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2011年10月 4日 (火)

翻訳権について

 1928年(昭和3年)、改造社の世界大衆文学全集第21巻『シャアロック・ホウムズ』が出た。全618頁。「深紅の絲」「四つの署名」「赤髪聯盟」「口の曲がった男」「まだらの紐」「白銀号事件」「マスグレーヴ家の儀式」「金縁の鼻眼鏡」「六つのナポレオン」が延原謙訳で収録された(新井清司氏の書誌による)。
 コナン・ドイル(1959―1930)はまだ健在であった。1927年に『シャーロック・ホームズの事件簿』を出した。1928年には『シャーロック・ホームズ短篇全集』を出した。この年にロナルド・ノックスの1911年の講演『シャーロック・ホームズ文献の研究』がノックス著Essays in Satireという本の一部として刊行され大反響を呼んだ。翌1929年には、T・S・エリオットが『シャーロック・ホームズ短篇全集の書評』を書いた。いずれも『シャーロック・ホームズの愉しみ方』に収録されているので、読んでみて下さい。(「愉しみ方」は「あくびの仕方」みたいで変だという意見もある。)

 しかし、戦前は外国人作家の著作権は無視されたらしい。著作権保護のベルヌ条約に日本も1899年(明治32年)に加盟したが、実際には、原著者の承諾を得ずに、著作権料も払わないで、勝手に訳し放題だった。二葉亭四迷のツルゲーネフ『あひびき』などの翻訳は1896年(明治29年)であるからかろうじてセーフであるが、森鴎外の『諸国物語』となると1915年(大正4年)刊で同時代作家の作品をかなり収録している。たとえばリルケ(1875―1926)などは鴎外(1862―1922)より年下である。仮にベルヌ条約が厳格に適用されていたら、外国文学の翻訳はほとんどできず、近代日本文学の様相が変わっていただろう。たとえば、ヴァレリー(1871―1945)は同時代人だったし、ボードレール(1821―1867)だって本来なら翻訳には遺族の許諾が必要だったはずだ。

 

  ところが戦後になると、延原謙は昭和25年にこう書いている。

……それにしても残念なのはシャーロック・ホームズ全集の翻訳が許可されないことである。理由はドイルの嗣子デニス氏の承諾が得られないことだが、これは戦争と関係があるやうに思はれ、痛嘆してゐる。シャーロック・ホームズ全集だけは原稿をのこしてこの世にお別れしたいのが私の念願である。
(延原謙「藝人の弁」の一部、中西裕『ホームズ翻訳への道』p.239より)

 中西裕氏は同じ頁に、「問題が解決して、翌々年(昭和27年)には全集が完成できた」と書いている。月曜書房版全集である。
 戦後は占領軍がベルヌ条約の厳格な適用を迫ったらしい。それに加えてドイルの次男デニスが当初は「ジャップなんぞには父の作品を翻訳させない」とがんばったようだ。
 現在は、もちろん外国人の著作にも死後50年までの著作権が適用されている。
 それなら、T・S・エリオット(1888―1965)の作品などはどうか? 『T・S・エリオットのシャーロック・ホームズ論』は著作権継承者の許諾を得ずに勝手に訳した。これには「十年留保」という規定があるのです。著作権の問題はなかなかむつかしい。下の写真などはいわゆるfair useにあたるのかどうか? 

T__s__eliot

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コメント

こんにちは。

ホームズ物語の翻訳ですが、『事件簿』以外は「10年留保」が
使えたので翻訳自由。『事件簿』は使えなかったので
ドイルの著作権が日本で消滅した1991年5月までは
一部の出版社のみ翻訳可能。これが基本だと思います。

また中西裕さんが取り上げた月曜書房版ですが
これは占領期の出版物。占領期はGHQが独自基準で
翻訳出版を仕切ったので、ホームズ物語の出版にも
いろいろ苦労があったということのようです。

投稿: 熊谷 彰 | 2011年10月 5日 (水) 12時29分

なるほど。戦後にホームズの翻訳が各社から出たのは十年留保のおかげでしょうね。でも戦前は十年留保が使えなくても無断翻訳が多かったのではないでしょうか。戦後の占領下の話は宮田昇氏の本で読んだような覚えがあります。

投稿: 三十郎 | 2011年10月 5日 (水) 15時47分

こんにちは。

たしかに、戦前の外国出版物著作権保護の実態は
よく判りませんね。

宮田昇氏の「愛国的がんばり」に敬意を表するにしても
GHQがやかましくいったことで、戦後日本では
外国出版物の著作権を几帳面に遵守するように
なったのかもしれませんね。

投稿: 熊谷 彰 | 2011年10月 7日 (金) 12時52分

徳冨蘆花がトルストイに会いに行って、「先生のご本を愛読しております」なんてことを言っているけれども、向こうは無断翻訳を咎めたりしていないようです。いや、蘆花は英訳で読んだか? ロマン・ロランなどにも似たような話があったように思います。戦前の日本は「お目こぼし」だったのではないでしょうか。音楽の方では1931年にドイツ人のプラーゲが「プラーゲ旋風」を起こしてN響などが困ったそうですが。

投稿: 三十郎 | 2011年10月 7日 (金) 17時49分

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