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2011年2月 1日 (火)

コナン・ドイルのお母さん (1)

 ドイルは母親のことが一番気がかりだった。前年(1883年)の夏に母はアーサーを除く子供たちを連れてエディンバラを去り、ノースヨークシャー州のメイソンギル村にあるブライアン・ウォラーの地所に移っていた。母がどういうつもりだったかは分からない。この重大な意味を持つ引っ越しについては記録が残っていないからである。手紙などは注意深く間引かれている。母はまだ46歳であり、エディンバラとはずいぶん違う辺鄙な田園で新生活をスタートさせる余力があった。メイソンギル・コテージを借りたが、家賃は払わなくてよかった。周囲に知り合いはいなかった。夫のアルコール中毒の煩わしさからも遠く離れていることができた。ウォラーは彼女の心のうちでは特別の位置を占めていて、ふたりはたとえ不倫関係になかったとしても(even if they were not lovers)、文学や歴史への関心を共有していた。ウォラーの助けで彼女は自分をイングランドの淑女に作り直すことができた。宗旨替えさえした。彼女の母親がカトリックの家に嫁入りしたのだったが、今や彼女は先祖の勇ましいパック家のプロテスタンティズムを再発見した。まもなく英国国教会の熱心な信徒になり、ソーントン・イン・ロンズデール村の聖オズワルド教会で礼拝するようになった。(p.p.106-7)

 2007年に出た最新のコナン・ドイル伝でも、コナン・ドイルの母親メアリ・ドイルとブライアン・ウォラーの関係については慎重に断定を避けている。
「不倫関係にあった」と書いてしまうと、相手が生きていれば名誉毀損で訴えられて大変なことになる。もちろん英国は韓国ではないので、「死者に対する名誉毀損」はない。

(2005年9月2日、韓国人ジャーナリストの金完燮が著作の中で歴史上の人物である閔妃(1851―1895)のことを、「朝鮮を滅ぼした亡国の元凶であり、西太后と肩を並べる人物」などと評論したことに対して、ソウル中央地裁から名誉毀損であるとして閔妃遺族らへそれぞれ1000万ウォンを支払うよう命じられた。――ウィキペディアによる)

 しかし「生きていたら名誉毀損」という記述は避けるのが英国人のマナーらしい。(米国人も同じらしい。)

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