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2012年5月21日 (月)

語学の問題

 どこまでが語学の問題か? 牧師と神父の区別などは、別に専門知識ではなくて常識であるから、語学の問題である。実務翻訳でもたとえばbalance sheetをバランスシートとカタカナで書いては(分かるけれども)駄目で、貸借対照表と書かなければならないのは、会計学を知らなくても常識としてわきまえておくべきで語学の問題だ。
 以前、翻訳会社に「出来が悪い」と突き返された翻訳をやり直させられたことがある。突き返してきたのは製薬会社である。humansとmiceを「人間」と「二十日鼠」と訳しているのだもの、駄目に決まっている。ヒトとマウスにしなくては駄目だ。
 (高校程度の)語学がきちんとできていれば、専門用語は(出来た方がよいに決まっているが)ある程度間違えても大目に見てもらえるという場合もある。以前、理科系の仕事を一つやってみたことがある。通信衛星の運用基準の英文和訳であった。しばらくしてから、運輸省の技官からメールが来た。「すっきりした日本語に訳してくれてありがとう。以前の訳は余所に頼んだら、分かりにくくて困った。ただ、あなたの訳では「仰角」がどういうわけか「俯角」となっていたので直しておきました」というのだった。
 これも前世紀のことだが、「大量破壊兵器」という初めて見る日本語を含む和文英訳をやったことがある。今なら和英辞典に書いてあるのだが、当時は調べられなかった。グーグルもまだなかった。元は英語に決まっているし、依頼主が元の英語を知っているはずだから間違っていても直してくれるだろうと横着なことを考えて、weapons of mass destructionと書いておいたら、それでよかったようだ。

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2012年5月20日 (日)

高校英語と翻訳(3)

 出版翻訳でも編集者がチェックすべきなのだ。私も以前、編集者に見つけてもらって恥ずかしい間違いを免れたことがある。tiled roofというのが出てきたので、「タイル葺きの屋根」としておいたら、新評論の敏腕女性編集者のYさんが赤字で?をつけておいてくれた。もちろん「瓦屋根」である。いくらインドが変な国でも、風呂場のタイルのようなものを張った屋根はないだろう。
 日暮さんが悪いのではない。誰でも間違えることはある。チェックしない光文社がよくないのだ。

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2012年5月19日 (土)

高校英語と翻訳(2)

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 イタリア人の老牧師が、片言の英語で、荷物はパリまでチッキにしたいのだという意味を、赤帽に呑み込ませようと骨折っているのに、口出ししてやったので二三分かかった。(延原謙訳)

……イタリア人の老牧師が……(日暮雅通訳)
 
 神父と牧師はどう違うか。これも英語の先生が心得ておくべき事柄だ。私は教室(高校ではなかったが)で「牧師と神父は区別してくださいよ」と言った覚えがある。キリスト教関係では、「預言者と予言者は違うのだよ」ということを得意そうに言う同僚もいた。僕はどういうわけか、これを言わなかった。高島俊男先生の『お言葉ですが』を週刊文春連載の末期になって読んで、胸をなで下ろした。こういうのは、語学の問題である。

 あるいは I am satisfied that the time has come when no good purpose is to be served by its suppression.の訳に

 真相を隠しておいても、もはや何の役にも立たない時節の到来したことを満足に思う。(延原謙)
 真相を伏せておくことがなんの役にも立たぬ時期の到来したことを、満足に思う。(阿部知二)
 世間から隠しておいても、なんの役にも立たない時がやって来て、わたしは満足している。(小林司、東山あかね)
 真実を秘匿していてもなんの益もない、という時が到来した。それを私は満足に思う。(深町真理子)

be satisfied は「満足に思う」ですか?

真相をかくしておくことがなんの役にも立たない時期が到来したのを、私はうれしく感じている。(大久保康雄)
真相を隠しても何の役にも立たぬ時期が来たことを、私はむしろうれしく思う。(中野康司)
真相を隠しておいても何の役にも立たない時期が来たことを、うれしく思う。(日暮雅通)

満足では変だと分かったようだ。しかし「うれしく」という日本語はどこから出てきたのかな? 三人の中では大久保氏の訳が一番古いらしい。前の訳を写しておいて「新訳」とはこれ如何に? 「翻訳はだんだん良くなる法華の太鼓でなければならない」と池田先生もおっしゃっているはずだ。

 これも高校程度の語学の問題である。シャーロキアーナがどうこうという問題ではない。

 別宮貞徳先生や古賀正義氏の指摘する誤訳も、だいたい高校程度の語学的間違いばかりだ。そういう訳本がまかり通っているのが変なのだ。「金返せ」と言われても仕方がない。
 実務的な翻訳の方では厳しい。誤訳や悪訳はお客さんが突き返してくる。当然だろう。だから、翻訳会社の方で用心してチェック係をつける。チェックをする人は特別によくできる人でなくてもよろしい。以前に私はreasonable priceを「合理的な価格」と訳したことがある。するとチェック係が「手ごろな価格」ではありませんか、と赤字で書き込んでいた。私がそれくらいのことを知らないとでも思っているのか、とむっとしたが、「普通はそうですが、この場合に限っては、売り手の側が『むやみに割引しないでreasonable priceを付けよう』と言っているのだから、「手ごろな価格』ではありません」と書いておいた。それでもチェック係が付くと付かないとでは大違いだ。ウッカリ一行抜かすようなミスは見つけてくれる。

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2012年5月17日 (木)

高校英語と翻訳(1)

 知能的にも精神的にも何のみやげもなく一年を楽しくドイツですごして(1876年に)エディンバラへ帰ってみると、家庭の事情はあいかわらず窮迫していた。父は昇進していないし、二人の弟妹、たったひとりの弟イネスと妹のアイダが帰ってきて母の負担をましていた。ほかの妹ジュリアもつづいて帰ってきた。でも長女のアネットだけはポルトガルへ行って、かなりの俸給をそのまま送金していた。そのほかロティとコニーという妹が同じことをしようとしていた。

 アーサー・コナン・ドイル『わが思い出と冒険』(新潮文庫延原謙訳)の第3章「学生生活の思い出」(p.28)である。

 ちょっと変なところがあるのはすぐ分かるはずだ。

 たったひとりの弟イネスと妹のアイダが帰ってきて母の負担をましていた。ほかの妹ジュリアもつづいて帰ってきた

 イネスとジュリアはどこから帰ってきたのか? どこへ行っていたのだろう?

 原文は?

When I returned to Edinburgh, with little to show, either mental or spiritual, for my pleasant school year in Germany, I found that the family affairs were still as straightened as ever. No promotion had come to my father, and two younger children, Innes, my only brother, and Ida, had arrived to add to the calls upon my mother. Another sister, Julia followed shortly afterwards. ……

 延原謙ともあろう人がこんな間違いをするなんて困るなあ。arrive=到着すると思い込んでいたのだろう。それでは変だからちょっと変えて「帰る」にしてしまったのか。高校程度の英語が分かっていないのだ。昔の(旧制の)早稲田中学の英語教育というのはずいぶんナマクラだったのだなあ。ろくな先生がいなかったのだ。

 私は田舎の県立高校だったけれど、先生はよくできる人だった。高校三年生のときは教科書を早めに上げてジョージ・オーウェルなどを読んでもらった。M先生やS先生に習ったのだから、あとで自分が教える立場になったときはちゃんと予習をして、こういうところは生徒がきっと間違えるから力を入れて教えることにしていた。

 高校生用の辞書、たとえば三省堂の新グローバル英和辞典でarriveを引いてみると

(1)   到着する, 着く;(ここへ)来る;at, in, on, upon ..に〉

であるが、五番目の意味として

()a)〔時機などが〕到来する, 〔出来事などが〕起こる._when the right time s 潮時が来たら.

b)《話》〔赤ん坊が〕産まれる.

_The baby d near dawn. 赤ん坊は夜明け近くに産まれた.

  コウノトリが運んできて「この世界に到着する」と考えればいいのだろう、とでも、私が先生なら生徒に言っておくところだ。 

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