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2011年5月21日 (土)

アリストテレスの探偵小説論(3)

 さて、色々困難な制約があり道具が限定されていても飛び抜けた天才ならば、凡才があらゆる手段を使った場合と比べて、はるかに有用な霊感に富んだ仕事ができることはよく知られています。アリストテレスの場合も、研究対象となるミステリーはアガメムノン家の忌まわしい悶着しかなかった。科学的殺人法は、ピロクテテスの毒矢か、メディアの薬草入りの釜(効能はどうも怪しい)くらいしかない。何より、探偵が実にステレオタイプで好感が持てない。まったく非人間的なのです。機械仕掛けの神だから。ところがこういう見込みのない要素から、アリストテレスは実に鋭く包括的で実際的な探偵小説理論を打ち出した。だから『詩学』は今日でも探偵小説を書こうとする者には最適のガイドブックなのであります。
 それではどういうガイドなのか。劈頭からアリストテレスは探偵小説は真面目に取り扱うべき重要な主題であると道破します。「悲劇は」と彼は言いますが、これは当時は探偵小説が悲劇の形をとっていたからであります。「悲劇はまたより重大なものになった」というのは、形式内容ともに重要になったということです。「短い物語と滑稽な語法を捨て、のちに荘重なものとなった」。この「短い物語と滑稽な語法」というのは、遺憾ながらごく最近まである種の作品の特徴でありました。近ごろは大いに改革の努力が行われているようでありますが。次にアリストテレスは悲劇を定義しますが、これが探偵小説にピタリと当てはまるのです。
「悲劇とは、深刻で完結した行為のミーメーシスであり、哀れみと恐れを引き起こす出来事によって、そのような感情のカタルシスを達成するものである。」(第六章)
 ミーメーシスは「模倣」ですね。あるいは表象だとか再現だとか色々訳語があるようですが、これには深入りしないことにしましょう。
 深刻な行為――殺人は、まずまず深刻な行為だと言えるでしょう。
 完結した行為――これが大切です。探偵小説に未解決の謎が残ったりしては探偵小説と言えない。
 カタルシスというのは少々不快な言葉でありますが、これについては今までにずいぶんいろんなことが語られ書かれてきました。治安判事などが主張するように、少年は探偵小説を読んで悪いことをするのでしょうか。それとも、探偵小説作家やアリストテレスの意見が正しくて、神経病の時代には犯罪物語の研究が血に飢えた激情の安全弁となって、我々は配偶者を殺さずに済んでいるのでしょうか。さまざまな形式の現代小説の中で、ex hypothesi(仮説によって)美徳が悪徳より興味深く探偵が犯人より好ましいとしているのは探偵小説だけであります。しかし、危険な誤解があるようです。すなわち「探偵小説が犯罪の増加をもたらすのならば、文学的価値が高ければ高いほど、犯罪増加率も高くなる。」もちろん、これは間違いです。ハムレットの文学的価値によって叔父を殺す気になるなんてことは、まずない。反対に、美のないところにはカタルシスもありません。下手に書いた本は調合の拙い薬と同じです。無用に体を刺激するだけで、お通じはない。だから我々が気をつけるべきは、悪の感情を刺激するとしても、情緒的知的な美の観照によってそれを昇華すべきだということです。カタルシスについてはこれくらいで結構でしょう。

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