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2011年8月14日 (日)

コナン・ドイルの年譜

 Pugh氏(何と発音するのか? 普通なら「プー」だけれども)作成の年譜によれば、コナン・ドイル(1859―1930)は9人兄弟の長男で第三子だった。1856年生まれの長女だった姉アネットはポルトガルに家庭教師の出稼ぎに行っていたが、1890年にリスボンで33歳で病死した。二女は1858年に生まれたが半年で死んでいる。ドイルのすぐ下の妹も1863年に2歳で死んだ。四女のロティーと五女のコニーもポルトガルで家庭教師をした。
 シャーロック・ホームズの短篇がストランド・マガジンに載り始めたのは1891年7月号の『ボヘミアの醜聞』からである。これからシャーロック・ホームズがよく売れたので、ロティーとコニーは英国に戻ってドイルと一緒に暮らし、それぞれ結婚した。姉のアネットは間に合わなかった。
 男の子はドイルのほかには弟のイネス(1873年生まれ)だけである。イネスは1891年4月にウールウィッチ陸軍士官学校(Royal Military Academy, Woolwich)に入学している。ドイルのホームズ物が売れたので弟を陸軍に進めることができたのだと私は思っていたが、そうではなかった。同じ年にウィンストン・チャーチル(1874―1965)が受験して落ちたのは、サンドハースト陸軍士官学校(Royal Military College Sandhurst)である。サンドハーストは歩兵と騎兵の士官養成、ウールウィッチは砲兵と工兵の士官養成のための学校である(第二次大戦後にサンドハーストに統合された)。ウールウィッチの方は技術系士官向けのコースでより「庶民的」だったのだろう。女の子はともかく、ドイル家の男子は放っておけないというので親戚が援助して進学させたのだろうか。
 末子(9番目)は1878年3月生まれのブライアン・メアリ・ジュリア・ジョゼフィーヌ(ドードー)である。1875年からブライアン・チャールズ・ウォラーが下宿人になっている。父親のチャールズ・アルタモント・ドイルは1876年4月(一説には6月)に仕事を辞め、同年中にアルコール中毒治療のために療養所に入っている。女の子なのにブライアンというファーストネームをつけられたことも考え合わせると、どうも怪しいけれども「性的関係の証拠はない」とラッセル・ミラーは書いている。

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コメント

こんにちは。こちらについてもコメントを。

ドイルの書簡集"A Life in Letters" The Penguin Press(2007)
を読むと、ドイルと妹ロティの2人がイネスの士官学校費を出した
ようです。ドイルは作家収入から、ロティはポルトガルでの家庭教師
収入からのような。

イネスの教育費が不要になると、ロティは家庭教師を辞めてドイルの
元へ行き、結婚するまでの間、秘書役などを努めて、ドイルと一緒に
暮らしたとのことです。

 関連ページ数は p.295.309-10.316,335-6です。

投稿: 熊谷 彰 | 2011年8月18日 (木) 12時16分

ありがとうございます。それはまだ読んでいなかった。本も持っていないのですから、反省しなくてはいけないある。

投稿: 三十郎 | 2011年8月19日 (金) 16時58分

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