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2011年6月 5日 (日)

コナン・ドイルのお父さん

[1893年8月、コナン・ドイルは妻を連れてスイスに出かけた。ライヘンバッハの滝を見て「これはシャーロック・ホームズを葬るにふさわしい場所だ」と思った。ホームズの『最後の事件』はストランド・マガジンの12月号に載った。9月末に、ドイルは妹を結婚させた。]
 10日後、ドイルは父親がダンフリーズ精神病院で死んだことを知らされた。死因はてんかんということだった。アーサーは何年も父親を見舞ったことがなかった。葬儀には出なかった。家族の誰も行かなかった。チャールズ・ドイルは「お母様」の期待を裏切り、子供たちを貧窮に陥れた。弱く男らしくなかったのだ。酒との戦いに勝てなかった。戦うどころか、拳を上げさえしなかった。芸術家気質だったからと言われることがあったが、アーサーは納得しなかった。そんなのは我儘の言い訳に過ぎない。芸術家が同時に強健で責任ある男であることは決して不可能なことではない。(p.84)

Charles_altamont_doyle

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