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2011年7月19日 (火)

コナン・ドイルのお母さん(6)

 尊敬すべき医師として今やドイル家に居着いたウォラーは、チャールズを施設に入れるのが本人のためだとメアリを(おそらくはアーサーをも)説得したのかも知れない。1881年の国勢調査では、チャールズはブレアーノ・ハウスというアルコール中毒療養所の18人の入所者の一人であるという記録が残っている。メアリ・ドイルはジョージ・スクウェア23番地の「家長」で、家族は「医学生」のアーサー(21歳)、ジョン・イネス(8歳)、ジェイン(アイダ)(6歳)、ブライアン(ドードー)(4歳)、それにアイルランド人のメイド、メアリ・キルパトリック(17歳)がいた。アネット、ロティ、コニーの三人の娘はポルトガルで家庭教師をしていた。
 1883年にメアリ・ドイルは下の三人の子供を連れてエディンバラを去り、メイソンギル・コテージに引っ越した。コテージという名前がついていたが実際はかなり広い家でウォラーの地所に建っていた。彼女はここに家賃は払わずに30年以上にわたって住み続けることになる。長男が一緒に住みましょうと誘うのを断り続けたのである。ここにいる間にメアリはローマ・カトリックの信仰を捨て、ウォラーの宗旨である英国国教会に属するようになった。彼の影響がどれほど大きかったかが分かる。1896年にウォラーはセント・アンドリューズ大学の教授の娘と結婚したが、メアリ・ドイルへの愛着は変わらなかった。メアリと食事をともにして妻を悩ませることが多かったが、自分の好きなカレー料理の作り方を知っているのはメアリだけだと言うのだった。
 ウォラーの結婚には子供がなく、おそらく愛もなかった。冷淡で傲岸であり――小作人には帽子をとって挨拶させたし子供は目障りだから自宅から見えるところに近づけなかった――彼は妻に対しては元の下宿の女将に対して示したような愛情を示さなかった。妻は地所にメアリ・ドイルが住み続けて夫と関係(どういう関係であっても)があるのを恨んだ。この奇妙な三角関係は1917年になってメアリがようやく考えを改めて今や有名人になっている長男の近くに引っ越すまで続いた。彼女が去ってからウォラーは衰えはじめ、毎晩眠りにつくまで(しばしば夜明けまで)妻に本を朗読させた。ウォラーは1932年にメイソンギルで死んだ。
(p.44からp.47まで)

 結局、小林司氏が正しかったということになる。しかし英語では「性的関係の証拠はないthere is no evidence of a sexual relationship」という書き方をするのですね。

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