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2011年5月31日 (火)

原発はどうなのか?

『Will』七月号の『廃炉か継続か 原発 大闘論』を読むべきだ。しかし読んでも分からない。廃炉派と継続派の学者が二人ずつ、計四人の座談会というか討論会である。
 放射線の危険についても、自然エネルギー発電の可能性についても、意見は真っ向から対立している。
 素人としてはどちらを信用すべきか全く手掛かりがないのだ。困るとしか言えない。

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2011年5月29日 (日)

小泉軍治

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英国に帰化した柔術家、実業家(1885―1965) http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/1-f616.html

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2011年5月28日 (土)

カール・ゴッチのインド式トレーニング

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  動画http://www.youtube.com/watch?v=CreCOrf9ExM

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2011年5月27日 (金)

チュチェの国

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2011年5月25日 (水)

谷幸雄対レスラー

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2011年5月23日 (月)

アリストテレスの探偵小説論(4)

 次にアリストテレスは筋と性格を論じます。第六章の一節から「探偵小説は行為なしには成り立たないが、性格がなくても成り立つ」ということになりますね。数年前までは、探偵小説と言えば性格などなくてチェスみたいなものでした。ところが今日では筋が薄手で代わりに病的心理がたっぷりというのが多くなっている。しかし、アリストテレスの警告は肯綮に中っています。
「性格をよく表していて語法と思想もよくできた演説を並べてみても、真の劇的効果は作り出せない。しかし、これらの点ではよほど劣っていても筋さえあれば上出来になることが多い。」
 また
「探偵小説の第一要件、その命と魂は筋であって、性格は二番目に来る。」
 筋の組み立てについても、アリストテレスは役に立つことを言っています(第七章)。筋には初めと中間と終りがなければならないというのです。この点で探偵小説は現代小説の一部とは明確に区別できます。つまり終りから始まって前へ行ったり後ろへ行ったり方向もなくふらふらして、何だかはっきりしないうちに終わる、終わった理由は出版社が7シリング6ペンスの値段ではこれ以上印刷できません紙もありませんと言ったから、というような小説がかなりありますが、ああいうのとは違うのです。探偵小説はふつう殺人で始まります。中間を占めているのは犯罪の捜査であり、これから生ずるさまざまのペリペティアすなわち運命の逆転であります。終りはもちろん殺人犯の発見と処罰である。これ以上に決定的な終りはないでしょう。さらにアリストテレスは適当な長さでなければならないと言う。短すぎれば、明確には感じ取れない。(しかし、この言い方は修辞学でいう緩叙法ですね。「まったく読めない」と言ってもよかったはずだ。図書館に置いても「そんな読み出のないものはダメだ」というので借り出す人はいないでしょう。)さらによくないのは「一万スタディオンの大きさ」の長大作品である。「筋は一定の長さを持ち、その長さは容易に全体を記憶できるものでなければならない。」何なら『ユリシーズ』(もちろんホメロスではなくジェイムズ・ジョイス氏の作品)くらい長い探偵小説を書いてみることはできるけれども、読者は第一章から最終章まで随所にまき散らされた手掛かりを覚えておくことは不可能で、最後の発見の効果はなくなるでしょう。実際問題としては、売れるためには長さは八万語から十二万語くらいが望ましいのです。アリストテレスの定式化によれば「ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で出来事が次々と起こり、不幸から幸福へあるいは幸福から不幸へと移り変わることができる」長さなのであります。もっと後の九章でアリストテレスは大切な警告を発しています。「作者はしばしば筋をその受容力を越えて引き伸ばし、事件の連続性を狂わせることを余儀なくされる。」これは短篇の筋を無理に引き伸ばして長篇探偵小説を書くなんてことは、出版社との契約があってもしてはいけません、ということです。

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2011年5月21日 (土)

アリストテレスの探偵小説論(3)

 さて、色々困難な制約があり道具が限定されていても飛び抜けた天才ならば、凡才があらゆる手段を使った場合と比べて、はるかに有用な霊感に富んだ仕事ができることはよく知られています。アリストテレスの場合も、研究対象となるミステリーはアガメムノン家の忌まわしい悶着しかなかった。科学的殺人法は、ピロクテテスの毒矢か、メディアの薬草入りの釜(効能はどうも怪しい)くらいしかない。何より、探偵が実にステレオタイプで好感が持てない。まったく非人間的なのです。機械仕掛けの神だから。ところがこういう見込みのない要素から、アリストテレスは実に鋭く包括的で実際的な探偵小説理論を打ち出した。だから『詩学』は今日でも探偵小説を書こうとする者には最適のガイドブックなのであります。
 それではどういうガイドなのか。劈頭からアリストテレスは探偵小説は真面目に取り扱うべき重要な主題であると道破します。「悲劇は」と彼は言いますが、これは当時は探偵小説が悲劇の形をとっていたからであります。「悲劇はまたより重大なものになった」というのは、形式内容ともに重要になったということです。「短い物語と滑稽な語法を捨て、のちに荘重なものとなった」。この「短い物語と滑稽な語法」というのは、遺憾ながらごく最近まである種の作品の特徴でありました。近ごろは大いに改革の努力が行われているようでありますが。次にアリストテレスは悲劇を定義しますが、これが探偵小説にピタリと当てはまるのです。
「悲劇とは、深刻で完結した行為のミーメーシスであり、哀れみと恐れを引き起こす出来事によって、そのような感情のカタルシスを達成するものである。」(第六章)
 ミーメーシスは「模倣」ですね。あるいは表象だとか再現だとか色々訳語があるようですが、これには深入りしないことにしましょう。
 深刻な行為――殺人は、まずまず深刻な行為だと言えるでしょう。
 完結した行為――これが大切です。探偵小説に未解決の謎が残ったりしては探偵小説と言えない。
 カタルシスというのは少々不快な言葉でありますが、これについては今までにずいぶんいろんなことが語られ書かれてきました。治安判事などが主張するように、少年は探偵小説を読んで悪いことをするのでしょうか。それとも、探偵小説作家やアリストテレスの意見が正しくて、神経病の時代には犯罪物語の研究が血に飢えた激情の安全弁となって、我々は配偶者を殺さずに済んでいるのでしょうか。さまざまな形式の現代小説の中で、ex hypothesi(仮説によって)美徳が悪徳より興味深く探偵が犯人より好ましいとしているのは探偵小説だけであります。しかし、危険な誤解があるようです。すなわち「探偵小説が犯罪の増加をもたらすのならば、文学的価値が高ければ高いほど、犯罪増加率も高くなる。」もちろん、これは間違いです。ハムレットの文学的価値によって叔父を殺す気になるなんてことは、まずない。反対に、美のないところにはカタルシスもありません。下手に書いた本は調合の拙い薬と同じです。無用に体を刺激するだけで、お通じはない。だから我々が気をつけるべきは、悪の感情を刺激するとしても、情緒的知的な美の観照によってそれを昇華すべきだということです。カタルシスについてはこれくらいで結構でしょう。

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2011年5月20日 (金)

アリストテレスの探偵小説論(2)

 しかし『詩学』を虚心坦懐に読んでみましょう。アリストテレスはギリシャ文学を研究したというより、むしろ未来の文学を予言していたことは明かであります。彼が批評したのは同時代のギリシャ劇でありました。当時はこれが何よりもすぐに見られる、よく普及した民主的な大衆娯楽として彼の注意を引いたからです。しかし本当に心の奥底で望んでいたのは、よい探偵小説を読むことだった。ところが残念ながら2000年ほど早く生まれてしまった。だから『トレント最後の事件』のペリペテイア(逆転)や『バスカヴィル家の犬』の「発見」を味わえなかったのは仕方がないでしょう。怖いものを見たいという意欲も十分にあった。「もっとも下等な動物や人間の死体の形状のように、その実物を見るのは苦痛であっても、それらをきわめて正確に描いた絵であれば、これを見るのを喜ぶ」(第四章)というのですから、『まだらの紐』のあの恐怖はアリストテレスの気に入ったに違いない。あるいは『自動車の死体』『冷蔵庫の死体』『サイロの死体』なども。でも彼はスリラーのファンではありません。「場面を偏重するものがもっとも劣る。ここにいう場面偏重の筋とは、そのなかの場面の並べ方が、ありそうでもなく、必然的でもない筋のことである」(第九章)。最近出たものの一部、パークレインで機関銃を撃ちまくるとか、飛行機からバーンズ・コモンに爆弾を落とすとか、警視庁刑事捜査課が催涙ガスを使ってウェストエンドのアパートを急襲するとか、あるいはソレント海峡を航行中の豪華クルーザー船上での派手な銃撃戦なんてのもありましたね、ああいうのは「如何なものか」と言うに違いない。恐れと哀れみを引き起こす出来事は「予期に反して」しかも「因果関係によって」起こる場合にもっとも効果を挙げるとアリストテレスは述べています。彼がまさに探偵小説の本質を要約している箇所があります。大団円についてどう述べているか。「ある行為を誰かがなしたか、それともなさなかったかを発見することができる」(第十一章)。これです!

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2011年5月19日 (木)

アリストテレスの探偵小説論(1)

   ドロシー・セイヤーズ 
  1935年3月5日 オックスフォード大学における講演

 今から25年ほど前に批評家の間で流行していたのは、アリストテレス推奨の悲劇は必ずしもベストでなかったのではないかという意見でした。むやみに筋を強調し、メロドラマと驚きを追い求める。少々下品で非芸術的ではないか。当時は何しろ「心理」こそが大切と思われていました。「性格を再現するために行為するのではない。行為を再現するために性格も取り入れるのだ」――この主張(『詩学』第六章)はちょっとひどいと思われたのでした。いや今でも、劇にせよ小説にせよ初めから終わりまで何事も起こらないのが最高傑作だとする流派の思想の影響は残っています。 
 しかし『詩学』を虚心坦懐に読んでみましょう。アリストテレスはギリシャ文学を研究したというより、むしろはるか未来の文学を予言していたことは明かであります。

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2011年5月12日 (木)

ボクサー弾を百発(15)

 ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝には、バッド医師がsaloon pistolを使ったと書いてある。これはコナン・ドイル自身の間違いを踏襲してしまったのだ。
 サルーンピストルは
(1)小口径のリムファイア弾を発射し
(2)単発である。
「ボクサー弾Boxer cartridges」は、正確には「ボクサー式雷管付き実包cartridges with Boxer primers」であった。雷管はボクサー式かベルダン式のいずれかで、この場合はボクサー式雷管だったというのだ。ところがサルーンピストルのリムファイア弾には、そもそも雷管がない。だから「サルーンピストルでボクサー弾を発射」はあり得ない。
 バッドはドイルに「お前、(家内の)顔を狙って六発撃ってみろ」と言った。単発のサルーンピストルで六発撃つのはどんなものか? 一発撃って銃尾を開けて空薬莢を取り出し、新しい実包を装填してまた撃って――これを六回繰り返すのだろうか。バッド夫人はなかなか度胸の据わった女らしいが、そんなことをされては神経が持たない。六連発の回転式拳銃でパンパンと六発撃ってしまうのなら(そして本当にバッドが言うように弾は当たらないと確信できるのならば)我慢ができるかも知れないが。
 シャーロック・ホームズが部屋の壁に愛国的頭文字を描いたときには、百発の弾丸を要した。単発の拳銃に百回弾を詰め替えるのでは面倒過ぎるだろう。やはり六連発の拳銃とボクサー弾(すなわち狭窄弾)の組み合わせだったはずだ。

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2011年5月11日 (水)

ボクサー弾を百発(14)

「遊底を引く」動作があるのは、自動拳銃の場合である。Slideが遊底。

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Into the breech I place a Boxer cartridgeを丁寧に訳せば
「銃尾にボクサー弾を込める」であるが、単に「ボクサー弾(or狭窄弾)を込める」でよいと思う。
「銃尾に込める」という言い方が古い英語なのである。19世紀には、まだ銃口から弾を込める前装式の銃の記憶があった。銃尾から弾込めする後装銃は新式だった。(前装銃 muzzle-loader  後装銃 breechloader)
 オルダーショットのロイヤル・マロウズ連隊のバークレー大佐が殺害されたと見られる事件をシャーロック・ホームズはどう説明したか。

「ロイヤル・マロウズ連隊というのは、君も知っての通り、英陸軍でもっとも有名なアイルランド連隊の一つだ。クリミア戦争とインド大反乱で驚くべき功績を挙げ、以来機会あるごとに名声を高めている。月曜日の夜まで連隊長を務めていたのが、勇敢なる老兵ジェイムズ・バークレー大佐だ。彼は一兵卒から身を起こし、インド大反乱のときの武勲で将校に昇進した。かつて自分がマスケット銃をかついでいた連隊の指揮を執るまでになったのだ」

 インド大反乱(1857―58)のときの英軍のマスケット銃は、1853年式エンフィールド銃である。口径15mmの弾丸を銃口から込めた。この銃が1853年から1867年まで制式銃だった。この後は前装式のマスケット銃ではなく後装式のライフル銃が制式になるのだが、コナン・ドイルやシャーロック・ホームズが子供のころは、小銃でも拳銃でも銃口から弾を込めるものだった。だから、わざわざ「銃尾に弾を込める」という言い方をしたのだろう。

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2011年5月10日 (火)

ボクサー弾を百発(13)

「ボクサー弾を百発」に関する原文と拙訳文。「弘法も筆の誤り」なのだ。

"Permit me now to show you a small experiment." He bent over his apparatus, and Doyle heard the snapping of electricity. "This," he continued, going across to a packing-case, "is a saloon pistol, and will be exhibited in the museums of the next century as being the weapon with which the new era was inaugurated. Into the breech I place a Boxer cartridge, specially provided for experimental purposes with steel bullet. I aim point-blank at the dab of red sealing-wax upon the wall, which is four inches above the magnet. I am absolutely dead shot. I fire. You will advance, and satisfy yourself that the bullet is flattened upon the end of the mangnet, after which you will apologise to me for that grin."
Doyle had admit that it was so.
"I will tell you what I'd do!" cried Budd. "I'm prepared to put that magnet in my wife's bonnet, and to let you fire six shots straight at her face. How's that for a test? You wouldn't mind, dear?"
Though his wife did not seem to mind, Doyle did.

 原文の間違いを糊塗しようとして、私の翻訳も大誤訳をしている。細かい違いは措いて問題の箇所だけ見てみる。

「それでは、ちょっとした実験をお見せしよう」こう言うとバッドは装置の上にかがみ込んだ。パチという音がして電気が入った。「これは」とバッドは言って箱から取り出したものを見せた。「射的用のピストルだ。20世紀にはこいつが博物館に飾られる。新時代の幕を切って落とした武器としてな。遊底を引く。狭窄弾(←ボクサー弾)を一発込めるぞ。実験用に特別に鉄で作らせたのだ。壁のあの赤い封蝋の塊を狙う。磁石の4インチ上だ。俺の射撃の腕は確かだ。ほら、撃つぞ。それじゃ、前に進んでよーく見てくれ。弾は磁石に当たってひしゃげているだろう。笑ったことを謝るんだな」
 ドイルが見てみると、確かにバッドの言う通りだった。
「おい、もう一つ実験をしよう」とバッドは言った。「今度は家内の帽子の中に磁石を入れるから、お前、顔を狙って6発撃ってみろ。これならどうだ。撃たせてやってくれるね?」
 バッド夫人はそうしてもよいと言ったが、これはドイルの方で断った。

 原文のsaloon pistolが間違いのはず(後述)。ボクサー弾はわざと「狭窄弾」に書き換えた。「遊底を引く」が大間違い。自動拳銃ではないのだから遊底なんかない。

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2011年5月 9日 (月)

ボクサー弾を百発(12)

 コナン・ドイルの悪友、バッド医師は「制海権獲得装置」の実験のために室内拳銃射撃をして見せた。

「それでは、ちょっとした実験をお見せしよう」こう言うとバッドは装置の上にかがみ込んだ。パチという音がして電気が入った。「これは」とバッドは言って箱から取り出したものを見せた。「射的用のピストルだ。20世紀にはこいつが博物館に飾られる。新時代の幕を切って落とした武器としてな。遊底を引く。狭窄弾を一発込めるぞ。実験用に特別に鉄で作らせたのだ。壁のあの赤い封蝋の塊を狙う。磁石の4インチ上だ。俺の射撃の腕は確かだ。ほら、撃つぞ。それじゃ、前に進んでよーく見てくれ。弾は磁石に当たってひしゃげているだろう。笑ったことを謝るんだな」
 ドイルが見てみると、確かにバッドの言う通りだった。
「おい、もう一つ実験をしよう」とバッドは言った。「今度は家内の帽子の中に磁石を入れるから、お前、顔を狙って6発撃ってみろ。これならどうだ。撃たせてやってくれるね?」
 バッド夫人はそうしてもよいと言ったが、これはドイルの方で断った。

 これはヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝に出てきたのを前に一部紹介した。
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/7_daa7.html

 原文を見てみると、拙訳とは少し食い違いがある。わざと訳文を変えたところもあるが、誤訳もある。

"Permit me now to show you a small experiment." He bent over his apparatus, and Doyle heard the snapping of electricity. "This," he continued, going across to a packing-case, "is a saloon pistol, and will be exhibited in the museums of the next century as being the weapon with which the new era was inaugurated. Into the breech I place a Boxer cartridge, specially provided for experimental purposes with steel bullet. I aim point-blank at the dab of red sealing-wax upon the wall, which is four inches above the magnet. I am absolutely dead shot. I fire. You will advance, and satisfy yourself that the bullet is flattened upon the end of the mangnet, after which you will apologise to me for that grin."
Doyle had admit that it was so.
"I will tell you what I'd do!" cried Budd. "I'm prepared to put that magnet in my wife's bonnet, and to let you fire six shots straight at her face. How's that for a test? You wouldn't mind, dear?"
Though his wife did not seem to mind, Doyle did.

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2011年5月 7日 (土)

左利きの拳銃?

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2011年5月 5日 (木)

暗号名はジェロニモ

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2011年5月 3日 (火)

ご冥福

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 ご冥福をお祈りします。
 しかし、イスラムの天国に行っておられるはずだから、冥福は変だ。取り消し。
 コーラン56章10-24節
(信仰の)先頭に立つ者は、(楽園においても)先頭に立ち、これらの者(先頭に立つ者)は、(アッラーの)側近にはべり、至福の楽園の中に(住む)。昔からの者が多数で、後世の者は僅かである。(かれらは錦の織物を)敷いた寝床の上に、向い合ってそれに寄り掛かる。永遠の(若さを保つ)少年たちがかれらの間を巡り、(手に手に)高坏や(輝く)水差し、汲立の飲物盃(を捧げる)。かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。また果実は、かれらの選ぶに任せ、種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、丁度秘蔵の真珠のよう。(これらは)かれらの行いに対する報奨である。

 菅直人首相はアメリカに対して「敬意を表する云々」の談話を発表したという。変だ。今までの路線と矛盾する。
 尖閣の悪者を釈放しちゃったくらいなのだ。仮に外国勢力が日本の原発にテロを行ったとしても、その犯人を捜し出して殺してしまうという国際的常識は、日本は採用しないはずでしょう。それなら
「人道的見地からアメリカのやり方には疑問がある」
 と声明すべきじゃないか?

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