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2011年5月23日 (月)

アリストテレスの探偵小説論(4)

 次にアリストテレスは筋と性格を論じます。第六章の一節から「探偵小説は行為なしには成り立たないが、性格がなくても成り立つ」ということになりますね。数年前までは、探偵小説と言えば性格などなくてチェスみたいなものでした。ところが今日では筋が薄手で代わりに病的心理がたっぷりというのが多くなっている。しかし、アリストテレスの警告は肯綮に中っています。
「性格をよく表していて語法と思想もよくできた演説を並べてみても、真の劇的効果は作り出せない。しかし、これらの点ではよほど劣っていても筋さえあれば上出来になることが多い。」
 また
「探偵小説の第一要件、その命と魂は筋であって、性格は二番目に来る。」
 筋の組み立てについても、アリストテレスは役に立つことを言っています(第七章)。筋には初めと中間と終りがなければならないというのです。この点で探偵小説は現代小説の一部とは明確に区別できます。つまり終りから始まって前へ行ったり後ろへ行ったり方向もなくふらふらして、何だかはっきりしないうちに終わる、終わった理由は出版社が7シリング6ペンスの値段ではこれ以上印刷できません紙もありませんと言ったから、というような小説がかなりありますが、ああいうのとは違うのです。探偵小説はふつう殺人で始まります。中間を占めているのは犯罪の捜査であり、これから生ずるさまざまのペリペティアすなわち運命の逆転であります。終りはもちろん殺人犯の発見と処罰である。これ以上に決定的な終りはないでしょう。さらにアリストテレスは適当な長さでなければならないと言う。短すぎれば、明確には感じ取れない。(しかし、この言い方は修辞学でいう緩叙法ですね。「まったく読めない」と言ってもよかったはずだ。図書館に置いても「そんな読み出のないものはダメだ」というので借り出す人はいないでしょう。)さらによくないのは「一万スタディオンの大きさ」の長大作品である。「筋は一定の長さを持ち、その長さは容易に全体を記憶できるものでなければならない。」何なら『ユリシーズ』(もちろんホメロスではなくジェイムズ・ジョイス氏の作品)くらい長い探偵小説を書いてみることはできるけれども、読者は第一章から最終章まで随所にまき散らされた手掛かりを覚えておくことは不可能で、最後の発見の効果はなくなるでしょう。実際問題としては、売れるためには長さは八万語から十二万語くらいが望ましいのです。アリストテレスの定式化によれば「ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で出来事が次々と起こり、不幸から幸福へあるいは幸福から不幸へと移り変わることができる」長さなのであります。もっと後の九章でアリストテレスは大切な警告を発しています。「作者はしばしば筋をその受容力を越えて引き伸ばし、事件の連続性を狂わせることを余儀なくされる。」これは短篇の筋を無理に引き伸ばして長篇探偵小説を書くなんてことは、出版社との契約があってもしてはいけません、ということです。

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