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2011年9月 7日 (水)

文豪の翻訳力(1)

……の訳し方から分かるように、村上(春樹)はセンテンスを自在に切り分けたり、つないだり、表現を補ったりして翻訳する。それは、文章全体のリズムの再現を最優先事項と考えているからである。(p.97)

(村上春樹の翻訳では)無生物主語を人間に置き換える形で構文転換をしていくことも頻繁に行われる。日本語は基本的に動作主体に人間を据えることが自然である言語なので、こうした構文転換は訳文の読みやすさ向上に大きく寄与している。(p.97)

(下線は引用者)。しかし、村上春樹でなくても文豪でなくても作家でなくても、まともな翻訳者なら誰でもこれくらいのことはする。不肖私だって「非文化的雪かき」の翻訳でこういうふうにしている。「文章全体のリズムの再現」を目指さなくても、日本語と英語では構造が違うのだから、正確に読者に分かるように訳すにはいろいろ工夫が要る。
 井上健氏は村上春樹の翻訳をいくつか原文とともに引用している。これで分かるのは、村上春樹の翻訳がたいへんに上手だということだ。 ほかに本書で取り上げている文豪は谷崎潤一郎から野坂昭如まで17人である。この人たちの翻訳は堀口大学など二三の例外を除いて共通点がある。下手なことだ。ずいぶんひどいのもある。
 たとえば「第四章 戦後作家は何を訳そうとしたのか」の「6「声」の再生」では、ガートルード・スタイン、富岡多恵子訳『三人の女』を取り上げている。井上健氏曰く「富岡風の言い方をするなら、訳者が原作の文体の深層で響いているはずの「声」を、何とか再現できるか否かが問われるのである云々」
 しかし、富岡多恵子氏の訳文を見ると、

 彼女はたいてい気にもしないで、ひとつの話を全然違ったものにしてしまうようなおおまかな断片にきざんでいくのであったが、……

 She always, and yet not with intention, managed to leave out big pieces which make a story very different, ……

 全然だめである。大間違いである。この翻訳については、別宮貞徳氏が『特選 誤訳迷訳欠陥翻訳』で「まるで英語の読めない人が翻訳した」「珍訳迷訳の宝庫」であると切り捨てている。別宮氏が正しいので、どこをどう押せば「声の再生」がどうこうという話になるのか? 作家翻訳だろうが何翻訳だろうが、だめなものはだめ。

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