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2011年5月19日 (木)

アリストテレスの探偵小説論(1)

   ドロシー・セイヤーズ 
  1935年3月5日 オックスフォード大学における講演

 今から25年ほど前に批評家の間で流行していたのは、アリストテレス推奨の悲劇は必ずしもベストでなかったのではないかという意見でした。むやみに筋を強調し、メロドラマと驚きを追い求める。少々下品で非芸術的ではないか。当時は何しろ「心理」こそが大切と思われていました。「性格を再現するために行為するのではない。行為を再現するために性格も取り入れるのだ」――この主張(『詩学』第六章)はちょっとひどいと思われたのでした。いや今でも、劇にせよ小説にせよ初めから終わりまで何事も起こらないのが最高傑作だとする流派の思想の影響は残っています。 
 しかし『詩学』を虚心坦懐に読んでみましょう。アリストテレスはギリシャ文学を研究したというより、むしろはるか未来の文学を予言していたことは明かであります。

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