« オレンジ計画(敗戦記念日に) | トップページ | 英国人女性柔道家と八田一朗 »

2012年8月16日 (木)

イエズス会の教育

 イエズス会は現在の日本では上智大学を経営している修道会として知られている。
 むかし、鎌倉の栄光学園高校の出身者から聞いた話。
 イエズス会は、日本の指導層をカトリックにすべきだと考えて上智大学を作ったが、日本では東大を始めとする帝国大学出身者の方が出世しやすいと分かって、栄光学園のような進学校を作ったのだという。

 英国の場合は、カトリックの学校教育は禁止されていたので、スペイン領オランダに英国人カトリックの子弟の学校が作られ、ようやく1794年になってイングランドにストーニーハースト校を作ることができた。
 ドイル家は英国ではマイノリティーのカトリックだったから、長男のアーサーをストーニーハーストに入れるのは当然のことだった。
 イエズス会の教育は独特のものだった。

 無味乾燥な知識の獲得には無味乾燥な食品の摂取が役立つと考えられたのか、イエズス会の提供する食事もひどかった。朝食はパンとミルクのお湯割りだった。昼飯には肉が出たが金曜日は魚で、週に二度プディングが付いた。お茶の時間にはパン一切れに「ビール」と称するものが出たが似ているのは外見だけだった。夕食にはまた薄めたミルク、パン、バターだったが、これに加えてどういうわけかジャガイモがむやみにたくさん出ることが多かった。イエズス会士どもはこのような食事が共同寝室における風紀紊乱を招くと思ったのか、夜間は必ず修道士が一人見回るのだった。生徒同士で放っておかれることは決してなく、スポーツでも散歩でも会話でも必ず修道士が割り込んできた。(第1章より)

「スポーツでも散歩でも会話でも必ず修道士が割り込んできた」ので、ほかのパブリックスクールのような悪習は防がれていた。普通の学校ではオスカー・ワイルドのような趣味の人物が出る恐れがあった。
 厳しい体罰もあった。
 
お仕置きの道具は(ドイルは当然よく覚えていた)「厚い靴の底くらいの大きさで形も同じゴム板であった。これで力一杯叩かれると手のひらが腫れ上がり変色した。高学年の生徒には左右それぞれ九発ずつが最小限だったと言えば、いかに苛酷だったかが分かるだろう。処罰が終っても部屋から出るドアの把手が回せなかった。寒い日に左右九発ずつを喰らうのは人間の我慢の限界だった」。

 日本の学校で体罰というと、「先生が厳しくする→生徒が反抗する→先生が腹を立てて暴力を振るう」というのが普通である。体罰が出るようでは教育の失敗であると見なされる。
 英国の学校では、「こういう場合には体罰」という方針を予め決めておいてmethodicalに叩くのである。頭や顔や背中を叩いては怪我をさせる恐れがあるから、お尻を叩くらしいということは知っていた。
 しかし、掌を叩くというやり方があったか。お尻叩きでは性的な意味を帯びることがあるからだろう。何でも予め考えておくというのは賢明ではあるが、陰険じゃないか。と感じるのは日本人だけではないらしい。
 英和辞典でJesuitを引くと

 Jes・u・it (1)【カトリッック]イエズス会の信徒[会員].
      (2)〈又は j-;非難して〉策略家, 詭弁家;偽善家.

 スタンダールの『赤と黒』ではイエズス会が悪役である。
 岩波文庫の訳文ではイエズス会とせずにフランス語読みで「エスイタ」としてある。

 イエズス会の教育は中年になってからドイルにたたっている。1900年にドイルはエディンバラから自由統一党候補として下院議員選挙に立候補したが、「ドイルは、イエズス会の教育を受けた。一度イエズス会ならずっとイエズス会だ」とネガティブキャンペーンを張られて落選した。

|

« オレンジ計画(敗戦記念日に) | トップページ | 英国人女性柔道家と八田一朗 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/46703770

この記事へのトラックバック一覧です: イエズス会の教育:

« オレンジ計画(敗戦記念日に) | トップページ | 英国人女性柔道家と八田一朗 »