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2011年10月17日 (月)

イギリスの予備校(3)

 ザ・ゲイブルズは、ハロルド・スタックハーストが経営者兼校長を務める小規模の私立学校である。このような学校は19世紀末にはかなりあったらしい。『バスカヴィル家の犬』で、ステイプルトンはどう言っているか?

「学校をやっておりましてね」とステイプルトンが語り出した。「北の方におったのです。私の気質ですから、ああいう仕事は単調で退屈でしたが、若い人たちと生活をともにし、精神の形成を助けたり、自分の性格や理想をきざみつけたりするのは、とてもやり甲斐のあることでした。でも、運がなかったんですね。学校がひどい流行病にやられて、三人も犠牲者を出しました。その打撃からたち直れなくて、資産もあらかた消えてしまいました。もっとも生徒たちに接する機会がなくなったことを別にすれば、不運もまたよしと言いたいところですが」(富山太佳夫訳)

 夏目漱石がロンドンで下宿した家も元は私立学校だった。
 
 かかるありさまでこの薄暗い汚苦しい有名なカンバーウェルと云う貧乏町の隣町に昨年の末から今日までおったのである。おったのみならずこの先も留学期限のきれるまではここにおったかも知れぬのである。しかるにここに或る出来事が起っていくらおりたくっても退去せねばならぬ事となった、というと何か小説的だが、その訳を聞くとすこぶる平凡さ。世の中の出来事の大半は皆平凡な物だから仕方がない。この家はもとからの下宿ではない。去年までは女学校であったので、ここの神さんと妹が経験もなく財産もなく将来の目的もしかと立たないのに自営の道を講ずるためにこの上品のような下等のような妙な商買を始めたのである。彼らは固より不正な人間ではない。正道を踏んで働けるだけ働いたのだ。しかし耶蘇教の神様も存外半間なもので、こういう時にちょっと人を助けてやる事を知らない。そこでもって家賃が滞る――倫敦の家賃は高い――借金ができる、寄宿生の中に熱病が流行る。一人退校する、二人退校する、しまいに閉校する。……運命が逆まに回転するとこう行くものだ。可憐なる彼ら――可憐は取消そう二人とも可憐という柄ではない――エー不憫なる――憫然なる彼らはあくまでも困難と奮戦しようという決心でついに下宿を開業した。その開業したての煙の出ているところへ我輩は飛び込んだのである。(夏目漱石『倫敦消息』)

 漱石が「昨年の末」と言うのは1900年の年末であった。1900年の10月にロンドンに着いて以来三軒目の下宿である。倫敦漱石記念館のサイトによればhttp://soseki.intlcafe.info/lodgings/lodging-3.html

 漱石が移ってきたこの下宿の家族構成は、主人のブレット夫妻、ブレット夫人の妹ケイト・スパロー、下女、女学生、使用人、そして日本人下宿人数名であった。ブレット夫人と妹のケイトは下宿屋を始める以前、小さな私立女学校を経営していたが、伝染病が発生して閉鎖、以後下宿屋に変わった。
 下宿の主人は日本人好きでよく日本人を下宿させており、漱石が移ってきた当時、田中孝太郎、渡辺和太郎など5名の日本人がいた。

 むかしの英国では私立学校は割合に簡単に作ることができ、簡単に潰れる場合もあったらしい。ハロウやイートンのような伝統があって財政的基盤がしっかりしている学校ばかりではなかった。「ぶな屋敷」の事件の依頼人だったヴァイオレット・ハンター嬢は、後にウォールソールの私立学校の校長になったというが、どのような学校だったのだろうか?
 英国の学校は私立学校の方が歴史が古くて主流だった。シャーロック・ホームズが「まさに灯台だよ。未来を照らす灯だ」と誉め称えた公立小学校board-schoolsは、1870年になってようやくできたものだ。

「イギリスの予備校」という題で書き始めたが、結局coaching establishmentと呼ばれているからには予備校であろう、ということしか分からなかった。むかしの英国の教育制度は複雑だったのだ。

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