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2011年9月 7日 (水)

文豪の翻訳力(2)

文学が行き詰まったとき、転機に差し掛かったとき、現状を打開し新たな可能性を切り拓くものとして、「作家翻訳」は期待され、また機能してきた。(本書のカバーより)

 そうかなあ? 「まるで英語の読めない人が翻訳した」のでは新たな可能性などないだろう。もちろん、英語が読めないことはたとえば富岡氏の詩や小説の価値に何の関係もないことだ。ありがたいことに現代の日本では、日本語(翻訳を含む)だけを読んで文学ができる。昔は英語くらい読めないと困ったとまでは言い切れないが、読めた方がはるかに有利だった。たとえば『金色夜叉』について、ウィキペディアによれば

1980年代になって、硯友社文学全体の再評価の中で、典拠や構想についての研究が進み、アメリカの小説にヒントを得て構想されたものであるという説が有力になり、2000年7月、堀啓子北里大学講師が、ミネソタ大学の図書館に所蔵されているバーサ・M・クレー (Bertha M.Clay) 『WEAKER THAN A WOMAN(女より弱きもの)』が種本であることを解明した。

 本書で取り上げている「作家翻訳」は、村上春樹、谷崎潤一郎、佐藤春夫、芥川龍之介、堀辰雄、中島敦、三好達治、立原道造、堀口大学、中村真一郎、長谷川四郎、三浦朱門、古井由吉、吉行淳之介、富岡多恵子、池澤夏樹、小島信夫、野坂昭如のものである。
 この中で原語がよく読めて下訳を使わなかったのは、村上春樹のほかには堀口大学、中村真一郎、古井由吉、池澤夏樹くらいだろう。英語やフランス語で小説を読んで訳すなんて辛気くさいことはなかなかできないのである。
 たとえば谷崎潤一郎は中学生のときにプラトンを英訳で読んだというから英語はよくできたはずである。しかし

 もちろんこの時代の谷崎が創作を差し置いて、翻訳のような手間がかかって報われるところの少ない作業に、地道に従事したとは考えにくいので、その多くの訳業において下訳を活用したことはまず間違いないだろう。(本書p.109)

読めない人が蛮勇をふるって自分で訳するか、それとも下訳を活用するのが「作家翻訳」らしい。再び本書のカバーを見ると「村上春樹の精力的な訳業は、二葉亭四迷、森鴎外の「作家翻訳」の伝統を引くものか?」とある。違うでしょう。二葉亭四迷も森鴎外も、翻訳は翻訳で生真面目にやった。村上春樹は二葉亭や鴎外のような偉い翻訳家だ、ということは言えるかも知れない。しかし「作家翻訳」なんてものではないだろう。
  こちとらは翻訳職人だ。見くびってもらっては困るぜ。

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コメント

作家の語学力ということで言えば、
英米のミステリを原書で読んで細かいトリックまで理解していた
乱歩や正史はとてつもなく凄いと思います。
名板貸しはあったかもしれませんが、ホームズも訳していますしね。
斎藤兆史先生が「英語の達人」として採り上げないのが不思議なくらいです。

投稿: ころんぽ | 2011年9月23日 (金) 22時08分

乱歩も横溝正史もよく読めたのですね。しかし、斎藤先生が「達人」に数える人たちは「発信力」があったので、これはまた別です。能力があり機会に恵まれていなければ、英語で文章を書いたり筋道の通ったスピーチをすることはできないのだと思います。
斎藤先生の本には書いてないことだけれど、自称達人ほど迷惑なものはないそうです。アメリカで修士号を取ったくらいの政治家でなまじ自信を持ってむつかしい交渉を通訳抜きでやって不利な結果になった例があるらしい。
中野好夫はアメリカの大学で客員教授をやったけれど、「講義なら英語でやるけれども、もし利害に関わる交渉をやるなら断然通訳付きでやる」と、どのエッセイだったかに書いています。

投稿: 三十郎 | 2011年9月24日 (土) 09時31分

「発信力」の差ですか。なるほど。乱歩たちにもそこまでの力はなかったのかもしれません。
必要に迫られていたとも思われませんし。
そう言えば、宮澤喜一氏も敢えて通訳を使って会談や交渉をしていたらしいですね。

投稿: ころんぽ | 2011年9月24日 (土) 13時48分

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