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2011年6月13日 (月)

アリストテレスの探偵小説論(6)

 しかしもっと重要な問題があります。どんな筋を選べばよいか? ここではProbableとPossibleの対立ということが中心的な問題となります。たとえば、二人の黒人がいて、見た目では区別できぬほどソックリ、ベルティヨン式人体識別法の数値も全く同じ、しかも同姓同名で、この二人が同時に同じ監獄にいる――これは「あり得る」のです。実際にあった事件だから(1903年カンザス州リーヴェンワース刑務所の二人ウィル・ウェスト事件)。しかし仮にこういう偶然の一致に基づいて筋を組み立てたら、とんでもない話になるでしょう。
 実生活上のこのような事件に基づいて話を作るという選択肢はもちろんありです。登場人物を実名にするなどして歴史を証人にすればよろしい。だからブラボの反乱でもクリッペン殺人事件でもペンゲの悲劇でもW・H・ウォレス事件でも本は出ています。事実がよく知られていれば、読者は出来事を書いてある通りに受け取ってくれるはずです。しかし実際には、こうやって書いた話は全くこしらえものの話より説得力がない。知られている事実にわざわざ作り事を混ぜて、真実起こった事件を一層ありそうに見せる必要が生じることが多いのです。これについてアリストテレスは第9章でどう言っているか。
「あくまでも言い伝えられてきた物語に沿おうとしてはならない。」なぜなら「知られている物語でさえも、実際には少数の人しか知らないのだから。」
 だから可能性は全く問題がなく揺るがない場合でも、蓋然性はよく検討する必要があります。
 しかし、登場人物の名前も事件も作り上げるとして、「信じられないけれど可能であることがらよりも、ありそうなのに実際には不可能なことがらの方を選ぶべきである。」(24章)
 人体に撃ち込まれた鉛の弾が火葬した灰から化学的に回収できるかというと、これは不可能でしょう。ところがオースティン・フリードマン博士は科学的な言葉を巧みに使って読者を説得し、ありそうなことだ、いや不可避だと信じさせてしまう。反対の例を挙げましょうか。よい生まれの感じのいいケンブリッジ大学の学生がいるとして、彼が行列に横入りしてタクシーの運ちゃんか何かに「そんなことはやめろ」と言われるというのはどうでしょうか。物理的には可能でしょうが、どうしても本当とは思えない。イギリス人の性格に反しています。私たちはいつでも辛抱強くきちんと列を作る。これはほとんど天才の域に達しているでしょう。アリストテレスはどう言っているか。
「筋は不合理なことがらを部分として構成してはならない。不合理なことがらはできるだけ排除すべきだが、やむをえず取り入れる場合でも、それを筋の外に置かなければならない。」(24章)
 だから『グロリア・スコット』では、トレヴァー老人の前歴は本当と思えないばかりか、年月日から計算すると不可能なのですが、読んでいるときには読者はこれに気づかない。このエピソードが筋の動きの外に置かれているからです。同様に性格についても、Impossible-Probableの方がImprovable-Possibleより優れている。アリストテレスは
「コナン・ドイルの描いた探偵は「あり得ない」としてもあの通りでなければならない。芸術家はモデルを改良すべきであるから」(25章)

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