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2011年11月 4日 (金)

ヴィクトリア朝の英語(4)

 マコーリーが教え込もうとしたヴィクトリア朝の英語は現代のインドにまだ残っている。たとえば、ヴェド・メータは『ガンディーと使徒たち』で、ガンジーの秘書だったピアレラールが書いたガンジー伝の序文を取り上げて次のように書いている。(p.69)

 ピアレラールはガンディー列聖の伝統に忠実であり、装飾的で冗長な化石化したヴィクトリア朝インド式の英語で、仰々しくあくまでも恭しく語る。彼は自著の目的をこう語る。

「本書は多くの重要な人物や事件を取り扱っているが、それらに対する著者の意見を述べたものではない。重要な事件とその主役であった人々の行動を、「愛の法則」を発見してこれを現代の問題に適用せんとしたガンディージーの偉大な実験との関わりにおいて、理解し説明せんとする試みである。」(これは訳文で原文は下の通り)

"This book is not a verdict on men and events―though men and events are discussed in it―but only an attempt to understand and explain certain events and actions of the men who made those events and in the process were themselves made by those events, in the context of Gandhiji's great experiment to discover the Law of Love and how it could be applied to solve the problems that face the present-day world."

ヴィクトリア朝インド式の英語である。センテンスがむやみに長く構文がむやみに複雑である(訳文は訳しきれないので簡略化した)。同じ趣旨をもっと簡潔明晰に書けるはずである。
  ガンジーの秘書は英国支配下で英語教育に過剰適応してしまった。オリエンタリズムの権化であったマコーリーの文体で独立の父の伝記を書くとは!
 ガンジー自身の英語は、さすがにもっと透明でニュートラルである。まず内容がすらりと頭に入るように心がけていたようだ。しかし、ガンジーは英語で書くのが一番楽だったらしく、インド人がそんなことではだめだと「ヒンディー語国語化運動」をはじめたのだ。

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