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2011年8月26日 (金)

欧米を凌駕している(2)

『The Juwes are the men That Will not be blamed for nothing』
「……ユダヤ人は、責められるようなことは何もしていない」

  こういう「訳」を聞いてホームズが大きくうなずくはずがない。間違いです。
 もちろんJuwes→Jewsと直さなければならない。直すと、非標準的だけれども意味は通る英語になるので、その意味は
  be blamed for nothingが「理由なく責められる」。
それをnotで否定すれば「理由なく責められるのではない」。
 すなわち全体の意味は「ユダヤ人が非難されるにはそれだけの理由があるのだ」
 シャーロック・ホームズともあろう人がこれくらいの英語を間違えるものか!
 The Juwes→The Jewsと直せばよいので、Jewishとする必要はない。a Jew(一人のユダヤ人)はここでは変だ。「The Jews are…… ユダヤ人/ユダヤ民族は……だ」というような英語はいくらでもある。普通の英語だ。
 The Jews are the men that---と補語のmenに定冠詞theを付けるのは、英語では間違いではないが珍しい。ドイツ語なら
 (Die)Juden sind die Menschen, die……という形になって、Judenには省いてもMenschenには冠詞を付けるはずだ。
 ……That will not be blamed for nothing.は二重否定であり、二重否定はよく教育のない者が誤用するが、この例は誤用ではない。
 I know nothing.をI don't know nothing.とするのが、英米人に多い(日本人には少ない)間違いだ。
 しかし、そもそもこの英語は切り裂きジャックが書いた落書きである。これを読み間違えた敬之助という人物は日本人で、シャーロック・ホームズが登場するのに舞台は日本というのだから、なかなか大仕掛けだ。傷はあっても読む値打ちがあるというものだ。

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2011年8月25日 (木)

欧米を凌駕している

 日本作家の(ホームズ・パロディにおける)水準が欧米と並ぶ、いや、むしろ凌駕しているのだということを、わからせてくれる作品集なのである。(『シャーロック・ホームズと賢者の石』新書版p.241 日暮雅通氏の解説)

 日暮雅通氏に賛成。楽しませてもらった。私は日暮氏ほど内外のホームズ・パロディを広く読んでいるわけではないけれども、やはり日本の方が水準が高いのじゃないかと思うことがある。最近も英語で「シャーロック・ホームズの失われた物語」というそのものずばりの題の本があったので買ったのだけれど

 これがどうもいけません。第一話がThe Giant Rat of Sumatraである。Matilda Briggsというのは女の名前ではなくて船である。スマトラの大鼠が英国に舶来する。体長1m20cmの大鼠が出現するところは結構だが、あとはヒネリがなさ過ぎる。トニー・レイノルズという著者は才能では五十嵐貴久氏には遠くおよばない。
 しかし、シャーロキアーナ的な間違いというのは、英国人よりも外国人(日本人を含む)に多い。
 たとえば『賢者の石』でも新書版p.204

 ホームズがもう一枚、今度は新聞の切り抜きを取り出してテーブルに載せた。そこにはこう記されていた。
『The Juwes are the men That Will not be blamed for nothing』
「……ユダヤ人は、責められるようなことは何もしていない」
 敬之助がその文章を読んだ。その通り、とホームズがうなずいた。
「ですが英国人なら、少なくとも英語圏で教育を受けて育ったものなら、こんなふうには書きません。文法的に誤っているとは言いませんがね。とはいえ、だいたい最初のThe Juwesから間違っている。この場合、ユダヤ人を表したいわけですから、Jewish、あるいはせめてa Jewとするべきでしょう。……」

 五十嵐版シャーロック・ホームズはどこが間違っているでしょうか?

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2011年8月24日 (水)

手に手をとって(3)

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1996年。右が全斗煥氏(死刑)、左が盧泰愚氏(無期懲役)。後にいずれも特赦された。

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2011年8月23日 (火)

好きな煙草だ

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2011年8月22日 (月)

アリストテレスの探偵小説論(12)

 ここまで来ると、次に考察すべきは「性格」であります。これについてはアリストテレスは実に20世紀的な考え方をしておりました。性格は良くなければならないと言うのです。ただし、これはあくまで「比較的に見て」ということだと私は思います。つまり一番下劣な悪人でも下等な笑劇の登場人物のような怪物的カリカチュアであってはならない。ある程度の人間的重みがあって我々読者が真面目にとることができる人物でなくては困る。また妥当でなければならない。たとえば女が利口であるなんていうのはいけない。これは少々微妙な点ですね。グラディス・ミッチェル女史の作品に登場する悪魔的に頭がいいブラッドレー夫人などはどうでしょう。「認められない」とアリストテレスは言ったでしょうか? 少なくとも、頭のよさは性別と境遇にふさわしいものでなくてはならないでしょう。田舎牧師のお姉さんでオールドミスになっている人が、第一級の化学者顔負けの複雑巧妙な手段を駆使して毒殺をする、あるいはそういう毒殺事件を見事に解明する――なんてのは妥当ではありません。ほかの登場人物の性格も同じです。第三に、性格は似たものでなくてはならない(第15章)。ここの解釈については学者の意見が分かれています。似たものというのは「伝統に合致したもの」ということだという解釈もある。つまり悪人はあくまで悪人らしく、緑色の眼や口ひげや声の出し方からそれと分かるように書くべきだ。探偵は奇人であってパイプやドレッシングガウンに特徴があって――というのはちょっと旧式のモデルですが。こういう解釈には私は反対です。ここは現代ならば「リアリスティック」という意味だろう、つまり私たちの周囲にいる普通の人間と言動がそんなに違っていないということだと思います。ほかの章では(第13章)筋について述べる際に、犯人がどこから見ても全くの悪人――偽金造りで人殺しで姦夫で泥棒であるといったようなやつではいけないと言っています。アデルフィ劇場で上演しているメロドラマの悪い男爵みたいなのでは困るのです。まずまずまともな人だけれども一つだけ悪い欠点がある、というようなのが現代では最上の作家が賛同するところです。悪人が普通の人に似ていれば似ているだけ、その犯罪に対する憐れみと恐怖は増し、犯人だと分かったときの驚きも大きいのです。無実の容疑者や警察官についても同じです。そういうキャラクターの取扱でも、ある程度現実と似ていることが望ましい。最後に、これは一番大切だけれどむつかしいことですが、性格は始めから終わりまで一貫していなくてはならない。探偵小説の最後で犯人の正体が分かって大いに驚くのですが、「信じられない」と感じるのではいけません。「そうか、なるほど。今になってみればこの男には初めから人殺しをやりかねないところがあったのだ。頭を働かせさえすれば作者が提供した手掛かりから分かったはずなのだ」と読者が思うのがよろしい。たとえば『ぶな屋敷』では一児の父でごく愛想の良い男が登場しますが、子供がゴキブリをスリッパでたたきつぶすのを眼を細めて喜んでいるところから、その悪者性は明かだった。性格は終始一貫していました。性格に一貫性がないと行動の蓋然性が失われ、フェアプレイの原則に違反することになります。読者は物語の発端から終局まで一つのキャラクターは同一人物であると信ずる権利があるので、ユウェナリスの言うようにnemo repente fuit turpissimus(誰でも突然に悪者になったわけではない)。
 さて長々と述べて参りましたが、アリストテレスも言っておりますように、複雑な筋をなかなか上手に展開してきても、大団円で失敗する作家が多いのであります。これは特に探偵小説の場合に当てはまるのですが、講演の場合もまた然りであります。アリストテレスが文章の構成について述べたことは何でも基本的真理、内的真実に満ちていて、形式を問わず低級なものから高級なものまで文学全般に適用できます。アリストテレスには物事の根底に迫るところがある。探偵小説を芸術作品にしたければ、アリストテレスに読んで楽しんでもらえるように書くべきだと思うのであります。

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2011年8月19日 (金)

アリストテレスの探偵小説論(11)

[ロジャー・アクロイド殺しのネタバレあり注意]

 つまり、こういうことです。ジョーンズは10時に帰宅したと執事が証言したとします。この執事の主人は「あれは絶対にウソなどつかぬ男だ」と保証します。我々読者は執事の言うことを信ずるべきでしょうか? とんでもない。主人はだまされているのかも知れない。いや主人の方が執事をだましているのかも知れない。あるいは、執事の証言を裏付けてやるのには、主人なりの理由があるのかも知れないでしょう。
 しかしもし作者が「執事が真実を語っていることは誰にも疑えなかった」と言うのならば、読者としては執事の証言が正しいと信じざるを得ないでしょう。作者自身が自分の責任で、疑いは不可能だったと言っているのですから。
 ただ、ここで忘れてはならないのは、語り手が作者であるとは限らないということです。『ロジャー・アクロイド殺し』では、物語を語るのは探偵の「忠実なるアカーテス」であります。現代風に言えばワトソンであります。特殊から一般へと議論を進めて、オリジナルのワトソン博士が善良な人間であったから、すべてのワトソンはそのワトソン性によって善良である、と結論したくなるものですが、これはもちろん誤った推論であります。「道徳的価値とワトソン性は切り離せない」なんてことは決してありません。あるいは、最初の男が罪を犯して「妻のせいです」と言った。だからといって、男はみんな罪を犯せば妻のせいにするのだ、という結論を出すのは間違いです――実際には、妻のせいにする場合が多いのですが。ごくまれに、ちゃんと結婚しているのに妻のせいにしない男もいるはずですが、そんなのは男じゃないなんてことにはなりません。はじめに罪なきワトソンがいた。しかし、犯罪的なワトソンの存在可能性は否定できないでしょう。あるいは、ロジャー・アクロイドのワトソンが犯人だったと分かったからと言って(このネタバレはOKですよね?)、読者が作者に対してケシカランと言う権利があるでしょうか? クリスティ女史はあの男のワトソン性は確かに保証しましたが、道徳的価値までは保証していないはずです。

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2011年8月17日 (水)

アリストテレスの探偵小説論(10)

  たとえば、物語の初めで召使のジョーンズが主人のスミス卿に向かって「かしこまりました、旦那さま。さよう取り計らいます」と言うシーンがあるとすると、推論は、ジョーンズがスミスに話しかけているのならばスミスの方もジョーンズに話しているに違いない、だからその時にスミスは生きていてその場にいたのだ、ということになる。しかしこれは間違った結論です。作者はそんなことを主張してはいないのです。スミス卿はいなかったかも知れない。もう死体だったかも知れない。ジョーンズが話しかけていた相手は、空気かも知れない。別人28号かも知れない。いや、ジョーンズの態度についてだって、安全な結論は引き出せないのです。レコードか何かの装置を使ってジョーンズの声だけを聞かせている(よくあるトリックですね)のではなくて生身のジョーンズがその場にいるのだとしても、誰か別人をスミスだと信じ込んでその別人に話しかけているのかも知れない。あるいはスミスを殺してしまったので、アリバイ作りをしているのかも知れない。あるいはスミスが誰かまた別の者を殺したので、ジョーンズは従犯としてスミスのアリバイづくりに荷担しているのかも知れないじゃないですか。逆に(探偵小説を読み慣れた人なら考えがちですが)スミスの答える声が聞こえないからスミスはその場にいないのだと結論してしまうのも安全ではありません。これはダブルブラフで、読者がなまじ頭がいいのが利用されてしまう。読者はたとえば次のように推論します。

 ジョーンズがスミスに話しかけたけれども、スミスはジョーンズに話しかけなかった。
 多くの作家はこの仕掛けを「スミスが生きていてその場にいた」という誤った推論を行わせるために使う。
 だから私は「スミスはその場にいなかったか死んでいた」と結論することにしよう。

 しかしこの推論も逆の場合と同様に誤りであります。「多くの作家」は「すべての作家が常に」と同じことではない。ときには「ウソに見えるように真実を書く」作家が出てくる可能性は残るのです。
 このダブルブラフを見事に使った例は、ノックス神父の『陸橋殺人事件』であります。男の死体が発見され、顔は見分けがつかないほど潰されている。状況証拠からみると死体はXのものらしい。探偵も読者も次のように推論するでしょう。

  死体はXだと考えられている。
  ところが死体は見分けがつかない。
  したがって死体はXではない。
  したがって死体は別人、すなわちYである。
  加えてXが行方不明なのは明かであるから、たぶんXが犯人だ。

 ところが見分けがつかなくなった死体はやはりXの死体だったことが判明します。いくら巧妙な推論でも誤った前提に基づいていれば誤りなのです。
 また別の種類の推論があって、これは次のような三段論法です。

  Aは明らかに容疑者である。
  しかし探偵小説では、明らかに容疑者である者はいつでも無実である。
  したがってAは無実である。

 しかしこの三段論法の小前提には何ら保証がありません。この命題は普遍的に正しいわけでも論理的に必然でもありません。明らかな容疑者が無実の場合は多いけれども、だからといって作者が「彼を無実にしなければならない」という必要はないのです。 
 探偵小説に書いてあることは、作者が自分でそうだと請け合わない限り、真実であるとみなす必要はありません。たとえば作者がこう書いたとする。

  ジョーンズは10時に帰宅した。

 この場合は、ジョーンズが本当に十時に帰宅したので、別の時間ではありません。ところが次のように書いてあればどうか?

  ジョーンズが家に着いたとき、大時計が十時を打った。

 この場合はジョーンズの帰宅時間について、何ら確定的なことは言えません。時計の証拠を信ずる必要はないからです。探偵小説の登場人物の言うことも、作者自身が「この人物は本当のことを言っている」と保証しない限り、信ずる必要はありません。

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2011年8月14日 (日)

コナン・ドイルの年譜

 Pugh氏(何と発音するのか? 普通なら「プー」だけれども)作成の年譜によれば、コナン・ドイル(1859―1930)は9人兄弟の長男で第三子だった。1856年生まれの長女だった姉アネットはポルトガルに家庭教師の出稼ぎに行っていたが、1890年にリスボンで33歳で病死した。二女は1858年に生まれたが半年で死んでいる。ドイルのすぐ下の妹も1863年に2歳で死んだ。四女のロティーと五女のコニーもポルトガルで家庭教師をした。
 シャーロック・ホームズの短篇がストランド・マガジンに載り始めたのは1891年7月号の『ボヘミアの醜聞』からである。これからシャーロック・ホームズがよく売れたので、ロティーとコニーは英国に戻ってドイルと一緒に暮らし、それぞれ結婚した。姉のアネットは間に合わなかった。
 男の子はドイルのほかには弟のイネス(1873年生まれ)だけである。イネスは1891年4月にウールウィッチ陸軍士官学校(Royal Military Academy, Woolwich)に入学している。ドイルのホームズ物が売れたので弟を陸軍に進めることができたのだと私は思っていたが、そうではなかった。同じ年にウィンストン・チャーチル(1874―1965)が受験して落ちたのは、サンドハースト陸軍士官学校(Royal Military College Sandhurst)である。サンドハーストは歩兵と騎兵の士官養成、ウールウィッチは砲兵と工兵の士官養成のための学校である(第二次大戦後にサンドハーストに統合された)。ウールウィッチの方は技術系士官向けのコースでより「庶民的」だったのだろう。女の子はともかく、ドイル家の男子は放っておけないというので親戚が援助して進学させたのだろうか。
 末子(9番目)は1878年3月生まれのブライアン・メアリ・ジュリア・ジョゼフィーヌ(ドードー)である。1875年からブライアン・チャールズ・ウォラーが下宿人になっている。父親のチャールズ・アルタモント・ドイルは1876年4月(一説には6月)に仕事を辞め、同年中にアルコール中毒治療のために療養所に入っている。女の子なのにブライアンというファーストネームをつけられたことも考え合わせると、どうも怪しいけれども「性的関係の証拠はない」とラッセル・ミラーは書いている。

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2011年8月12日 (金)

ルイーズ? ルイーザ?

 アーサー・コナン・ドイルが1885年に結婚した妻は、ルイーズ・ホーキンズという名前だったと従来の伝記には書いてある。ところが最近出たダニエル・スタシャワーの伝記では「ルイーザ」となっている。どちらが正しいのか? 下の本によれば

Regarding the confusion in the spelling of Louisa, ACD's first wife. The death certificate reads Mary Louise Conan Doyle. I have been informed by a reliable source that Louisa was registered Louisa but liked to be known as Louise with a pet name of Touie. For the signing of legal documents etc. her name was Louisa.

 was registeredとは何に登録されたのだろう? 戸籍謄本は英国にないはずだ。出生証明書? 死亡証明書ではLouiseだった。
しかし、この年譜は労作ですね。

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2011年8月 3日 (水)

待ち時間(2)

 それからは書いた小説は全部ジェイムズ・ペインに送ったが、6篇のうち5篇は没になった。あいにくペインの字はほとんど読解不能であったから、手紙が着いてから原稿自体が送り返されてくるまでの間、ドイルはうまく行ったのかどうかと思い悩むのだった。コーンヒル・マガジンにはさらに2篇が載り、ブラックウッド・マガジンにも1篇が載った。しかし彼は依然として無名作家であった。単行本の表紙に名前が出なければだめだと思ったから、小説を一冊書いて題は『ジョン・スミスの話』とした。ところが出版社へ送った郵便が失われてしまったのである。後年ドイルは「確かに無くなったと聞いたときのショックは大きかったが、仮に今印刷した形で出現したりしたら比べものにならないほど大きなショックを受けるだろう」と書いている。伝記作家としては本人の意見だが賛成することはできない。題名だけを見ても自伝的なものだと分かるし著者も「個人的社会的政治的なもの」で「名誉毀損すれすれ」だと言っているから、郵便局が何度も「探しましたが発見できませんでした」と報告しているのを、我々としては(本人と違って)有り難いなどと思うことはできないのだ。
 紛失のショックにめげたりはせず、ドイルは1884年に別の小説『ガードルストーン商会』に取りかかった。これが今に残る彼の一番早い長篇小説であるが、出版されたのはもっと後で(1890年)、別種の小説で名を挙げてからのことである。
(p.p.74-5)

  ところが無くなったと思われていた『ジョン・スミスの話』の原稿が見つかった。2004年5月19日、クリスティーズのオークションでコナン・ドイル関係文書が売り出され、その大部分を大英図書館が落札した。その中にこの原稿があったのだ。
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_d12c.html

 この原稿の写真はRandall Stock氏のサイトhttp://www.bestofsherlock.com/ref/narrative-john-smith-ms.htm
 で見ることができる。のだけれども、コピーさせてもらう。

Narrativejohnsmithmanuscript

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2011年8月 2日 (火)

待ち時間(コナン・ドイル伝 第5章)

 奇妙な奇怪な話ばかりが1878年から1883年の間にドイルによって書かれた。そのうちのいくつかは少年向け青年向け雑誌の編集部に受け入れられた。3ギニーか4ギニーが原稿料の平均で、年間の合計が15ポンドを超えることはなかった。1883年になって「よい出版社」に巡り会い、はじめて認められたと感じた。『ハバクーク・ジェファーソンの陳述』がコーンヒル・マガジン編集長のジェイムズ・ペインに受け入れられたのだ。原稿料は29ギニーだった。この雑誌の記事は筆者の名前を示さないことになっていたが、一時はサッカレーが編集長だった雑誌に作品が載った喜びを隠してはおけなかった。しばらくして街で友人に後ろから呼び止められた。相手はロンドンの夕刊を頭上に振り回している。「コーンヒルの小説の書評は読んだかい?」
「いや、まだだ。なんと書いてある?」
「これだよ。これ」
 興奮し得意だったが何とか慎ましそうな顔をして、ドイルは友人の肩越しに記事をのぞいた。「コーンヒルの今月号巻頭の小説はサッカレーが化けて出るような代物である……」何年も後になってこのときのことを語ったとき、ドイルはこうつけ加えている。「あいにく周りには証人になる者が何人もいたしポーツマスの法廷は傷害罪には特に厳しかったから、友人は無事に逃げおおせた」しかし別の批評には、この小説はひょっとしてR・L・スティーブンソンが筆者ではないかとあったので、大いに慰められた。(続く)

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