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2011年11月12日 (土)

マコーリーの遺産(2)

 今でもムチ打ち刑が残っている国がある。シンガポールである。ウィキペディア英語版のCaning in Singaporeによると、16歳から50歳の男子で一定の罪を犯した者に対して、籐製のムチで裸の尻を最大24打ちまで叩くのだそうだ。ムチ打ちの執行の前には医師が血圧などを測るから安全であるという。2007年には6404人がムチ打ち刑の宣告を受け、その94%が執行された。
 シンガポールのムチ打ちが西洋で有名になったのは1994年のことである。この年、シンガポールのアメリカンスクールの生徒マイケル・フェイ(18)が道路標識を盗み駐車中の自動車に落書きをしたかどでムチ打ち6回の判決を受けた。
 クリントン大統領はシンガポールに圧力をかけてムチ打ち刑を取り消させようとしたが、シンガポールは言うことを聞かなかった。ただ「特別の慈悲をもってムチ打ち6回を4回に減刑する」と決定した。これはアメリカの負けであった。「土人が白人様をムチで叩くとはけしからん」という本音はさすがに主張できなかったから、「我が国の法律に従って粛々と刑を執行する」と言われると反論できなかった。
 ムチ打ちは、もちろんマレー半島を植民地にした英国が土人用の刑罰として持ち込んだものだ。1957年にマラヤ連邦が独立し、1965年にシンガポールがマレーシアから独立した後も残ったのだ。

 
 
 福沢諭吉(1834―1901)は1862年に文久の遣欧使節に翻訳方として同行した。
 一行は香港、シンガポール、インド洋、紅海、スエズの地峡を汽車で越え、地中海を渡りマルセイユに上陸。リヨン、パリ、ロンドン、ロッテルダム、ハーグ、アムステルダム、ベルリン、ペテルブルク(サンクトペテルブルク)、リスボンなどを見物し12月11日帰国した。(ウィキペディア)。
 以下は明治30年(1897年)の時点で維新前後を回想した福翁自伝の一節。アジアで白人が跋扈乱暴して現地人を奴隷にしていたのを見てきたので、こういうことを考えたのだ。

 其時の私の心事は実に淋しい有様で、人に話したことはないが今打明けて懴悔しませう。維新前後無茶苦茶の形勢を見て、迚も此有様では国の独立は六つかしい、他年一日外国人から如何なる侮辱を被るかも知れぬ、在ればとて今日全国中の東西南北何れを見ても共に語る可き人はない、自分一人では勿論何事も出来ず亦その勇気もない、実に情けない事であるが、いよいよ外国人が手を出して跋扈乱暴と云ふときには、自分は何とかして其禍を避けるとするも、行く先きの永い子供は可愛さうだ、 一命に掛けても外国人の奴隷にさしたくない、或は耶蘇宗の坊主にして政事人事の外に独立させては如何、自力自食して他人の厄介にならず、其身は宗教の坊主と云へば自から辱しめを免がるることもあらんかと、自分に宗教の信心はなくして、子を思ふの心より坊主にしようなどと種々無量に考へた事があるが、三十年の今日より回想すれば恍として夢の如し、ただ世運の文明開化をありがたく拝するばかりです。

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