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2011年11月 2日 (水)

ヴィクトリア朝の英語(2)

All those arts which are the natural defence of the weak are more familiar to this subtle race than to the Ionian of the time of Juvenal, or to the Jew of the dark ages. What the horns are to the buffalo, what the paw is to the tiger, what the sting is to the bee, what beauty, according to the old Greek song, is to woman, deceit is to the Bengalee. Large promises, smooth excuses, elaborate tissues of circumstantial falsehood, chicanery, perjury, forgery, are the weapons, offensive and defensive, of the people of the Lower Ganges. All those millions do not furnish one sepoy to the armies of the Company.
 
  マコーリーのエッセイ「ウォーレン・ヘイスティングス」(1841年)から。ヘイスティングスは1774年から1785年まで初代インド総督をつとめた人物。この一節の主意は、ベンガル人は身体的にも精神的にも弱者で弱者の武器「欺瞞」を事としている(だから強者である英国人が支配してやるべきだ)ということである。Companyはもちろん東インド会社である。インド人のなかでもシク教徒などは強者であって『四人の署名』に見られるように英国側についた。

Macaulay

 トーマス・マコーリー(Thomas Babington [or Babbington] Macaulay, 1st Baron Macaulay、1800年10月25日 - 1859年12月28日)はイギリスの歴史家、詩人ならびに政治家。エディンバラ選出のホイッグ党下院議員だった。ホイッグ史観(現在の視点から過去を判断する態度)を代表する人物であり、マコーリー著『イングランド史』は、今でもイギリスで最も有名な歴史書のひとつである。(……)
 1834年には自らインドに赴任した。インド刑法典の編纂、および英語教育の普及に関して長大な覚え書きを残した。刑法典は改正されつつ今もマコーリーの編纂した形を残し、一方でシンガポール・ナイジェリアなど他の植民地の刑法典もマコーリーのものが基礎になっている。英語教育では、英語話者をインドに多数輩出してインド人をイギリス人に作り替えようと説いた。英語はのちに、インドの公用語のひとつになっている。(ウィキペディア)

「あそこに並んでいる本のうちから私が最大の喜びと最大の利益を得た一冊を選ぶとすれば、あの染みの付いたマコーリーの『史論集』ということになるだろう。振り返ってみれば、あの本は私の全生涯と結びついているのだ。学生時代には常に伴侶であったし、酷暑の黄金海岸でも手元にあった。北極洋に捕鯨に出かけたときも忘れずに持って行った。スコットランド人の銛打ち連中にも読ませたものだ。あの油の染みは、二等機関士が『フリードリヒ大王伝』に取り組んでいたときに付けたものだ」(コナン・ドイル)

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