもなんの益もない、という時が到来した。それを私は満足に思う。

 もちろん『最後の事件』の書き出し。いいなあ!
 旧訳よりは確実によくなっていますね。
 阿部知二訳では

……最近、ジェイムズ・モリアーティ大佐が、死んだを弁護するああした公開状を書いた以上、私もペンを取らざるを得ず、ありのままの事実を、正確に、公表しないでいることは、もはやゆるされないのだ。事件の完全な真相を知るものは私だけであり、真相を伏せておくことがなんの役にも立たぬ時期の到来したことを、満足に思う。
 
「死んだ兄」と「死んだ弟」。大佐と教授のどちらが兄でどちらが弟なのか? 名前が二人ともJamesらしいので、一層区別がつきにくい。原文には何と書いてあるのだろうか?

  It is with a heavy heart that I take up my pen to write these the last words in which I shall ever record the singular gifts by which my friend Mr. Sherlock Holmes was distinguished. In an incoherent and, as I deeply feel, an entirely inadequate fashion, I have endeavoured to give some account of my strange experiences in his company from the chance which first brought us together at the period of the "Study in Scarlet," up to the time of his interference in the matter of the "Naval Treaty" -- an interference which had the unquestionable effect of preventing a serious international complication. It was my intention to have stopped there, and to have said nothing of that event which has created a void in my life which the lapse of two years has done little to fill. My hand has been forced, however, by the recent letters in which Colonel James Moriarty defends the memory of his brother, and I have no choice but to lay the facts before the public exactly as they occurred. I alone know the absolute truth of the matter, and I am satisfied that the time has come when no good purpose is to be served by its suppression.

 his brotherとしか書いてない。elderかyoungerかを書いてくれなくては分からないじゃないか。ワトソンという人はいつでも細部が不正確で困ったものだ。
 それはそれとして、新旧の訳に共通した誤訳が一箇所あります。どこでしょうか?

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2011年2月 8日 (火)

女か虎か――翻訳の名人芸

 In the very olden time there lived a semi-barbaric king, whose ideas, though somewhat polished and sharpened by the progressiveness of distant Latin neighbors, were still large, florid, and untrammeled, as became the half of him which was barbaric. He was a man of exuberant fancy, and, withal, of an authority so irresistible that, at his will, he turned his varied fancies into facts. He was greatly given to self-communing, and, when he and himself agreed upon anything, the thing was done. When every member of his domestic and political systems moved smoothly in its appointed course, his nature was bland and genial; but, whenever there was a little hitch, and some of his orbs got out of their orbits, he was blander and more genial still, for nothing pleased him so much as to make the crooked straight and crush down uneven places.

 フランク・ストックトンの『女か虎か』The Lady Or The Tiger? の第一節。
全文はhttp://www.eastoftheweb.com/short-stories/UBooks/LadyTige.shtml

 むかしむかし大昔、一人の半未開人の王様があった。その王様の考えることといえば、遠いラテン系の隣国の文明開化の影響をうけていくらか洗練されていたとはいえ、まだ自由奔放で華麗をきわめ、いかにも未開人らしい彼の半分にふさわしいものであった。もともと気まぐれな性質だった上に、たいへんな権力をもっていたので、自分のいろんな気まぐれを、思うまま、実行にうつした。非常に反省ということを心掛けていて、一度こうと自分に納得してはじめて実行するのだった。王家のものたち、政府の役人たちが、みんな命令された通り、何のいざこざもなく行動しているあいだの彼は穏和な人物であった。ちょっとした悶着が起こるとか、王命が違背された時の彼のほうが、さらに機嫌がよかった。というのは、曲がったものをまっすぐにし、凹凸をならすほど好きなことはなかったからである。

 ミステリマガジン三月号の巻頭が中村能三訳の『女か虎か』である。
 翻訳を見て「これは自分が訳したことにしたい」と思うことがまれにある。この場合がそうだ。
 こういうちょっと凝った英語は中村能三訳が一番だ。(「のうぞう」ではなくて「よしみ」らしい。ウィキペディアの中村能三http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E8%83%BD%E4%B8%89
 
whenever there was a little hitch, and some of his orbs got out of their orbits, he was blander and more genial still, for nothing pleased him so much as to make the crooked straight and crush down uneven places.
ちょっとした悶着が起こるとか、王命が違背された時の彼のほうが、さらに機嫌がよかった。というのは、曲がったものをまっすぐにし、凹凸をならすほど好きなことはなかったからである。

 こうは書けない。古典だから翻訳は何種類もあるはずだけれど、「王命が違背された時の彼」なんて日本語が出る人が他にいるか。だいたいはsome of his orbs got out of their orbitsが分からなくて誤訳になっているだろう。

 ほかには新潮文庫の『サキ短篇集』がよかった。ずいぶん前に読んですごいと思ったのだけれど、引っ越しでなくしてしまった。アマゾンで見るとまだ出ているので早速注文した。
 岩波文庫に『サキ傑作集』がある。これは中村能三氏とは腕前がまず大駒一枚違う。原文で読んだ方がよい。

 ところで『女か虎か』のおしまいはどうなっているか。

 原文 ――the lady, or the tiger?
  翻訳  ――女か、それとも虎か?

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2011年2月 7日 (月)

裏金

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「建設会社から裏金を受け取ったという事実はない。」
 を英訳せよ。

The fact that we received a slush fund from the construction company does not exist.
 
 という「英語」を書く人がいる。本当です。

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宋美齢

宋 美齢(そう びれい、1897年3月5日(1896年、1901年3月5日など諸説あり)- 2003年10月23日)は、中華民国の指導者蒋介石の妻、輔仁大学理事長、中国国民党中央委員会委員、中国国民党航空委員会秘書長。欧米ではマダム蒋介石/Madame Chiang Kai-shekと呼ばれた。

1920年に、中国国民党総統で中華民国の指導者であった蒋介石と上海市内の孫文の旧居で出会い、約7年の交際を経て1927年9月にプロポーズし、11月には日本に滞在していた宋美齢の母親に結婚の承諾を経て12月1日に結婚した。
孫文を継ぎ、中華民国の若き指導者となった蒋介石と、同国の名家の出身で、アメリカで教育を受け洗練された立ち振る舞いと流暢な英語で欧米でもよく知られた宋美齢の結婚は、中華民国内のみならず世界各国で大きく報じられた。2人の結婚のニュースはニューヨーク・タイムズの1面を飾ったほどであったが、一部には「政略結婚」と揶揄する向きもあった。しかし実際は普通の恋愛結婚であった。

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[左から蒋介石、宋美齢、駐中華民国大使館附陸軍武官スティルウェル准将]

[1931年9月18日 満州事変勃発(柳条湖事件)
 1932年3月    リットン調査団派遣、満州国建国
 1932年5月15日 5.15事件、犬養毅暗殺
  1933年2月24日 国際連盟脱退
  1936年12月12日 西安事件により国共合作
 1937年7月7日  盧溝橋事件、日支事変始まる
  1937年12月13日 南京陥落             ]

1937年に日本との間に勃発した日中戦争では、アメリカからの軍事援助の獲得を目指し、「国民党航空委員会秘書長」の肩書で、蒋介石の「通訳」として、駐中華民国大使館附陸軍武官のジョセフ・スティルウェルやアメリカ陸軍航空隊のクレア・リー・シェンノート大佐との交渉に同席し、アメリカからの有形無形の軍事援助を引き出し、日中戦争中から第二次世界大戦の初頭にかけて日本軍と対峙した「アメリカ合衆国義勇軍(フライング・タイガース)」の設立や中華民国空軍の近代化に大きく貢献した。ウェルズリー大学の卒業生で、「タイム」や「ライフ」の発行者であるヘンリー・ルースは、日中戦争の間を通じて反日キャンペーンとともに対中支援キャンペーンを行い、「タイム」の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に日中戦争を戦う蒋介石を選び、誌上でアメリカ市民に対中支援を訴えるなど、宋に協力を惜しまなかった。

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[Generalissimo Chiang Kai-shek and the Madame were TIME magazine's 1937 persons of the year.]

  第二次世界大戦中の1942年11月から1943年5月には、ルーズベルト大統領直々の招聘でアメリカに滞在し、アメリカ全土を巡回し自ら英語で演説し抗日戦への援助を訴え続けた。特に1943年2月18日には、ワシントンD.C.のアメリカ連邦議会において宝石をちりばめた中華民国空軍のバッジを着けたチャイナドレス姿で抗日戦へのさらなる協力を求める演説を行い、並み入る連邦議員のみならず全米から称賛を浴びその支持を増やした。また、同時期に抗日戦への義捐金を募るためにカリフォルニア州ハリウッドで演説した際には、ハンフリー・ボガードやキャサリン・ヘプバーン、イングリッド・バーグマンなどのハリウッドスターから称賛と支持を受け、「タイム」誌の表紙を飾るなど、第二次世界大戦中を通じて中華民国のファーストレディとして、そして夫で英語を話せない蒋介石のスポークスマン兼中華民国のロビイスト的役割を果たし、アメリカをはじめとする連合国における中華民国、そして日本に対する世論に大きく影響を与えた。また1943年11月には、蒋介石とルーズベルト、イギリスのウィンストン・チャーチルがエジプトのカイロに集まって戦後の対日処理を決めたカイロ会談にも蒋介石とともに同席した。
(記事はウィキペディアによる)

◇Madame Chiang Kai-shek宋美齢が米国で「南京大虐殺」を訴えたという記録はあるのだろうか?

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2011年2月 6日 (日)

パール・バックの『大地』

『大地』(The Good Earth)はパール・S・バックの長編小説(1931年)。続編の『息子たち』(1932年)、『分裂せる家』(1935年)とあわせて三部作 The House of Earth を形成する。一般にこの三部作が『大地』として出版される(そのときは『大地』が第1部となる)。この作品でバックは1938年にノーベル文学賞を受賞した。
1937年(昭和12年)に映画化された。主演は米国人俳優のポール・ムニだった。(ウィキペディアによる)

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2011年2月 5日 (土)

日本人探偵ミスター・モト

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2011年2月 3日 (木)

コナン・ドイルのお母さん(3)

 ウォラーとメアリは確かに仲がよく、ウォラーがエディンバラでドイル家に下宿し質素な生活を送っていた年月に、固い絆が生まれていた。その絆がどのようなものか、何年も強い憶測を呼んできた。当然、ある段階でふたりの関係が単なる友情を超えたことを意味している。メアリの末娘の名前はブライアン・メアリ・ジュリア・ジョゼフィンといい、チャールズ・ドイルの娘というよりは、ブライアン・ウォラーの娘だとも思えるそう考えられなくはないが、その可能性は少ないだろう。ウォラーはもったいつけたようなところがあり年齢よりも老けてみられたが、メアリ・ドイルより十五歳若く、コナン・ドイルとは六歳しか離れていなかったのだ。ただ、この問題は克服できたとしても、メアリ・ドイルの人となりについては疑問が残った。不倫は、自分の息子の頭に染みこませた家族の名誉という強い意識の前に厳然と立ちはだかる。(p.p.96-7)

 Clearly Bryan Waller and Mary Doyle enjoyed each other's company and had forged an enduring bond during the Spartan years when he lodged with the family in Edinburgh. The exact nature of that bond has excited considerable speculation over the years. Inevitably, it has been implied that at some stage their relationship progressed beyond mere friendship. There have been also suggestions that Mary Doyle's youngest daughter, whose given name was Bryan Mary Julia Josephine, was in fact the child of Bryan Waller rather than Chales Doyle. While not impossible, the surminse is highly improbable. Though Waller had a grave, self-important manner that made him appear older than his years, he was in fact fifteen years younger than Mary Doyle――and only sixy years older than Conan Doyle. If this objection could conceivably have been overcome, Mary Doyle's nature could not. Such a liaison would have been an affront to the strong sense of family honor she had so successfully instilled in her son. (p.p. 68-9)

 ブライアン・ウォラーとメアリ・ドイルが一緒に過ごすときを楽しんだことは明らかで、エディンバラのドイル家にウォラーが何年も下宿して質実な生活をする間に永続的な絆が生まれていた。この絆の性質については以来ずいぶん色々と揣摩憶測する者がいる。ある段階で単なる友情の域を越えたのだと匂わせる向きがあるのも避けがたいところだ。また、メアリ・ドイルの末娘はブライアン・メアリ・ジュリア・ジョゼフィンと名付けられたが、これはチャールズ・ドイルではなくブライアン・ウォラーの子だろうという仄めかしもある。絶対に違うとまでは断言できないとしても、到底考えられない臆断である。ウォラーは重々しくもったいぶったところがあって年齢より老けて見えたが、メアリ・ドイルより十五歳若く、コナン・ドイルとは六歳しか離れていなかった。仮にこの年齢差が乗り越えられたとしても、メアリの性質としてそんなことができるはずはなかった(←メアリの性質は乗り越えられなかった)。そのような関係は、メアリが息子に教え込んだ家門の名誉を重んずる心に対する侮辱であった。

◇overcomeの訳語は 「克服する」でもよい。ただし「overcomeした結果が結構とは限らない」ことに留意。病気を克服すれば健康になって結構至極である。これはto overcome illnessと英訳できる。しかし本文では「年の差という障害を克服して不倫関係を結ぶ」ので、結構ではない。日本語の「克服」と違って英語のovercomeは価値中立的だ。

◇村上春樹の小説の登場人物が言うように、「個人的に取らないでくれ。Don't take it personal.」 シャーロック・ホームズが言うように、"It is an impersonal thing. 誰がどうだという話ではない。"

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2011年2月 2日 (水)

コナン・ドイルのお母さん(2)

 ウォラーとメアリは確かに仲がよく、ウォラーがエディンバラでドイル家に下宿し質素な生活を送っていた年月に、固い絆が生まれていた。その絆がどのようなものか、何年も強い憶測を呼んできた。当然、ある段階でふたりの関係が単なる友情を超えたことを意味している。メアリの末娘の名前はブライアン・メアリ・ジュリア・ジョゼフィンといい、チャールズ・ドイルの娘というよりは、ブライアン・ウォラーの娘だとも思える。そう考えられなくはないが、その可能性は少ないだろう。ウォラーはもったいつけたようなところがあり年齢よりも老けてみられたが、メアリ・ドイルより十五歳若く、コナン・ドイルとは六歳しか離れていなかったのだ。ただ、この問題は克服できたとしても、メアリ・ドイルの人となりについては疑問が残った。不倫は、自分の息子の頭に染みこませた家族の名誉という強い意識の前に厳然と立ちはだかる。(p.p.96-7)

  ダニエル・スタシャワーが1999年に書いた伝記の邦訳が昨年に出た。これで見ると、コナン・ドイルのお母さんとブライアン・ウォラーは「不倫関係にあった」と読めますね。
 米国人スタシャワー氏はそんなことは書いていない。「生きている人相手なら名誉毀損」という書き方はしないのがマナーであるのは前述のように英米同じだ。原文を見れば分かる。

 Clearly Bryan Waller and Mary Doyle enjoyed each other's company and had forged an enduring bond during the Spartan years when he lodged with the family in Edinburgh. The exact nature of that bond has excited considerable speculation over the years. Inevitably, it has been implied that at some stage their relationship progressed beyond mere friendship. There have been also suggestions that Mary Doyle's youngest daughter, whose given name was Bryan Mary Julia Josephine, was in fact the child of Bryan Waller rather than Chales Doyle. While not impossible, the surminse is highly improbable. Though Waller had a grave, self-important manner that made him appear older than his years, he was in fact fifteen years younger than Mary Doyle――and only sixy years older than Conan Doyle. If this objection could conceivably have been overcome, Mary Doyle's nature could not. Such a liaison would have been an affront to the strong sense of family honor she had so successfully instilled in her son. (p.p. 68-9)

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2011年2月 1日 (火)

コナン・ドイルのお母さん (1)

 ドイルは母親のことが一番気がかりだった。前年(1883年)の夏に母はアーサーを除く子供たちを連れてエディンバラを去り、ノースヨークシャー州のメイソンギル村にあるブライアン・ウォラーの地所に移っていた。母がどういうつもりだったかは分からない。この重大な意味を持つ引っ越しについては記録が残っていないからである。手紙などは注意深く間引かれている。母はまだ46歳であり、エディンバラとはずいぶん違う辺鄙な田園で新生活をスタートさせる余力があった。メイソンギル・コテージを借りたが、家賃は払わなくてよかった。周囲に知り合いはいなかった。夫のアルコール中毒の煩わしさからも遠く離れていることができた。ウォラーは彼女の心のうちでは特別の位置を占めていて、ふたりはたとえ不倫関係になかったとしても(even if they were not lovers)、文学や歴史への関心を共有していた。ウォラーの助けで彼女は自分をイングランドの淑女に作り直すことができた。宗旨替えさえした。彼女の母親がカトリックの家に嫁入りしたのだったが、今や彼女は先祖の勇ましいパック家のプロテスタンティズムを再発見した。まもなく英国国教会の熱心な信徒になり、ソーントン・イン・ロンズデール村の聖オズワルド教会で礼拝するようになった。(p.p.106-7)

 2007年に出た最新のコナン・ドイル伝でも、コナン・ドイルの母親メアリ・ドイルとブライアン・ウォラーの関係については慎重に断定を避けている。
「不倫関係にあった」と書いてしまうと、相手が生きていれば名誉毀損で訴えられて大変なことになる。もちろん英国は韓国ではないので、「死者に対する名誉毀損」はない。

(2005年9月2日、韓国人ジャーナリストの金完燮が著作の中で歴史上の人物である閔妃(1851―1895)のことを、「朝鮮を滅ぼした亡国の元凶であり、西太后と肩を並べる人物」などと評論したことに対して、ソウル中央地裁から名誉毀損であるとして閔妃遺族らへそれぞれ1000万ウォンを支払うよう命じられた。――ウィキペディアによる)

 しかし「生きていたら名誉毀損」という記述は避けるのが英国人のマナーらしい。(米国人も同じらしい。)

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