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2011年12月18日 (日)

プライオリティについて

『シャーロック・ホームズの愉しみ方』を読んだ読者から、「お前はこことここが誤訳で正しい訳はこうだと言うが、その正しい訳が書いてある本が先に出ているぞ」という手紙をもらったことがある。まるで「お前がこっそりその本を見て書いたのだろう」と言わぬばかりだった。
 その本というのは2009年に笹野史隆氏が刊行された「コナン・ドイル小説全集第23巻、24巻」のことであるらしい。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~emilon/whtats-new.html
 笹野氏の本は120部限定出版。全巻予約読者にのみ頒布という形であるから、私は見ていない。

 困るのは、笹野氏の用いた訳語が私の本に出て来る訳語と一致するからといって「植村が真似をした」というような仄めかしをするやつがいることだ。モリアーティ元教授が「陸軍士官学校受験予備校」の教師であった――というが、笹野氏の真似だろう、と仄めかすのだ。

 そういうやつが一人現れて、平山氏の平山歯科医院日記のコメント欄に書き込んでいた。運よく気がついたから、「陸軍士官学校受験予備校の教師」を世界で初めてとなえたのは私で、それは2006年4月19日(から4月27日まで)である旨を書いておいた。
 ところがこれが日本語読解力の全くないやつで(上から目線で見下しているのだよ、君が低いのだから)、私の書いたことの意味が分からんらしい。続けて、拙著のエリオット論(これは平山氏には全く無関係)にケチをつけ出した。
 平山さんもご迷惑なことです。こういう馬鹿は相手にしないことにしましょう。
 
 私はプライオリティには気を遣っている。
 たとえば、シャーロック・ホームズの本邦初訳は1891年(明治24年)で、雑誌『日本人』に載った「乞食道楽」が「唇のねじれた男」の翻訳であった――こう書くのは簡単であるから、黙ってそういうふうに書いている本がある。これはいけないことだ。私は、(ちくま文庫版シャーロック・ホームズ全集第十巻所収、新井清司「日本におけるコナン・ドイル、シャーロック・ホームズ書誌」)とちゃんと出典を明記している(p.30)。これを調べるのに新井氏がどれだけの労力を使われたか。
 一方、一々断れない、断らなくてよい場合もある。たとえば、「社交界の花形→社交界の花形美女」となったのは熊谷氏のおかげ、ジャック・トレーシーの『シャーロック・ホームズ事典』の記述を教えていただいたのは土屋氏であるが、ブログに書くのとは違って書籍の本文中ではそういうことは書けない。あとがきでお名前を挙げるにとどめた。
 翻訳の場合も同様である。仮に私が「ボヘミアの醜聞」を翻訳するとすれば、延原謙氏の訳語をたくさん借用する。ホームズのLet me see.という単純な台詞でも「どれ、見せたまえ」という日本語は自力では思いつかないのだもの。「ここは延原訳による」なんて注はもちろん付けない。
 笹野史隆氏が訳文でarmy coachを「陸軍士官学校受験予備校の教師」とされたらしいことは、翻訳者として当然そうあるべき態度である。調べられる限り調べて最善と思える訳語を選ぶ。もちろん出典など記す必要は毛頭ない。ほかの翻訳者は怠慢なのだ。(念のために、私は笹野氏が私のブログを見て訳語を決めたのだとは言っていない。仮にそうだとしても断る必要は少しもないと言うだけだ。独自に発見されたのかも知れない。笹野氏の刊本の方が私のブログより早い場合もあるのだから。たとえば「投書について6」のコメント欄http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/6-3c93.html
 笹野史隆氏のプロジェクトはコナン・ドイルの小説全部(シャーロック・ホームズだけではない)を一人で全訳しようという壮挙である。私は笹野氏の訳業は『白衣の騎士団』しか見ていないが、立派な見事な翻訳である。シャーロック・ホームズの訳も優れたものに違いない。

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コメント

笹野さんの訳業は文字通り壮挙ですが、正確性の点においても比類がありません。
このブログで指摘された誤訳をほとんどクリアしています。
笹野さんは定年でご退職されたサラリーマンですが、職業翻訳家よりも優れているのです。

投稿: ころんぽ | 2011年12月18日 (日) 14時03分

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