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2011年10月12日 (水)

インド財閥のすべて

 アマゾンでは、「革命人士」というペンネームの人が次のようなカスタマーレビューを寄せている。この人はすでに560件のレビューを書いている精力的な本読みである。

(星三つ) タタだけじゃない、インドの財閥経済, 2011/10/9

 タタ財閥しか知らなかったが、血縁が重んじられるインドでは財閥が幅を聞かせていて、インドの株式指数に入っている企業の7割が財閥系という。本書では、19世紀中盤からの財閥史のほか、頂点に君臨するタタ、多数の企業群を整理統合して再生するビルラ、急成長の後、兄弟で分裂したリライアンスというインドを代表する3大財閥にそれぞれ1章を割き解説しているほか、中規模財閥群についても簡潔に紹介されている。
 19世紀の英国支配で、東インド会社と取引していたインドの商人グループが財閥化した。機を見るに敏な商人財閥は、その後の民族主義運動、独立後の護送船団経済と特定の産業振興策と、時流にその都度うまく乗り、生き残ってきた。ムンバイの拝火教徒だったタタ財閥の勃興にはアヘンの清国輸出も大きな支えになったし、ビルラ財閥の当主はガンディーの最側近の一人で、ガンディー暗殺はビルラ家の門前だったという。
 タタ財閥は創立時の日本郵船と共闘して、世界の海運を独占していたイギリスのP&Oと戦ったいう話を読み、その歴史の古さを知った。新興国として急成長するインド経済に大きな関心が集まっているが、インドの近代経済システムの基盤が昨日今日できたものではない、香港や日本と同時期であるというのに驚いた。同時に「これだけ商売上手が多いのに、なぜ近年まで経済が低迷していたのか」という疑問もわいたが。

 星三つは点が辛いと思うが、なかなか筆力がありよく内容を伝えている。ただ下線部はちょっと読み違えだ。ガンディーの暗殺について本書では

 一九四八年一月三〇日午後五時七分、ガンディーが、ヒンドゥー教右派の青年ゴードセイによって銃弾を浴び暗殺された。
 デリーの官庁街に面したビルラ邸。その正門から向かって右端にあった離れをガンディーは定宿としていたが、ここで事件は発生した。ガンディーは最後まで印パ分離独立に反対し続け、独立後も宗教暴動を沈静化するための融和メッセージを発信していたが、ヒンドゥー教右派からは疎ましく思われていたのである。(p.138)

 インドについては私も部分的な知識がある。巨象を知るには群盲が知識を持ち寄ればよい。ガンディーの暗殺については

 一九四八年一月三十日であった。場所はニューデリーのガンシャン・ダス・ビルラの邸宅の一室であった。時は午後四時三十分であった。ガンディーは床に坐っていつもの通り夕食を食べながら、ネルーとの対立を調停しようとパテルと話していた。アバー・ガンディーが入ってきて、ガンディーのドーティーにピンで留めた大きな時計を指さした。ガンディーは立ち上がり、バスルームに行ってから、アバーともうひとりの若い女性、マヌ・ガンディーの肩に手を置いて外に出た。三人は庭の芝生の方へ足早に歩いた。そこにはすでにガンディーの夕べの祈りに参列する会衆が五百人ほど集まっていた。人々は彼のダルシャンを受け足に触ろうと殺到した。ガンディーは娘たちの肩から手を放し、合掌して挨拶した。彼がいつも坐る木の壇から数ヤードまで来たとき、髪を短く刈り瞼の厚い屈強な男が会衆をかき分けて彼の前に進んだ。額ずくように見えたが、そうではなかった。男は小さなピストルを三発撃った。ガンディーは地面に崩れ落ち、こときれた。衝撃と混乱の中で、弟子たちは遺体をビルラ邸に運び入れた。遺体は、彼が最後の日々を過ごした部屋に安置された。 (p.p.227―228)

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