« アリストテレスの探偵小説論(9) | トップページ | コナン・ドイルのお母さん(5) »

2011年7月16日 (土)

コナン・ドイルのお母さん(4)

  アーサーが(1876年7月にオーストリアのイエズス会の学校フェルトキルヒ校から)エディンバラに帰ると、母の置いた下宿人が家庭の中で重大な役割を持つようになっていることに気づいた。父はほぼ不在であった。おそらく憂さ晴らしを求めて夜はほとんど飲み屋で過ごすようになっていたのだ。アーサーが帰宅したときも母メアリ・ドイルは出迎えなかった。彼女はヨークシアにブライアン・ウォラーの母親の家メイソンギルを訪ねていた。ウォラーという他人が父の地位を「簒奪」している。割り込んできたやつと母の愛情を分け合わなければならないのをアーサーが忌々しく思ったのは当然だろう。
 ウォラーはアーサーより6歳年上に過ぎなかった。オックスフォードを卒業して、詩集を一冊出版していた。アーサーが弟のイネスと妹のロティに宛てた手紙の口調からは、この裕福で教養のある下宿人にお母さんがべたべたするのを苦々しく思っていたことは明かだ。しかしウォラーが下宿代として払うもののおかげで以前の陰鬱な環境から抜け出してアーガイル・パーク・テラス2番地の明るいフラットに移れたことも確かだった。張り出し窓からメドウズという木々に囲まれた広い公園を見下ろすことができた。このあたりはエディンバラの医師や弁護士やホワイトカラー層向けの新開住宅地であった。自立心の強いアーサーにとっては、一家が今やウォラーの好意にすがって暮らさなければならないのは辛かった。
 ウォラーはエディンバラ大学の医学部に入り直したが、彼の資力があれば一軒の家を構えて召使を何人も置いて暮らすことができたはずだ。ところがどういうわけか彼はメアリ・ドイルと飲んだくれの夫と騒々しい子供たちといっしょに引っ越すことを選んだ。新居では今や酒にとりつかれたチャールズ・ドイルに代わって事実上の家長の地位を占めた。
 これまで公刊された伝記の中には、ウォラーがこのような過密状態を我慢したのは長女のアネットに恋をしていたからだと書いてあるものもある。彼の死後1932年に公刊された詩集の中に『アネットの音楽』と題する一篇があって、これは失恋の悲しみをうたった叙情的でひどく哀調を帯びた詩である。しかしアーサーがストーニーハースト校から出した手紙を見ると、アネットは1975年5月にはもうポルトガルに行って家庭教師をしていたはずである。ウォラーはなぜ彼女の出発前に恋を告白しなかったのか? メアリから見れば理想的な娘婿だったはずだ。アネットが彼の求愛にこたえなかったのだろうか。彼が冷たく自惚れ屋の俗物だ(のちにこのことは明らかになる)と見抜いたのだろうか。もしそうならば、ウォラーがわざわざドイル一家との不便な生活を選んだのはなぜだろうか? 

2008年刊の最新のコナン・ドイル伝です。著者ラッセル・ミラーはアメリカのノンフィクション作家。アンドリュー・ライセットのコナン・ドイル伝は2007年刊。ダニエル・スタシャワーのコナン・ドイル伝の原著は1999年刊。
本書は2004年以降に大英図書館で閲覧できるようになった新資料を使っている点ではライセットのものと同じだが、上の一節でも窺えるようにドイルの手紙を引用している点が新しい。

|

« アリストテレスの探偵小説論(9) | トップページ | コナン・ドイルのお母さん(5) »

コメント

ACDの未発表小説が10月に出版されるそうです。
オーディオブックも同時発売。
http://publishing.bl.uk/book/narrative-john-smith
http://www.amazon.co.jp/Narrative-John-Smith-Arthur-Doyle/dp/0712351159

投稿: ころんぽ | 2011年7月16日 (土) 21時10分

ありがとうございます。「失われた作品」ですね。ドイルは「あれは失われてよかった。出てきたら恥ずかしい」とか書いていたように思うけれど、ぜひ読んでみなくちゃ。

投稿: 三十郎 | 2011年7月17日 (日) 15時28分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/40831714

この記事へのトラックバック一覧です: コナン・ドイルのお母さん(4):

« アリストテレスの探偵小説論(9) | トップページ | コナン・ドイルのお母さん(5) »