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2011年12月15日 (木)

ストランド・マガジン

Strand191112

 それからこんどはシャーロック・ホームズの時代になってきますが、この赤いのが「ストランド・マガジン」と申しまして、これは赤になっておりますが、じつはこれは色々な色を使った表紙で、絵柄はいつも同じでした。
 ぼく(植草甚一)が中学時代に、先輩たちがよくこの雑誌を読んでいたわけです。ちょいとしたインテリが、丸善あたりに来たのを買っていたんですが、コナン・ドイルがシャーロック・ホームズの短篇をこの雑誌に書いて、この雑誌そのものが非常に有名になったわけです。「新青年」をはじめてやったのが森下雨村で、江戸川乱歩の先生になってくるわけですが、あとで水谷準が編集長になった。その頃の「新青年」の読み切り探偵小説はだいたいにおいてこの雑誌がネタになっていて、あとで色々作家が出てきますが、そう言った作家がこの雑誌に出ていたのを、「新青年」の人たちが翻訳した。もちろん他にもいくつかありますが、「新青年」の一番大事なネタになったのが、このストランド・マガジン」でした。
 幻灯機が熱くなってきたので、電気を消しましょう。
(双葉文庫版p.p.303-4)

 植草さんは幻灯機を使って講演していたのだ。いつごろのことだろう? 
 植草甚一(1908―1979)が『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』を早川書房から出したのは1978年である。
 植草氏の中学時代というと1921年から1926年(大正10年から大正15年=昭和元年)である。

 中西裕氏によると、新青年の大正十年十月号に延原謙の訳した「死の濃霧」(原作は「ブルースパー・パティントン」)が掲載された。ただし訳者名は記されなかった。

(編集長の)森下雨村は謙の翻訳の腕を初めから大いに買ったらしく、続けて訳すように依頼したという。『新青年』の翌年の夏期特別増刊号にはアーサー・モリスンの『緑のダイア』が『十一の瓶』のタイトルで、初めて延原謙訳と明記して掲載された。
(中西p.84)

『新青年』は『ストランド・マガジン』をネタにしていたというが、このころの翻訳は原作者に断らず勝手に訳していたようだ。

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